たてしなあおい

脚本家になりたい東京の会社員です。脚本・小説・エッセイをふわっと描いて生きています。

たてしなあおい

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最近の記事

北海道とおじさんの気付きと

★ 北海道に行ってきた。 好きだったのはいつまでも続く草原とか山とかの連なり。バスの揺れに寝ては起きてを繰り返していたけれど、目覚める度にずっと遠くまで続く風景に安心した(そして寝た)。 ツアーだったので、色んな夫婦を見た(私は母と。60代以上の夫婦が8割程だったと思う)。会話はないのに片時も離れず寄り添う夫婦、パワフル全快な妻に微笑んで付いてく夫の夫婦、ダブルピースサインの夫の後ろで冷めた顔で写真に収まる妻の夫婦、お喋りが絶えない学生カップルのような仲良し夫婦。あぁこの

    • まだ晴れない

      ☆ 昨日は、プロデューサー、監督、ボスとの打ち合わせだった。脚本への喧々諤々や今後の日程、キャストの候補等を話し合った。脚本については、思ったより強めの突っ込みはなく、私が心残りだった部分は誰もが心残りを感じ、私が力を入れた部分はやはり記憶に残ったようだった。今回、公募条件が特殊な為、自由に描けず(言い訳だ・・)悔しい部分もあったが、それも勿論ばれていた。引っ張られ過ぎ、と。 ほんとは初めからプロであるボスが描いた方が、回り道も無駄道も無くもっとスマートに進むのに、わざわ

      • 義理姉の図々しさとか

        ☆ 法事で実家に帰った。正月ぶりの家族は皆変わらず忙しそうで、父は遅れてくるし、長男は早めに帰っていった。母の車で家に帰ると、姪二人がレアキャラの私から離れず、両方の膝上が何故か取り合いになり、とても重かった。義理姉の母へのタメ口はいつまでも慣れず、違和感しかない。友達だと思ってるのかしら、といつかの母は憤慨してたけど降参したのかもしれない。図々しく生ききった者の勝利か。 長男が新聞に載っていた。ラジオやテレビにもちょくちょく出ているらしい。周りのゴタゴタにも惑わず、ゆっ

        • 毎日考えてるわんこと脚本のこと

          ★ もう去年のことだが。脚本家として参加し、イザ、コンクールへ出品!という時。私は、自分の作家名に愛犬の名を入れたいと申し入れた。結果的に奇妙な作家名がエンドロールに流れる事になった。違和感しかないが、私は嬉しかった。 意図知れず脚本家デビューしたその子はもうこの世に居なくて、私は忘れた事が無いから思い出す、という事もない。 もっとあぁしてあげたかった、これもしてあげたかった。後悔ばかりでいつも少しだけ痛い。解決なんて永遠にしないから、私はその感傷を引きずって生涯を終え

        北海道とおじさんの気付きと

          白いブラウスに合わせよう

          ★ 読んでも読んでも、日々大量の記事がアップされるから、社内ニートは辞められない。これ読もう、あれ気になる、後からそれも、とタブが増えていく。じゃあ今日何読んだ?と問われれば、はて?となるけれど、脳のどこかに爪痕はあるはず、だ。 上司が派遣の私の仕事の細部まで気が(時間もか)回らないから、質問するとたいていふんわりした返事しか返ってこない。却ってぼんやりする。そうすると、いい加減な私は”よし手抜きしよう”、と切り替え一層省エネ化する。今日も社会に生きている。 ★ また

          白いブラウスに合わせよう

          おじさんの歌

          ★ 飲み屋でおじさんが「座・ロンリーハーツ親父バンド」(加山雄三とザ・ヤンチャーズ)という歌を歌い、隣のおじさんに「な、いい歌だろ、覚えとけよ」って言って、隣のおじさんはうんうん頷いてデンモク画面を撮ってて、その隣の隣辺りに座っていた私は涙目で心にメモして、忘れないうちにnoteに記録しようと決め、今こうして書くことができた(嬉しい)。 ”生きているから嬉しくて  生きているからこそ悲しくて    生きているから辛くて 明日は必ず来る” おじさんが言いがちな事を集

          おじさんの歌

          優しいだけの世界

          ★ なんだか国内が、世界が、おどろおどろしいなあと思いつつ会社に着くと、ホワイトデーのお返し(私は何もしていない)が置かれており、その平和に(その落差に)眩暈がした。お礼を言うと、おじさんが、おじさんたちからだよ~と笑っていて、おじさんがおじさんという”役割”を引き受けてくれている、ただそれだけでちょっと感動した。役割は放棄されがちだ。 こんな緩い会社環境で働いていると、もうマトモな会社で働けないのではと底無しの不安に落ちるが、すぐにマトモな会社で働く気なんてもうないこと

          優しいだけの世界

          明日には忘れるはなし

          ★ 昼休憩をそのままデスクの上で取る人って信じ難い(せっかくの昼を適当に流し過ぎだと思う)が、左右のおじさんお姉さんは毎日机の上で食べる派だ。その二人が今、下のコンビニで購入してきたであろうファミチキやらカラ揚げやらヨーグルトやら菓子パンを食べている(大抵時間差があるのに今日はシンクロしていた)。左右からの匂いと咀嚼音の渋滞で辛い。思い切り顔をしかめている。今日も社会に生きている。 ★ 朝聞いていたラジオの映画批評で(『15:17分、パリ行き』)、あの日のあの選択を、あ

