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BC32「おもしろいとつまらないの境界線、石炭をば早や積み果てつ」

さて、今回は、“おもしろい”と“つまらない”の境界線についてです。
“おもしろい”とか“つまらない”って一体なんなのでしょうか?普段テレビを見たり、映画見たり、小説読んだりして、これおもしろいな!って思うのと同時に、つまらないな!って感じることは多々あります。おもしろい場合はもちろんいいんですけど、つまらないとがっかりしますよね。ああ、こんなつまらない作品に自分の時間を費やしてしまって、もったいなかったな、とか思ったりします。この“つまらない”って一体何なのでしょうか?

今から30年くらい前の、僕が高校1年になった時の話です。僕の通った高校は県内一の進学校で、なのに受験指導などほとんどせず、「受験勉強は各自が勝手にやりなさい」的な、かなりユニークな授業をする高校でした。入学したての4月の現代国語の最初の授業で、担任でもある国語担当のS先生は、教科書に掲載された森鴎外の『舞姫』を扱うことになりました。ユニークな授業って一体どんなことするんだろ?僕は少し緊張しながら授業に臨んでいました。するとS先生が黒板におもむろに板書しはじめました。

「石炭をば早や積み果てつ」

『舞姫』の冒頭の一節です。そして一人を指名しました「○○くん、これはどういうことですか?」
どういうことですか?って、えー?なんだそれ。だって石炭を積んでるってことでしょ。ていうか、“早積み果てつ”って、これ古文ぽいよね?・・・古文って、この授業、現国じゃないのか?僕はかなり戸惑いました。きっと○○くんも戸惑ったでしょう。どんな風に彼が答えたかまでは覚えてませんが、きっとしどろもどろだったと思います。そしたら、そのS先生は、その後何人も続けて、指名してこの質問を繰り返すのです。でも、その後を読んだわけでもないし、みんな似たような答えばかりです。結局そんな感じでその日の授業は終わりました。
そして次の回の現国の授業。先週は1行しか進まなかった。というか、厳密に言うと1行も進まなかった。今日はどんな授業をするんだろ?僕は不安とともに逆に興味をそそられました。そして先生は再び、黒板に板書し始めました。

「石炭をば早や積み果てつ」

そしてまた一人を指名してこう尋ねました、「××君、これはどういうことですか?」
ええええー?また聞くのかよ!って一体なんなんだよ!
そして、こんな感じの授業が1ヶ月くらい何日もずーっとずーっと続いたのです。何日経っても、ずーっと『舞姫』の1行目から進まないのです。当然その間に僕も何回か指されたと思いますが、なんて答えたか?なんて覚えてません。きっとろくでもない答えしかできなかったでしょう。
来る日も来る日も・・・「石炭をば早や積み果てつ」。
ある日は、なぜ冒頭が“石炭”なのか?またある日は、なぜ最後が“つ”なのか?“つ”って完了形?・・・てことはもう石炭が積まれ終わったってこと?そんな問答を延々と繰り返しました。僕は、というか多分みんなは、いつまでたっても全然先に進まないので、勝手に『舞姫』の先を読むようになりました。だって先読まないと、もうS先生の質問に対して、答えるパターンがなくなっちゃうからです。でも、全文が古文調の『舞姫』は、僕らにとっては読み辛く、読んでもあまりおもしろいと思った印象は僕にはありませんでしたし、内容を知ったからって、なぜS先生がそんなにこの1行に執着するのか?意味がわかりませんでした。
こうして、中間テストになりました。この現国の授業で、一体どんな問題が出るんだよ!ていうか、そもそも事前に試験勉強なんか、できないじゃん!!って思いながら、現国のテストに臨むと、なんとその問題用紙には・・・

「石炭をば早や積み果てつ」
この文章を読んで、思うところを書きなさい。

ある意味、授業のまんまの問題が、それもたった1問だけ出されたのです。そして解答用紙は、なんと白紙が1枚。ええええ?一体何をどう答えれば、点がもらえるんだよ!ていうかどれくらい書けばいいんだよ?・・・もう全く意味がわかりませんでした。この高校は偏差値の高いいわゆる進学校です。中学時代にかなり高得点が取れるような受験勉強をしないと受からない高校でした。僕も含め、多分クラスの全員は今まで中学の時には、「この4つの中から、正解を選びなさい」みたいな“四択”や、漢字の書き取りや、「作者の言いたいことを15字で書きなさい」等々の問題を頑張ってやってきたのだろうと思います。そんな僕らが、高校生になって臨んだ最初のテストは、今までの受験テクニックなど全く役に立たないものでした。大人たちが、子どもたちの理解力を測るように、練りに練った問題・・・なんてことでは全くなく、S先生の問題は生徒の僕らには全く意味のわからない、ぶっきらぼうなテストでした。
僕は、その答案にどう答えたのか、一体何字くらい書いたのか、もう全く覚えてませんが、返って来た答案は、30点とか40点とか、確か全然良くない点だったと思います。森鴎外の『舞姫』・・・いったいなんなんだよ。全然おもしろくない。そんな印象が僕の頭にこびりついていました。

それからだいぶ経って、大人になって、それこそ青空文庫かなんかで無料で、ある時ふとそんな高校時代を思い出し、『舞姫』を読み直してみました。そうしたら、めちゃめちゃおもしろかったです。今読むと古文調の言い回しは、なんていうか逆に、すごいリズムがあって、ラップを聴いているように感じられますし、主人公の苦悩が、文明開化時の日本人として、そして一人のドイツ人女性との恋が、なんていうか淡々とだけれど“調べ”を打って、読み手の脳の中にすらすら飛び込んでくる、漢文の素養がある鴎外だからこそ書けた至極の超名文なのです。その明治時代に生きた主人公=鴎外の悩み、というのは逆に現代の僕たちにも同様な問題を呈されているようで、読み終わったあとにひどく考えされる作品でした。


そして冒頭の「石炭をば早や積み果てつ」の1行に執着した、S先生の意図も理解できるようになりました。なぜ石炭なのか?『舞姫』という華やかなタイトルの作品の、冒頭の単語が重々しい“石炭”というワードで始まることの真意。そして、“積み果てつ”という、船の燃料が積み終わったことを知らせる完了形の言葉。この1行のみで、森鴎外は、この作品の全てを冒頭で想起させ、そしてこれから主人公が語るドイツでのエピソードの苦悩と、これから日本に戻る彼の決意を、同時に暗示させているすばらしい1行なのです。きっとS先生は、きっと彼も若い時代にこの『舞姫』を読んだときに同様の衝撃を覚え、その興奮を生徒の僕らに伝えたくて、その衝撃と興奮こそが、読書の醍醐味であり、この15歳の多感な時期にその読書の醍醐味を味わう喜びさえ掴んでしまえば、あとの受験テクニックとか何ぞやは、お前らが勝手に勉強してくれ!っていうS先生の思いから、そんな授業をやったのだろうと思うわけです。

そんな僕の、高校時代の『舞姫』のエピソードでしたが、でもこの話からいろんなことが読み取れます。列挙してみましょう!


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