自由と責任

あなたは今、自由がほしいだろうか?
日々の生活が忙しくなってくると自由になって気ままに散歩したり、映画を観に行きたくなる時もくるだろう。ただ全て自由がいいことなのかというと必ずしもそうではない。かの哲学者のサルトルは人間は自由の刑に処されていると話している。これは、自由すぎて何をしていいかわからないという刑に晒されているのだという意味だ。そこから考えるに自由とは人間にとって必ずしも良いものではないようだ。だが僕は自由は人間にとって必要不可欠なものであると考える。なぜなら、人間の幸せに自由という自由意志は欠かせないと思うからだ。何かしたいことを自分で決められる決定権を持っていることこそが幸せであるということも考えられるはずだ。奴隷のように全て服従すれば幸せなわけがない。だが、考えることを放棄したい人も一定数いることも事実だ。現に江戸時代の幕府が滅び、明治時代になったときに資本家と労働者が現れたが簡単に分けてしまえば、資本家は新しいことにチャレンジする考える人、労働者は考えることを放棄した服従した人と分けられる。労働者の人々は全て服従することが幸せとは思っていないが、自分で事業を行うよりは服従する方が楽だし、幸福度は高いように感じる。一方で資本家は考えて挑戦することを選択した人間だ。そして挑戦するとともに責任も取ることを決断している。
可能性という観点でいうと、資本家はハイリスクハイリターンであり、労働者はローリスク安定のリターンだろう。どちらを選ぶかはその時の気持ちや背景、状況、能力、策など様々な要素があると思う。だけど、自由を目の前にした時にその人が選ぶ決断こそがその人のアイデンティティや性格などその人を形作る大切なピースの正体が見えてくるだろう。