          明日には忘れるはなし

          その先はずっと先

          何かを始めることって実はそんなにハードルは高くなく、それを続けることこそ肝で、一度立ち消えても、なんとか舞い戻り、すまし顔で居座る図太さって大事だ(周知)。 仕事も趣味も誰かの応援も料理も恋愛もnoteもとにかく何も続かないけど、”脚本”だけは細々と接していたいがどうだろう。 今はあまり脚本を書く事が楽しくない。 よそ見ばかりしている。そうはいっても、クラスに通っているので提出期限を守り、作品を拵えてはいるが。”楽しくない”と思うと、”じゃあいいや”とこれまでは手離してき

          その先はずっと先

          春はまだか

          ★ 春が近づくにつれ少しずつ機運が回復する、気がしている。去年も、その前の年も1年のスタートダッシュは割ともたつく。寒いから心も身体も恐縮している。 今週の水曜日、信頼している脚本のセンセイの映画を観に行った。数か月ぶりにセンセイやクラスの同級生に会い手を振った(しかし遅刻していた為、はやくはやくと劇場に押し込められた)。 センセイは生徒の脚本を何度も何度も読み込み、作品を必ず褒め(褒める事は彼の信条だった)、構成を一緒に悩み、改善策を伝え、最後には背中をうんと押してく

          睨むな

          ☆ 毎週月曜の11:30から、”たてしなさんの進捗確認”という煩わしい予定が組み込まれているのだけど、そもそも仕事がないから進捗しようがない。上司がPCの隙間から顔を伸ばし、どうします?と問うてきたので、特に何もありません、と応じた。不毛なルーティンは来週も続く。 左隣の席のお姉さんは漫画のように、ごきゅごきゅ、と喉を鳴らし水やらコーヒーやらを飲む。当初は何事かと思ったが、不思議と慣れた。しかし右隣のおじさんの”俺”という一人称には未だに慣れない。 ”俺”は人を選ぶと思

          何がどうしてそうなった

          ★ 私は会社では出来る限り省エネでいたく、声を出すのも控えたいので隣や後ろの上司に用がある時もメールやチャットで問う。それなのに、周りはコトバで返答してくるので毎回不協和音だ。限りなく塩に近い対応で乗り切る。 ☆ 前の会社は、マウンティングとパワハラとセクハラの山盛りだった。割と深めに傷ついている癖に、それを悟られないようヘラヘラしている自分が惨めで嫌いだった。上司への機嫌取りは見るのもやるのも嫌でいつも上手く出来なかった。部長に嫌われて壁際の席に一人ぼっちでいる男性社

          何がどうしてそうなった

          幸せな朝食 退屈な夕食

          ☆ 私の会社はビルの12階に席を置くが、私はしばしば15階や16階に出没する。どのフロアも様々な会社が混在しているので、私一匹ふらふらしていた所でなんの支障もないし、誰も気に止めない。背筋を伸ばし、それっぽく歩く。 理由はお粗末で。階によって自販機の中身が違うから。気分や体調によって、細かく使い分けている。ただの暇つぶしだ。 ☆ 今日の夢は暴力的だった。 私は振るう方でも振るわれる方でもなく、ただ傍観し、震えていた。不思議なもので、こうした夢を見る時。いつもクライマ

          幸せな朝食 退屈な夕食

          オプラとは米国のスター司会者のようだ

          ★ 週末、築地へ海鮮丼を食べに行った。マグロの炙り丼、柔らかくてほわほわだった。一緒に行ったのは、アメリカ人(生まれは中国・上海、育ちはアメリカ・ネブラスカ州)の彼。二人で出かけるのは初めてだった。単語を発する程度の日本語しか話せない彼との会話はもっぱらGoogle先生が仲介してくれた。 本国では研修医として働いている彼。多忙につき、一時休戦と銘打ち、日本で人生の束の間(昨年の9月~今年の3月まで)のバケーションを楽しんでいる。貴重なその休憩を、熟しきった日本で過ごしてく

          オプラとは米国のスター司会者のようだ

          喉にくる風邪だった

          ★ 風邪をこじらせた週末だった。一生分くらいの咳をして、腹筋が酷く痛かった(咳とは高速の深呼吸のようなもので、腹筋が酷使されているよう)。食欲もなくリンゴ1個が1日の食糧で、剥くのもやっとだった。とわいえ心はタフで。好きなラジオをずっと流し、前日に大人買いした本を数冊流し読みしつつ、好きな時に寝て起きて、体重計に乗ればあっさりと痩せていて。喉も腹筋も悲鳴をあげていたけれど。心は図太く健全だった。 手元の本の中にオードリー若林のエッセイがあった。その中の相方・春日の話が好き

          喉にくる風邪だった

          いつもうまく巻けない

          ☆ 昨日の夜全然寝付けなくて、結局4時過ぎから活動を始めた。単純に通常よりも3時間も朝が長くなった。それなのに、やる事・考える事はいつも通りで。ただ動作がゆっくりでやたら丁寧、という位。昔から時間の使い方が気が遠くなる程下手だった。捨ててきた時間を拾い集めれば7年分位あるんじゃないか。7年て。何の為の時の記念日生まれなんだ(6月10日)。 せめて日記書くとか、ゆっくりお風呂に浸かるとか、朝ごはん食べに早めに出勤するとかやろうよって感情が誘うけど、思考が全力で”全て”を止め

          いつもうまく巻けない