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第181段「圧力社会」

よく「事実はない」って否定するけどそうはっきり否定しちゃっていいのだろうか。
正確には(今のところ)「証拠はない」ってだけで、当事者がそう感じてたらそれは「事実はないはない」わけで。
しかも状況証拠的には「事実はなくはない」わけで。
「事実はない」と否定したことが結果近い将来に墓穴を掘ると思う。

無言の圧力って圧力をかけられた方がかけられたと感じたから忖度するわけで圧力をかけた方はかけたとは決して認めない。
これ社会のあらゆる関係性においてそう。
だから絶対否定をしてる段階でそれは既に虚偽。無言の圧力をかけられた会社もそこの社員に無言の圧力をかけてるからね。
圧力の連鎖が社会。

でもね、実際のところその圧力ってかけられた方が一方的にかけられてたわけではないんだよな。
そのかけられた人もまた別の人にかけてるかもしれないからね。
社会の中での圧力において、一方的な加害者や一方的な被害者ってのも実は存在しない。
だから何かを絶対的な敵だと見做さない方がよいと思う。

実際は、圧力の微妙な調整の中でいろんな案件が出来ては消え、消えては出来てると思う。圧力をかけられたこともかけたことも嫌な思いをしたこともさせたことも事実は両方あるのがほとんどのケースだと思う。そんな今まで隠されてきた圧力のかけ合いが業界のパワーダウンで今や顕著に表出してきてる。


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