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第191段「ちょぼちょぼで行くか」

仕事でも社会でも生活でも効率をすぐ求める(求められる)けど、効率悪くてイライラすることって多い。
つまりそれらの何割かは効率悪いことの方が多いんじゃないだろうか。
もしその何割かの効率が良くなってしまうと、実は仕事が無くなり社会で不要になり生活できない人の方が多いんじゃないかと、ふと思った。

これ例えばヒットとか繁盛とかもそうで、大部分のモノコトはヒットや繁盛してない。
でも大部分の人はそんなヒットや繁盛してない状況でも生きている。
つまりそのヒットや繁盛してない敗残物を生み出すことで、大部分の人の仕事や社会や生活はむしろ成立してるんじゃないだろうか、とも思った。

さらに言えば不平不満とかもそうで、世には多くの不平不満が溢れてる。
でもその不平不満の元になってるような社会システムや決まりや慣習があるから、そこに無駄ができて、その無駄を財源にむしろ生きてる人がいる。
だとするとその無駄って実は必要なものなのかもしれない、ともまたふと思った。

なんていうかうまく言えないけど、要は多くの人が無事に生きられる世界の方が(結果として)いいと思う。
そのために効率を追求し、ヒットや繁盛を狙い、不平不満を排除することって、実は真逆なことをやっててむしろ皆が(自分が)生き辛くしてるような気もするのだ。

どうやったって、どう働いたって、どう生きたって、実は結果なんて大差無いのだ。

「この悩みが解消したら」とかよく思うけど、その悩みが解決するとまた違うジャンルの悩みが勃発する。
つまり悩みなんて大小深浅常時人生に伴う。
だから人生に勝ち逃げなんて無いのだ。
大小深浅な悩みとどう同居しつつそれでも日々楽しく生きるか?
悩みの解決をするのではなく気にしない術を持つこと。

なんかどれもちょぼちょぼでいいような気がする。

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