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第118段「文章と会話の“適尺”」

うーん、次の会議までにこれ読んでください的なアジェンダみたいなの長々書かれたメールって苦手(むしろ嫌い)だ。
だって読むの面倒くさい、ぶっちゃけ。
で、読むとだいたいピントがズレてる。
で、このピントのずれってメールで返信するくらいだと伝わらないニュアンスだから、直接会う時まで直らないし。

で、なんで面倒くさいか考えてみた。

読む文章と話す会話って“適尺”(最適な長さ)があり、それが仮におもしろくても長いと面倒だし退屈。そこがわからなくて自分の文章はイケてるとか自分の話はおもしろいと思ってる人の文章と話は、本当読むのも聴くのも面倒だし退屈だ。
だからって少ないのも伝わらない。
文章も会話もインタラクティブなものなのだ。

で、どんな話も書くにも話すにも“適尺”ってのがあるのを知ってることが書き手や話し手のプロなんだろう(自分もそうなりたいけど中々難しい)。
でもこれは自分で書いたり人前で話したりの機会多くなると自ずと適尺を学べる。
で、この適尺を知ることは実はあらゆる職種や人生で必要なんだと思うのだ。
つまり書き手や話し手のプロで無くても、本当は必要なスキルなんだと思う。

他者との関係をどう構築するか?のための書き手と話し手のスキルってもっと学ぶべきだ。
何を書くか?何を話すか?は日頃注意を払ってる人も、どれくらい過不足ない分量で書くか?話すか?は疎かにしてることが多い。
で、この過不足に無意識or無関心な人(でもいい人)とか一番仕事を一緒にしていて、実は面倒くさい。

てなこの文章だって、説明過多かもしれないし、説明不足かもしれない。
僕がただ面倒くさいだけかもしれないし(笑)


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