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Young Vic版Fun Homeをプレビュー中に2回みた話

先日、ロンドンでFun Homeをみてきました。プレビュー中の6/23と6/26の2回です。私にとって一番印象に残ったことは、その2回でがらっと全体の雰囲気が変わったことでして、その話&どんな演出だったのか書いていこうと思います。個人の備忘録目的の文章です。

★注意★知らずに観た方がいい情報も含むため、これから観に行く予定の人にはオススメしません

Young Vic版は、センターステージではなく普通の舞台です。会場入った時点で幕は開いており、舞台は幅広め奥行き浅め、中央に盆があり、盆のうえにソファー・サイドテーブル・グランドピアノ・ドア枠などがまとめて置いてある、盆の脇に大アリソンの作業机と段ボールが置いてある、背景は黒一色、オケは舞台両サイド上部、の状態ではじまります。上演前のアナウンスなどは特になく、客電がついた状態で大アリソンが歩いて入ってきて作業机まで舞台を横切り、シルバーのポットを手に取るあたりで客電が落ち、最初の回想シーンIt All Comes Backに入ります。

1回目は、ここで登場する小アリソンが「お父さん大好きっ!…でも何言ってるか時々わからないんだよね」といった雰囲気で、ブルースも神経質ながらも娘に教えることに楽しみを見出してる風であり、わかりあえない部分もあったけど幸せな子供時代の光景に見えました。日本版みたときに、ブロードウェイ版の映像や音源の印象より、ずいぶんと素直ないい子風だなと思ったのですが、それどころじゃない「愛されて育った子」の印象です。そして、気難しい父親に対し気遣うやさしさもあり、とても魅力的な子供でもありました。私、あんま劇場で泣かない方なんですけど、涙がこみ上げてきて、バッグからハンドタオル取り出しちゃったくらいに。

次のWelcome to Our House on Maple Avenueのシーンの転換では、役者たちがまとめて置いてあるセットを配置するところからはじまります。続いて、お客さんが見学に来ることになると、子供達がグラウンドピアノの上にある洗濯物カゴやサイドテーブルに置いてある雑多な物などを片付け、逆に飾り用の本や置物などを持ち込み、家具磨き用のスプレーを吹き付けた布で家具を磨き、最後にティファニーランプをソファーの上に置く…といった感じで、子役物の舞台によくある細かい動きが多いコミカルな雰囲気になり物語は続きます。ブルースがお客さんに説明をしているシーンでは、ブルースは盆の前に立ち、ヘレンと子供達は盆上に立つ&ソファーに膝立ちの状態で、ゆっくり回る盆で立ち位置をかえながら、コミカルなコーラスシーンに仕上がっています。突然の訪問客に対応するる子供達にとってストレスフルな状況である脚本はそのままに、楽しく描くことで、「面倒だったけど面白かった日々」な雰囲気を作り上げていました。

そして、中アリソンとの電話のシーンを経て、棺桶の上で歌って踊るCome to the Fun Homeのシーン。これが、全開でノリノリの楽しいシーンに振り切っていました。自分がかっこいいと信じきってるジョン、クリスチャンは半分付き合ってる風だけど楽しんでて、アリソンは歌うのが楽しくてしょうがない感じの、とても仲良しな兄弟のイメージです。歌の終盤では、棺桶が後ろにさがり、カラフルな照明のなか回る盆のうえで足踏みしながら歌いすらします。もちろん客席は大盛り上がりで、短めのショーストップがあるほどでした。

…という楽しげな雰囲気だけを気に入って、再度みに行った訳ではありませんが、2回目はおどろくほど印象が暗く、原作の漫画にある通りの機能不全家族の光景になっていたのです。セットや脚本には変化がなかったので、子役3人が1回目とは全員違ったことや、自分の座席位置やコンディションの問題かなとも思ったんですけど、Welcome to Our House on Maple Avenueで家具磨きのコミカルな動きが一部削られ、Come to the Fun Homeの終盤が地味になっており、「全体的に演出変えたんだ」と確信にいたりました。子役の組み合わせ違いで、演出が違うことも頭をよぎったのですが、そのレベルの振れ幅じゃないんですよ。子役ガチャで、「父親に愛された記憶」と「愛を実感できなかった子供時代」って振り幅はあんまりなので、可能性としては大変低いと思います。そんな、脚本はたぶん同じで、踊りも曲もそんな変わってない、ただ役者の演技の質を少し変えて、細かい動きを調整するだけで、こんなにも雰囲気が一変するものなのかと、驚愕の体験でした。ので、そこからは、いったい1回目と何が変わったかの視点でみてしまったので、変更した演出による世界観をうまく咀嚼できなかったような気がします。だって想像してみてよ、天国から地獄に落とされたようなもんですよ?なんて幻を見せてくれたのかと…べつに天国が見たかった訳じゃないけど、この落差はしんどかった。

