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好きなもの


「好き」の奥にあるもの


好きなもの、好きな場所、好きなこと、好きな人……

「好き」という言葉がつくと

全てのものが特別なものに変わっていく

「好き」の中には、いろいろなものが隠れている

不思議な力や、魅力や、秘密などが埋まっている。


「好きこそものの上手なれ」、千利休は茶道の上達の早道として挙げた。

好きだと、少々のことは苦にならなくなる


「好き」は、人に振りかける魔法の粉なのだろうか

「あばたもえくぼ」とはよく言った

好きだと欠点すら美しく見えてしまうということ

欠点も丸ごと引き受けてもらえるなんて

何と幸せな魔法なのだろう。


探せば、もっといろいろ出てくるはず

「好き」への考察は、とっても奥が深いのだ。


「好き」も鈍くなる?


けれども、生活の中で「好き」を感じるセンサーが作動しないことがある。

いやいや、こんなセンサーが作動しまくると困ることも多くて

無意識にシャットダウンさせているのかもしれない。

例えば、仕事上の人間関係ではクールでいる必要があったりする。

好きでも、嫌いでも関わらなければならない人がいる。

では、食べ物の「好き」なら単純かといえば、そうでもない

健康志向なら、好き嫌い以外の選択が幅を利かせてくる。


ことほどさように

やりたいことより、やらねばならないことを優先しているうちに

やりたいことがあったことすら忘れてしまう。

もしかしたら、それが私の現在地?

それはそれで、気を付けなければいけない。



何色が好き?


そういえば小学4~5年生のころ

クラスの友人たちに聞いて回ったことがあった

「ねえ、何色が一番好き?」

「何の教科が好き?」

「季節でいつが好き?」(これはうろ覚えだが……)

ご丁寧に、何のためか、ノートにメモまでしていた。

「好き」ということを、私がとても大事にしていたときだ

一人一人、みんな違うその答えが楽しかった。

好きということが、すなわち、その人らしさのような気もして

好きなものを知ることで、その人を知ったような気になり

親しくなったつもりだったのかもしれない。


子どものころは、確かに、「好き」がとても大切だったのだ。


ところがいつしか

好きなこと、好きな場所、好きなもの……

私はすっかり「好き」に鈍感になってしまったのかもしれない。

何か寂しい。


「好き」にこだわろう


とはいっても、夢中で誰かを好きになったり

1日8時間ピアノを弾き続けていた若い日々には

もう戻ることはできない気がする。

「好き」に奥深い理由があるのなら

もう好きにはなれなくなったところにもきっと深い理由があるのだろう。


「好き」も変わるし、動いていく。

20代のころまでは、四季の中では断然、冬が好きで

冷たい手打ちのざるそばが大好きだった。

けれど、60を過ぎてからは、凍った路面での転倒が怖いし

冬が好きと断言するほどでもなくなった。

一年を通して、冷たい麺類より温かいパスタのほうが好きなのは

多分、体温が下がっているからという気もする。

この自分の心と体の内部からしか、「好き」は生まれないのだろう

だから、きっと昔の「好き」にはもう戻れないのだ。


それでも、好きな色を聞かれたら、今でも「赤」とは答えないし

ゴルフは両親がさんざんやっていたけれど、私は見るのも好きじゃない

お酒は1杯ぐらいは飲むけれど、昔からずっと本質的には甘党なんだ。

そこはずっと変わらない。


変わらないもの、動いていくもの、さまざまあるけれど

自分の「好き」に、もうちょっとこだわって生きてみようか。


                      2022.11.10


創作の芽に水をやり、光を注ぐ、花を咲かせ、実を育てるまでの日々は楽しいことばかりではありません。読者がたった1人であっても書き続ける強さを学びながら、たった一つの言葉に勇気づけられ、また前を向いて歩き出すのが私たち物書きびとです。