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AD23「人生の成功ってのをテレビの果てで考えてみる」

豊かな人生をおくるために夢をもとう!
やりたいことを実現するために計画をしっかり立てよう!
幸せになるために勝負に勝とう!
成功するために目標をしっかりもとう!
万が一の時のために保険をかけよう!

そんな風に僕らは人生を考えますよね。子どもの頃から大人たちにそうアドバイスや教育をされて来ました。そし大人になった今も、自分のやりたいことをするために、それが夢だったり、目標だったり、計画を立てて、日々生きていきます。
それは全然間違ったことではないです。
でもそれに疲れちゃったりしますよね。
さらに、夢が叶わなかったり、目標が達成できなかったり、計画が頓挫したり、人生には挫折がつきものです。そうすると落ち込み、自分の人生はどん底なんだと…。
そこまで無理して生きる人生ってなんなのでしょう?
はたして人生の成功ってなんなのでしょうか?

先日テレビ業界の先輩とした話。
僕は作品作りの際の成果報酬的な話を聴くとげんなりする。
なぜか?を考えてたら朧げにわかった。

その仕事が儲かっても儲からなくても、あるレベル以上のクオリティを出すためにはその分のお金はかかるからだ。
だから儲かろうが儲かるまいがその分のお金だけは絶対必要なのだ。

つまり、作品にあるレベル以上のクオリティを出すためには、儲かる儲からないを超越した職人的な気概が必要なんだ。

なので「やり方次第で儲かるよ」的な話をされるとその気概が穢されるように(僕は)感じる。
結果が成功でも失敗でも、儲かろうが儲かるまいが、クオリティとその(僕らの)気概はそもそも変わらないのだよ。

その職人的な気概を尊ぶか否かが、あらゆる制作現場での僕の判断の全てだ。

その気概を感じられる人と一緒に仕事したいし、それを理解できない人とは多分縁がないのだと思う。

そして(ここからはあくまで僕の信念だけど)この気概が無い現場は、結果成功もしないしヒットも生み出さないのでは、と思う。

「こういう動画があったら、便利だからみんな見るね」的な発想で作られた動画はだいたいつまらない。
で、つまらないから結局みんな見ない。
「こういう動画があったら、おもしろいかも」から始まらないとおもしろくならない!
それでも作ってみたらつまらなくなることも多い訳だし。

でも「こういうサービスがあったら、便利だからみんな使うね」的な発想で作られたサービスや起業は成功するのかもしれない。

つまり動画(エンタメ)を作ることとサービスを作ることは、一見似てるけど本来は違う概念なのだ。

エンタメを産むことが目的で起業することの難しさは、実はここなのかも。

言葉で伝わるかわからないけど、最近、成功とか失敗とか、おもしろいとかつまらないとか、実はどーでもいいんじゃないかとさえ思ってる。

成功でも失敗でも、おもしろいモノでもつまらないモノでも、それを体験した時の自分の感情というものが一番価値があるのではないかとなんとなく確信しつつある。

例えば自伝的映画を作るとして、仮に人生に成功と栄光と楽しいことしか無かったら、チリの映画監督、奇才の巨匠ホドロフスキーの自伝映画は退屈になってたんだと思う。
いやそもそもホドロフスキーは映画自体を作ってないんじゃないだろうか。

映画をおもしろくするために人生苦労しろってんじゃなく、どんな体験も自分がどう感じるか?がその人の人生をおもしろくすると思う。

先日、映画パーソナリティのコトブキツカサと深夜に長々と話したこともそんなこと。
映画の良し悪しなんて実はどーでもよくて、大事なのはその映画を観た自分の人生がどーなったか?なんじゃないだろうか?
映画だけじゃなくて音楽も小説も絵画も演劇もスポーツも、そして多分テレビも。

すごい作品と出会った時の感情。
子供の頃→スゲー!
学生の頃→自分も作ってみたい!
就職して→自分もいつか作ってやる!
大人になって→くやしい、自分じゃ作れない。
でも最近→スゲー!自分も作ってみたい!

なんか戻ってきてる。なぜなら何を作るんでもその人の人生次第だとようやく気づいたから。

昔取材した大物ミュージシャンが言っていた。
「いかがわしい奴こそ本物だよ」
それは一体どういうことだろうか?

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