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海より前の話①

海辺で考えたことを書きたいな、と思ってnoteをはじめたのだけれど、海辺に来てからの一年以上、ぼんやり脈絡もなく奔放に考え続けてきた時間が膨大すぎて、やはりうまく言葉になってくれないなぁ…と思いながら書いたり消したり途中で保存したりして欠片だけが積み重なっている。

たぶん、形になるものしか形にはならないし、書けるものしか書けないのだな、と諦めて書きたいことから書いていこう。と、いうことを、飽きるほど何度も確認しつつ、書くことをやめないでいたいと思う。ゆるりと。

海について書こうとしていたら、なぜか鮮やかに思い出したので、馬と、馬が合う、を体感したときのことを書き留めておく。

(きっと脳がうみ、の前にうま、を思い出す短絡的検索機能を発揮している)



何年も前、しばらくの間乗馬を習っていた。
楽しそうに馬に乗る映像を見て、乗ってみたい、と思ったから、というシンプルな理由で乗馬クラブに体験に赴いた。

実際に目にすると、馬はほんとうに大きくて、本能的に少しこわいな、と思ってしまうほど存在感がある。

圧倒的な筋肉に形づくられた身体、硬い音を響かせる蹄、少し近づいて来た時の顔だけでもきっと両腕で抱えきれないな、と容易に想像できてしまうスケール感。たぶん、彼らは一瞬でわたしを跳ね飛ばし、踏み潰してしまえるだろうな、と、想像しなくてもわかるような。

ただ、ただ眺めてみると、びっくりするほど美しいいきもので、あっという間に心を奪われてしまう。

晴れの日、こちらへ歩いてくる張りのある身体はつやつやと飴色で、被毛が短いせいでそのまま形のわかるしなやかな筋肉が、動きに伴ってなめらかに起伏しながら輝いている。蹄が鳴らす音は楽しげなパーカッションみたいにリズミカルで心地よく、長い尻尾は風にそよぐ稲穂よりしなやかに、ファサリ、と音を立てて揺れている。

何より、大きな目はとても澄んでいて、長いまつ毛はふさふさとやわらかくて、とても優しい。
賢くて優しい。
たぶん、ぜんぶの馬がそうであるわけではないだろうけれど。出会えた馬はみんな優しかった。

乗馬体験で乗せてくれた馬は、経験豊富な年齢の高い馬だった。少し伏し目がちで、とても静かに優しい馬。わたしが不器用にゴソゴソと背に登る間顔を動かしもせず、草食動物ならではの広い視野で見守りながらじっと待っていてくれた。そして、高い…!と動揺して怖がっているうちは教官に何度か促されても動かずに、こちらがそっと息を吐いたところでゆっくり、馬場を歩きはじめた。

できるだけ、揺れて怖がらせないように歩こう、という静かな気遣いが座っている背中から伝わって、優しいな、とうれしくなった。
ので、大きくて少しこわいと思う本能を軽く飛び越えて、馬を大好きになり、もっと触れてみたくてその日に入会を決めた。

馬に乗ったときの視界は、自分の座高もあいまって小さい頃登ったジャングルジムから見下ろした景色がいちばん感覚に近い。

まったく支えにならない細い手綱だけを手に、身体を固定するベルトもなく揺れ動いて進むのだから、とてもどきどきする。けれど、うまく乗せてもらったら(これは教官に言ったらすこし渋い顔をされそう。一般的に馬に乗るならちゃんと自分が手綱を握る、気持ちが必要なのだと思う。)とても楽しく爽快なので、またいつか乗りたいな。



馬が美しい、の思い出に浸りすぎて、馬が合う、の話たどり着く前に余裕で1,000文字を超えてしまったので、今回はここまで。




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