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体力のあるものでも賢いものでもなく、変化に対応できるものだけが生き残れる_中村雅哉

平成も残すところあと3日。令和までのカウントダウンに周りはそわそわ。私は何を準備すればいいのか、わからずそわそわ。そわそわまるやまです。

TVをつければ平成最後の〇〇や平成に売れたヒット曲など学生の頃ききすらした名曲が流れています。この聞いている曲も令和時代に生まれてくる子達には古くて昔の曲というイメージになるかと思うと少し寂しい気持ちになりますねw

今日は平成にお世話になったゲームセンター(バンダイナムコ)の創業者である中村雅哉氏の名言を紹介します。


体力のあるものでも賢いものでもなく
変化に対応できるものだけが生き残れる


中村雅哉(なかむら まさや 1925年12月- 2017年1月)
日本の実業家。バンダイナムコエンターテインメント創業者。1948年、横浜工業専門学校(現横浜国立大学)造船科卒業。家業は東京・神田の銃砲店であったが、銃刀法による規制が強いという業界に折り合いを付けられず、1955年に有限会社中村製作所を設立。横浜の松屋デパート(後に横浜松坂屋本店)屋上に事務所を構え、デパートの屋上遊園用遊具製造・管理を手がける。
1971年より中村製作所の英語名(Nakamura Amusement Manufacturing Company)の略称である「namco」ブランドの使用を開始、1977年には社名をナムコへ改める。
1974年にアタリジャパン(旧社)を買収しアーケードゲーム事業に進出、1980年にリリースした『パックマン』が世界的大ヒットを記録。日本アミューズメントマシン協会(JAMMA)会長(後に名誉会長、最高顧問)等を歴任する。
1990年、社長職を専務の真鍋正に譲り会長へ就任するが、1992年に真鍋が健康上の問題から社長を退任。再度、社長職に就き2002年まで務めた。

時代の流れとともに様々な変化に順応してきた中村氏だからこそ、この言葉には説得力があります。情報社会になり目まぐるしい変化の荒波の真っ最中である現在こそまさにこの言葉の通りではないでしょうか。

人はどうしても過去の成功体験やデータをもとに動く生き物です。もちろん参考として事前情報としてそれらは重宝されます。しかし、それが全てではない。現在と過去の背景も捉えて現代仕様にアップデートする必要があります。

私が最近 note をやっていて良かった と思うことは毎日1記事をノルマにし継続を目標にしているのですが、自分の心境が過去遡り見返すことができるのが良かったことの一つになります。一番良かったと感じるのは、そんな私の記事に対してコメントを頂けた時です。

素人の私の記事を見て反応(アクション)してもらえる。確かにインターネットの向こう側にも人がいて自分の思いに何かしらの反応をしてもらえる。承認欲求が満たされている瞬間なのだと思います。

仕事をする上で何も考えずに昨日と同じ作業を繰り返し続け、また明日も今日と同じ日を迎える・・・この繰り返しをしているとAIや機械に管理される側になってしまうかもしれませんねw

人は機械を管理しているのか。機械が人を管理しているのか。あなたはどちらでしょうか。

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