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今すぐ君をぶっとばせ

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日々のつぶやきのマガジン。 喜びに満ちた、怒りに溢れた、哀しみに染まった、楽しみに彩られた、つぶやきを。 ムーンライダーズの名曲「今すぐ君をぶっとばせ」より。 ぶっとばす君と… もっと読む
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2019年9月の記事一覧

何がしかの憎悪があるとしてそれを煽るのと鎮めるのどっちか選択するなら鎮める方がよくないかな。だって経験上、鎮めてもうまく鎮まらないかもしれないけど、煽る方がより疲れるしより引っ込みつかなくなるしより面倒くさくなるしより病むことが多い。憎悪が増して巧く行ったためしが人生にない。

自分自身の眼で何が見られるのか?何を見ているのか?何を見続けているのか?何を見なければいけないのか?
自分自身の眼では何が見られないのか?何を見ていないのか?見て見ないふりをしていないのか?
結局のところ僕は右眼と左眼を通してそれをずーっと考えているのだ。
おはようございます。

今日9月27日は2016年12月31日に会社を辞めてフリーになってちょうど千日。いいことも悪いこともあった千日。今日自体でもいいことは3つあり嫌なことも1つあった。でもそんな中で明日からの次の千日の指針になるような目標、やるべきことやりたいことが見出せたりもした。これでいいのだ!

なんかPCの前でひとり仕事してたり文章書いてたりして、煮詰まって苦しくなったりするといつのまにかカオナシのように「あ、あ、」とかの吐息が人知れず無意識に漏れている自分がいる。きっとカオナシは、そんな仕事で行き詰まった(息詰まった)人がなる姿なのかもしれない。
おはようございます。

知り合いになると何かの便宜を図ってくれると思ってる人がいるけど、その人と顔見知りなだけで何で便宜を図ってくれると思えるのだろう?知り合いになるのは今や簡単で、大切なことはその人の生き方や考え方が共感できるかどうかなんだけどな。むしろそういう便宜を求める人が一番共感できないタイプ。

「規則なんで、それはできないんですよ」みたく断られることが仕事でもサービスでもどんどん増えてる。規則って本来はスムーズに生きるために作られるものじゃないだろうか?その規則が本当に必要かどうかの判断停止で増えてないだろうか?規則がどんどん生きづらくさせてるのって本当ディストピアだ。

今日の話。いろんな悪いところが沢山あってそれを批判や糾弾するのはある意味簡単だ。でもそう悪くなってしまったのには実はそうなってしまったいろんな経緯や理由があるのだ。その経緯や理由をすっ飛ばして結果だけ批判してるのなら、いつまでもそれは改善されないし、いつまでもそれは繰り返される。

今日の話。よかれと思って情報を伝えない人がいるんだけど、そのよかれと思ってってのが本当に邪魔で非効率だ。よかれと思うならいろんな情報をさっさと相手に伝えていい点も悪い点も共有すべきだ。それが速くて早い方が対処が早く速くできるから結果は圧倒的によい方向に向かう。リカバリーもできる。

親族のお通夜のため父方の実家の街へ。子供の頃は毎夏毎冬行っていた街。10年ぶり20年ぶりに会う伯父伯母従兄弟従姉妹。お互い歳を取り、徐々にこの世界から消失していく。そしてそんな想いを重ねることは、いつしか自分自身が消失することのシミュレーションなんだって想うようになってしまった。

このポスター制作した人、ラグビーは11人でやるんだと思ってるんじゃないだろうか。

東大の文化資源学の秋学期スタート。研究だと近代や現代って言葉が頻繁に出てくるけど現代ってのが戦後って意味で使用するのもう3/4世紀使ってるわけで、自分の子供の頃は果たして現代でいいのだろうか?
そろそろ現代を平成からとか21世紀からとか再定義する必要があるんじゃないかと思った。

色々日々思い悩むことがある。あることが解決してもまた違う悩みが起こる。ということは現在の悩みが解決しようがしまいが脳内を占める悩みの分量は実は一定以下にはならないんじゃないだろうか?年々そう感じる。つまりそんな一定量の悩みを背負いつつどう楽しく生きるか?ってのが生きることなのだ。

最近小泉進次郎さんへの世間の“あたり”が強い感じがするけど、それは大臣になったからかな。それとも滝川クリステルさんと結婚したからかな。それともそれで露出が増えて色々バレてきたからかな。それともそういう風に扱った方が得する人たちがいるからかな。どの原因でも様々な問題を内包してる。。

昨夜、ふと久々にテレビ番組をがっつり作ってみたいなーとちょっとだけ思った。つまり、想いというのは循環するのだ。コレをやってる時はアレをやってみたくなり、アレをやってるとソレがやってみたくなるのだ。だからある時にコレとアレとソレが嫌になっても、それはその時にたまたま嫌なだけなのだ。