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第173段「異化とは貴方を、生かすこと、イカすこと」

「25年ぶりに東大の大学院に通っていて、スプツニ子さんの講義を受講している。その講義の名称は『問いを立てるデザイン Design to Qustion our Future』かなり刺激的な講義だ。そんな講義を受けて僕なりにデザインした問いを立てたいと想う。題して『異化とは貴方を、生かすこと、イカすこと』

1「異化の行為」inspired by【運の技術】

みなさん、異化という言葉をご存知ですか?

僕は、5月の最後の1週間、新たな考えが生まれるようなきっかけがあった週でした。
今回はそんな話をしたいと思います。題して「異化とは、生かすこと、イカすこと」です。

さて、どこから話そう?
やはりこれは時系列で順を追って話すのがいいと思います。
僕は今4月から東大の大学院に通ってますが、その週の火曜日にこんなことがあったのです。そのことはnoteに書きましたが、再掲します。

「異化の侵入」
今日は大学で履修してるある授業での僕の発表の番だった。
ある課題について話すのだが、せっかく社会人25年目で大学に通ってるわけだから、普通の若い学生が話すこと以上に、僕はその課題について「その課題と私」というテーマで(敢えて)自分のことを付け加えて話そうと思い立った。
それは、その課題だけを研究して分析して話すのでは、僕がせっかく社会人として大学にいるにしては平凡だと思ったし、その課題と自分が25年間どう触れ合って、どう人生に影響されて、それが今の仕事にどう繋がってるかを話すことは、僕が若い学生たちにむけてただ普通に発表するのより、その学生たちへの人生のヒントくらいにはなるだろうと考えたからでもあった。
ちなみに作って配った資料の最後には「異化の侵入」と記した。
異化とは、見慣れたものを“見たことのない変なもの”に変える力。
その課題が「異化」と符合するテーマでもあったから、若い学生の中に侵入した異色な存在である中年の僕がいて、その僕の話す特異な内容が普段の授業に侵入して、敢えて異化的な存在になることで、むしろ本来のこの課題自体にも実は符合していると思ったからでもあった。
実際、発表中はその課題について当てはまるトピックも交えて話したつもりだ。
自分のことやテレビのことを確かに話してるけど、決してこの講義の趣旨に逸脱するようなことは話していないつもりだし、実際僕の個人的なエピソードは、全部その課題に結びついてるような話ばかりを心がけたと思う。
学生たちはかなり真摯に聴いてくれた(と思う)。
普段僕が講演とかトークイベントでやってる以上に、僕にはある種の手応えを感じたくらいだったから。
そして僕の話が終わって、教授が言った。
「角田さんのことはよくわかったから、課題についても話して欲しいんだけど・・・。」
そうか。
どうやらこの異化の侵入は教授にはお気に召さなかったみたいだ。
僕は「すいません。」と言い、その後少々、その課題自体の再説明を加えて、すごすごと話を終えた。
僕の話の後に、各学生が討論する。
東大の学生たちは、流石に頭が良いので、その教授のお気に召さなかった雰囲気を慮り、その後はその課題だけの討論が続いた。
僕は、その討論を聞くふりをしながら、結構落ち込んでいた。
授業時間が終わるまで、なんかぼーっとしてたと思う。
一生懸命やった分、なんか無力感を感じたし、むしろ自分の至らなさを感じたりもした。
教授にしたら、いい歳した僕のやったことは、どうやらこの授業には要らないものだったんだろうな。なんか邪魔だったんだろうな。なんか気に食わなかったんだろうな。
結局、異化は要らないってことなのだ。
授業時間が終わり、そそくさと部屋を出た。
すると廊下でひとりの学生から声をかけられた。
「今日の角田さんの話、めちゃくちゃおもしろかったです!」
ああ、やっぱ響いてる人には響いてるのだ。
よかった。
僕にとって、その学生の感想がとても嬉しかった。

【角田陽一郎のnoteより、5月29日1時に記載】

・・・というようなことが起こったのでした。
僕は、この異化ということを、火曜日の授業での発表までに、結構考えていました。
【異化=見慣れたものを“見たことのない変なもの”に変える力】

この異化を、僕は東大の授業に侵入させようと目論んだのですが、まあ上記のように失敗したのです。
でも、その異化の侵入に失敗したのち(つまり火曜日の夜)、なんか悲しくて悔しくて、なかなか眠れないでいました。
眠れないと人はいろいろ考えますよね。僕も、そもそもこの教授はなぜ僕の異化を受け入れてくれなかったのだろうか?と、再び異化について、もうその課題を超えて、つらつら考え続けていたのです。

