見出し画像

第76段「生き残った人の凄さ」

生き残るってのはなかなか大変で、歳を重ねた方は少なくともその歳まで生き残る方法と手段を手にいれ実践できたから生き残ってる。
若い頃は年寄りの経験なんて古い思考や因習だと嫌悪もしたけど、若い考えはほぼ空想と仮説で、歳を重ねた人の実践ノウハウの価値には敵わないと最近至極実感する。

そう思う自分が年取っただけかもしれないけど、でもやっぱりそう思うんだからしかたない。

例えば・・・

自分に何かしらの欲望があるように、相手にも何かしらの欲望がある。
ならば自分の欲望を満たすためにまず相手を襲うのではなく、相手の欲望を満たすためにむしろ自分を襲わせるってことが、結果自分が相手に必要な存在になり、仕事や生活や人生がスムーズに進み、結果自分の欲望も叶えやすい。

とか思う。若い頃は襲おう襲おうとしてた(笑)。

さらに例えば・・・

自分は、誰かにお気に入りの作品を勧めてその人が見て楽しんで喜んでくれたらすごく嬉しい。
ということは人から何かを勧められたら(その作品が自分も良かったら)喜びをベタにでも表明した方が絶対にハッピーだ。
逆に残念なのは勧めても見てくれなかったりした時。なので僕は人のお勧めはいつも見たい。

他人の考えを、すごく純粋に受け入れることが、そしてそのことへの謝意を述べることがとても大切なんだって、ようやく年取って気づいた。
若い頃は、謝辞言い合ってるオトナたちを見て、偽善的で気持ち悪く感じたもんだ。

この世の中で、そうなってることには、そうなっている理由がある。
で、その理由を考えたら、やっぱり変えた方がいいことなんて世の中にはたくさんあるけれど、
でも、そうなってるのには、そうなってるだけの歴史と人生という時間がかかってるんだって重みがある。
その重みは、もしかしたらその人の若い時の空想と理想が長い時間をかけて実体化したから、重みを持ったかもしれないわけで、その歴史と人生を知らずに、その重みを軽く見てしまうのは、やはり何か大切なものが見えてないような気がするのです。

自分の若い時分の空想と仮説。
自分が年取ってそれを実践して培ったノウハウ。
両方あるから、それがカタチになったのだと思う。
だから一方が一方を軽く見たり否定するのは、すごくすごく勿体無いことなのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?