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海よりも前の話②

乗馬を習いはじめてしばらく経った頃。

今日、遊魔さんはズイセツ号です。と、その日のパートナーとなる馬の名前が発表された。

通っていた乗馬クラブは、レッスンの少し前にどの馬と組むかが決まる。たくさん馬がいるから、たいてい、はじめましてになる。

ズイセツ…ズイセツ…渋い響きだな…

と思ったあたりで、ズイセツさんの前に着く。
たてがみも身体も、全体につやつやと濃い茶色で、大きな目にふさふさのまつ毛。やっぱり何度見ても大きいなぁ…と近づいたところで、額にふわりと散ったいくつかの白い模様に気がついた。

ちょうど雪がふわりと舞い落ちて、そっと地面に降り積もりはじめたような、淡い模様。
あぁ、瑞、雪、

「ほんとうに、雪みたいだ…」

急に名前の響きが意味のある言葉として焦点を結んで、思わず声が出てしまった。

「きれい…」

瑞雪。
瑞々しい、喜ばしい、めでたい、雪。

雪の季節に生まれたのだろうか。
まだ雪を待つ季節だろうか。
なんて美しい名前だろうか。

生まれたてのちいさな仔馬と、その額に白い模様を見つけて雪みたいだねぇ、って言うひとのやさしいまなざしを想像して胸がいっぱいになる。瑞、には待ちに待った、嬉しい、という光るような響きがある。きっと、だいじにつけられた名前。

しばらく惚けたようにまじまじ見つめていたら、瑞雪さんがふいに頭を下げて、鼻面をぐいっと肩に押し付けてきた。ぐいっ、ぐいっ…不意打ちにわたしはタタラを踏んで、ふふふ、と笑ってしまう。

突然よろけた姿を見た教官からどうした、大丈夫?と確認されたけれど、全然大丈夫だった。

瑞雪さんもわたしも、ちょっと笑ってしまいそうにご機嫌で、なんだか嬉しくて、ちょっと照れているだけだ。うっかり友達をどストレートに褒めてしまって、なんだよ、ってちょっと照れながら肩を小突かれて、くすぐったくなる、あれだ。

なぜそう思ったのかはよくわからないけれど、とにかくその時はそれがほんとうで、なんだか待ちきれない気持ちで馬場に出た。

背に座った瞬間はいつも視界の高さに身が竦むけれど、その日はなんだか大丈夫、な感じがした。身体も心も瑞雪さんの背中にしっかり安定して乗っていて、なんだか楽しげな、やる気に満ちた感じが触れたところから伝わってくる。

並足、と教官が掛け声をかけて、わたしが合図を出す…が早いか、瑞雪さんがポンと弾むように踏み出して、わたしの身体を跳ね上げて歩き出す。

いち、に、いち、に、と馬の歩みに合わせて身体を上下させるのは本来はわたしの役目だけれど、この日はもう、瑞雪さんがぜんぶ合わせてくれて、わたしはただ何もしないのに、身体の重さがなくなったように、軽々と瑞雪さんが地面を蹴って進むのを感じているだけでよかった。

さらに掛け声、軽い速足になる。わたしは何の心配もなく、何の苦労もなく、背の上で過ぎゆく景色を眺めて、頬に風を感じる。瑞雪さんのたてがみが靡いている。自分の脚で駆けているように自由な心地がして、軽やかに弾んで進む身体が面白くて、思わず、ふふふ、と声を出して笑ってしまう。恥ずかしいけど、仕方ない。またほんの少し楽しげに速度が上がる。ふふふ。

人馬一体、のような。これが乗馬の楽しさで、馬が合うってこういうことなんだなぁ、と、思う間に終わりの声が掛かって、手綱を引くまでもなく、ゆっくりと瑞雪さんが止まって、地面に降りる。そっと首筋をたたいて、「たのしかった、ありがとう」と伝えたら、また少し肩を小突かれて、あぁよかった、楽しかった、と思う。

教官から、珍しいね、ズイセツいつもはあんまり走りたがらないんだけど。と言われて、そうなんですね、とこっそりにやけてしまう。

褒め言葉、受け取ってくれたからなんです、なんて信じてもらえないだろうから言わないけれど、嬉しかった。

勘違いかもしれないけれど、わたしにとってはほんとうの思い出。きっとわたしはたくさんの馬の中からもう瑞雪さんを見つけられないし、向こうもたくさんの人間を乗せて忘れてしまうから、二度とないこと。

深く心が震えたとき、ふとラジオのチューニングが合ったように、繋がる、ような瞬間がある。他にもいくつかのこういう感覚を覚えていて、一瞬でも、勘違いでも、深く出会えたことが嬉しいなぁ、と、思い出す。

出会えたら、少し世界が美しくなる。
やわらかな雪が地面に降りたときに、ふと思い出したりする。風が吹いたときに、海が光ったときに、青空に、夕暮れに、月をふと見上げたときに、ただ何でもないときに、ふとそこに楽しい時間の面影がきらめいて、じんわりと、ふふふ、とうれしくなる。

いきていたら、少しずつ、世界が美しくなるのかもしれないな、と思う。








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