そうしたらある考えが浮かんできました。
教授が、僕の異化を受け入れてくれなかった理由、それは、その行為自体が異化の行為だからです。
異化とは、日常の景色を今までと異なったものに変えてしまう行為ですよね。
日常や、社会のそれをかたち作る仕組みや組織や決まり等を、今までと違うものに上書きします、つまりその変化は驚きや発見を生むかもしれませんが、同時に今まで信じていたものへの疑いをも育んでしまうからなのです。
その疑いは、そんな既存の仕組みや組織や決まりを維持しようとする人からは、邪魔な存在なのです。だって、そんな疑いがあると、人はやがてその仕組みや組織や決まり自体をも、破壊し始めるかもしれませんから。
そんなふうに異化には、潜在的な恐怖が孕んでいるものなんだと思い至ったのです。

一方で、異化の反対の言葉とは何か?それは、同化ですよね。異化の定義に照らし合わして見ると、
【同化=見慣れないものを“見たことある普通なもの”に変える力】
ということになります。
つまり、この同化という行為自体が、日常や社会の“仕組みや組織や決まり”なのです。今まで、よくわかってなかった人やモノを一般化するために、決まりを作って守らせ、組織に組み込み従属させ、それらが社会の仕組みを動かす歯車になること、それが“同化”なのです。
同化をすすめるような社会において、異化の行為をすることは、相反する行為なのです。

そして僕は、この異化と同化の矛盾が、この社会や職場や学校や日常で、さまざまな軋轢を生んでいるんだと気付いたのです。
例えば、ビジネスとは同化です。自分の作った製品(プロダクツやコンテンツ)を人に買ってもらうためには、その製品の価値を広く広めなければ、知ってもらわなければなりません。それは、その製品の価値の同化行為だからです。
一方で、芸術とは“異化”です。日常に新たな驚きを生み出す行為が異化だからなのです。
ということは、ビジネスと芸術というのは、そもそも矛盾する行為なのです。あっと驚かすのが芸術なのに、それでお金をもらうためには、広く知ってもらわなければならない。でも広まってしまったのならその驚きは減ってしまう。アート作品がコモディティ商品になってしまいます。

そうわかった時に、僕がテレビ局を辞めた理由もわかったのでした。
僕はテレビ番組を、“異化の行為”として、作っていたのです。
でも視聴率を取るためには、その番組に視聴者を同化させる必要があります。
この異化と同化を同時にやる作業の軋轢が、様々なストレスとなって僕に襲ってきて、それが組織の矛盾、企業の矛盾、マスコミの矛盾となって、僕はその矛盾に疲れて、辟易して、逃れたくなって、“同化の組織=企業”を退職して、“バラエティプロデューサー=異化の個人”になったんだと思うのです。

**

2「アジカンのライブの3つの問い」inspired by【13の未来地図】

そんな風な思いに至った翌日の水曜日。
僕は大好きなロックバンドASIAN KUNG-FU GENERATION=アジカンのライブに行ってきました。そのことはnoteに書きましたが、再掲します。

「解放区」
アジカンのHOME TOWNツアー@中野サンプラザ。
最高だった!
すごくアットホームな自由なライブで、皆がそれぞれ楽しむまさに音楽の解放区だった。
今日のアジカンのライブ。皆の心ゆくまで音楽を楽しんでいるかっこいい姿と、Gotchのさまざまな言葉で色々気付かされた。
かっこいいとは何か?
自由とは何か?
続けることの意味は?
とか。
つまり自分がかっこいいと思うことを続けることが自由なんだと。
他人にどう思われるか?はあまり関係ないことなんだと。
そしてその自分のかっこいいだって歳とって変わったりするんだと。自分の中でだってそんなに変わるのだ、他人のかっこいいなんて当てにならないし、そもそも気にする必要もない。

手垢まみれの貨幣と足跡だらけの地平
地名だけが古いままの新しい地図
解放区 フリーダム
笑い出せ 走り出せ 踊り出せ 歌い出せ
笑い出せ 走り出せ 踊り出せ 歌い出そう
笑い出せ 走り出せ 踊り出せ 歌い出せ
笑い出せ 走り出せ 踊り出せ 解放!
ASIAN KUNG-FU GENERATION 『解放区』より