話を元にもどします。中アリソンがゲイユニオンに入るか悩むシーンから、両親が喧嘩しているのを聞きながら逃避するRaincoat of Loveまでは、場面転換は盆が周り、正面にくる家具によって、時代や場所が移り変わっていきます。

そして、小アリソン達がニューヨークを訪れるシーン、ここで中央にドアが1枚だけついた白い壁が上部から降りてきます。その白い壁の前でのシーンが、中アリソンがヘレンから父親がゲイであることを聞くところまで続きます。白い壁は舞台全体を覆い、奥行きは浅く、照明により明るく照らす位置を中央左右と変えることで、時代を行ったり来たりするシーンを、シンプルに演劇的に表現します。この白い壁の前での演技は、ニューヨークでアパートからでていくブルースの後ろ姿が美しく示唆に富んでいて、小アリソン最大の見せ場であるRing of Keysを引き立てていました。とはいえ、かなりストイックな演出だな…これいつまで続くのかな?などと思いはじめた頃に、中アリソンがジョーンと共に家にかえってくるシーンで、白い壁が上部にあがります。

そこで現れるのが、最初の家具と黒背景のセットではなく、ウィリアムモリス風の緑色の壁紙が貼られた部屋に先ほどまでの家具が並べられ、さらに最初黒背景があった奥にも同様の部屋があり、文字どおり宮殿か美術館といった光景が目の前に広がります。このセットが、本当に美しく古典的であり目を奪われ、同時に登場人物達のカジュアルな服装との差に、ブルースが作り上げてきた世界の異質さを実感します。このセットは、資金があり美術の質が高いロンドンでの上演ならではであり、観客はジョーンと共にその豪華さに驚き、続くヘレンのDays and Daysを大変美しく彩りつつ観客を共感させる、このプロダクションの最大の見せ場となります。

このセットの写真はYoung vicの公式サイトの写真には載ってないので、制作側も驚かせたいのだと思います。(ただ、公式twitterには、うっすら写り込んでるので、察しの良い人は気付くような気がしますが…)

そんな大変美しい家のセットは、ブルースと中アリソンがドライブにでかけるシーンへの切り替わりで、奥の部屋が閉じられ、手前の部屋の壁も上部にあがり、家具もすべて片付けられます。黒い背景にブルースと大アリソンが座ってのドライブとなります。そしてブルースの最後の曲であるEdges of the Worldは、黒い背景のなか、床に窓から差す光の影だけがある状態で進みます。この窓枠の影は、白い壁の前で演じられたニューヨークのアパートのシーンと同じもので、当時との違いを対照的に感じさせます。そして最後、大アリソンの作業机が現れ、Flying Awayの終わりに、漫画の飛行機ごっこの映像が背景に映し出され、暗転して物語が閉じます。

って感じに、終盤に向かってセットによる効果でぐっと引き込んでいく演出なのですが…最後どうまとめるか、が1回目と2回目で印象がかなり違ったので、そこを書いておきます。

1回目の幸せな記憶バージョン(と個人的に勝手に読んでいる)では、アリソンSの無垢さや実直さがブルースを追い詰めたような印象をうけました。ただ、それ以上に、ブルースは神経質かつピュアなところが感じられ(ロイとの二人での会話シーンなど、乙女か!って突っ込みたくなるような雰囲気でした)、自分のなかでのバランスがとれなくなってしまった故の、事故なのか自殺なのか…といった空気でした。ゆえに、大アリソンも、私のせいなののか?といった自問はそれほど悲壮感はなく、でも逆に、なぜ今このタイミングで父の死と向き合ったかが曖昧と言うか納得がいかないというか…漫画書くため、では話として弱いんじゃ?と若干不満が残りました。

2回目の不幸せな記憶バージョン(という程でもないが、1回目との比較だとそう言わざるえない)では、全体に薄っすらとただよう陰鬱な雰囲気のなか、アリソンSは必死にブルースに対して愛と理解を求めている、しかしそれは一方的なものでブルースには伝わらない。ブルースは、常に自分の殻にとじこもっており、最後の歌もひたすら内向きな印象をうけ、本当に自殺か事故か全くわからない感じでした。ただ、その前のTelephone Wireでの会話のなかでブルースが過去の思い出を語るとこ、そこで大アリソンがブルースを見つめる眼差しと「お父さん、私も!」と言うその時こそが、大アリソンがブルースに理解されたと思えた、そしてブルースを受容できた瞬間なんだと、解釈できるような気がして、こっちのラストの方が説得力はあったかなと。まぁ、劇場でみたときは、そんなオチのためだけに、こんな話を暗くしたんかーい!って怒りというか、虚しさの方が強かったんですが。

いや、本当にね、何度も言いますが、1回目の幸せな記憶バージョンさえ観てなければ、機能不全家族を見事に描ききった演劇的なミュージカルとして、それもレズビアンの話を、みごとな完成度だと感動したと思うんですけどね…なんて幻を見せてくれたのだと。この行き場のない気持ちはどうしたら…

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