そう思うとこれまで生きてきて、自分は自分がかっこいいと思ってることをやって生きてるのか?って思ってしまった。
他人の目を気にして生きてるんじゃないか?って感じてしまった。
皆が自由に生きられるといいとGotchは言った。
僕もそう思う。
ならばまずは自分が自由に生きなければと思う。
解放区を作るのは、自分次第だ。

【角田陽一郎のnoteより、5月29日23時に記載】

・・・そして、この文章を書いている時に、また新たな思いが巡ってきたのでした。
それは、Gotchが言っていたことが、それがまさに“異化”なのではないか?と。

かっこいいとは何か?
自由とは何か?
続けることの意味は?

この3つの問いは、つなぎ合わせると、答えが出ました。

【自分がかっこいいと思うことを続けることが自由】

そして、それは、つまり自分が異化の行為をし続けることなのです。
そうか、わかった!
異化の行為とは、同化の社会では、邪魔な存在です。
時に異端視され、時にダサいと言われ、時に時代遅れと揶揄されます。
でも、そんな他者の目線を気にすること自体が、ダサいのです。
他者の目線とは、つまり同化なのです。
僕たちが、自由になるとは、つまりそんな同化社会の目など気にせず、自分の信じることをやり続けること、異化の存在になることなんだって、僕の中で2日間の体験が一つに結実したのでした。

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3「同化した? 異化してる?」inspired by【「好きなことだけやって生きていく」という提案】

異化とは、生かす。
・・・自分の人生を生かすことです!
そして、そんな人生は、イカす!
・・・つまり、イカしたカッコいい人生なのだと僕は思います。

一方で、例えば会社に出勤して、ちょっといつもと雰囲気が違うと、上司や同僚にこう声かけられませんか?
「どうかした?」
そう、その質問は「同化した?」って聞かれているのです。
いつもと同じような社会や組織のなかで、ちょっとでも変わった貴方の雰囲気は、周りから見たら違和感になります。その違和感への警鐘が、「同化した?」って言葉でやってくるのです。

組織や社会は、同化を求めます。
就職活動では、同じような同化服=リクルートスーツを着ます(着させられます)。
国にやってくる移民は、異民では困ります。そこで同化を要求します。
ちょっとでも、異なると、「君、どうかした(同化した)?」と是正を要求されます。

でも、自分が自分を生きるとは、そんな同化社会の中で、異化した自分を生かして活かしてイカす!ことなのです。

同化した?
異化してる?

貴方は、どうしますか?

こうして、こんな問いが僕の頭に浮かんで着ました。
貴方はどうしますか?
そして、僕自身はどうするか?
・・・5月の終わりにこんな思いに至った僕は、6月のある日曜日に、こんな「問いを立てる文章」をnoteに書きました。
そして、以下の文章を、僕の今のところのその問いへの回答として、最後に載せたいと思います。

「バカにされないために」
若い時は年上に分かってないとバカにされ、歳取ると若者に時代遅れとバカにされ、有名だと有名税だとバカにされ、無名だと無価値だとバカにされる。
つまりどんな年齢でも立場でも人は大体バカにされるのだ。
楽しく生きるにはそんなバカにする他人をどう気にしないで生きるか?を自分で見出すしかない。

人は多かれ少なかれ他者と関わらないと生きられないわけだから、他者にバカにされることはある意味生きることと同義でもある。
ならば他者を気にせず自分のやりたいようにやるしかないし、やった方がいい。
その際大切なことはバカにする人に近寄らず、自分こそ他者をバカにしないことだと思う。

人は自分の正しさと他人の正しさを比べた時にその落差でバカにする。
でも自分の正しさが本当に正しいかはわからないし、他人の正しさだってそうだ。
そもそも万人共通の正しさなんて無いのかもしれない。
自分の正しさを他人に押し付けるのではなく、自分が正しいかどうかを問い続けるしか無いのだ。

自分が正しいかを問いたりすると、なんな間違ってるってことって結構ある。
そんな時は恥ずかしげもなくさっさと修正すればいいのだ。
自分でもそれくらい間違えるし、他人だって同様に間違える。
人の判断なんて誤差の集積。
だから他人の修正の機会も奪っちゃいけない。
修正をバカにしちゃいけない。

【角田陽一郎のnoteより、6月2日8時に記載】


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