見出し画像

「幽霊よりも怖いもの」について

久しぶりにお祝いや告知でもなく最近思ったことを話してくれた回。
個人的に興味深い話だった。
「権力」とはなんなのか。
聴きながら考えては消えるものが多かったからいつも以上に読みにくい文章となっているためお気をつけください。


自分の幸せを優先すること

急に面白いことと思えることをやれなくなってきたらどんどんしょんぼりしてしまうカンタくん。
ハワイに行きたい例えを聴いて自分の幸せをしっかりと優先できる考え方のカンタくんに対して改めて尊敬の気持ちが沸き上がった。
実はここ、毎日投稿終了以降ずっとカンタくんに感じている凄さのひとつだ。
毎日投稿時は時間に追われる関係もあって「期待に応えていく」みたいなシーンが多かったように思う。
でも、毎日投稿終了以降「自分が幸せじゃないと違う。ファンの人は自分の意に沿わず辛い思いをしていることを望んでいない。だから自分はやりたいことをやるし幸せでいる。」と言い続けている。
これって、相手に評価の軸を持たせていない人の考え方だと思うのだ。
私は自己評価が高い方ではないし、評価が相手から帰ってきてやっと安心するから、「相手の期待に応える」沼から抜け出せない。
だからいつまでも小さな安心をかき集めていて心から安心できないのだ、きっと。
そして必要以上に己を擂り潰しているように感じる。
しかしカンタくんは違う。
自分が本当にしたいことはなにか考え、幸せと自分が評価できるもののために一線を引いた。
自分以外に主導権を握らせることはしなかった。
本当に凄いと感心すると同時に個人的には軽く畏怖を感じるレベルだ。
輝く人ってそういうところがあるように感じていたりする。

さて。
「面白いことと思えることをやれなくなってきたらどんどんしょんぼりしてしまう」という話。
多分みんな本当はそうなんだと思う。
でも、多分夢を現実にしていたり、ものづくりをやっていたりする人はなおそうなんだろうな、と思う。
私は仕事にやりがいがないとは言わないけれど、「楽しい!」とはあまり思ってない。
「仕事」にそれを求めることはしていないかもしれない。
究極私が仕事をする意味って義務感で。
「普通の人は就職して自力で生きていく」という常識から外れることが怖くて、親に申し訳なくて就職したようなものなのだ。
でもその分心を弾ませるのは水溜りボンドと過ごす時間だ。
そこに楽しさを感じているからこそ推し活を楽しむ時間がなくなると萎れる(笑)
前の質問のところで夢を水溜りボンドに託しているとおっしゃっていた方がいらっしゃったけど、そういう人も多いんじゃないかな。
そして、そんなみんなからの期待も感じているからこそ今、カンタくんは「自分が幸せに過ごす」に重きを置くようになったのかもしれない、なんて思う。
そして100万人突破の前の録音でその話が一番始めに出てきたのは、もしかしたら個チャンの100万人に合わせて「個チャンは順調かもしれないけど水溜りボンドは?」と言われる可能性を考えていたのかな?なんて思ったりした。
私たちファンは彼らと過ごす時間が長いし、出来るだけ気持ちを受け取りたいと思って情報も言葉も取りに行くから水溜りボンドが彼らの中心であることを知っているが、そんなに深く見ていない人からそういう声が出ることを想像しているのかもしれないな、なんて思ったのだ。
だからこその生配信や100万人突破後の動画の言葉なのかな、と思ったりもした。
見ている側からの期待や考えは時に圧となり、カンタくんに権力に近い恐怖を感じさせることがあるのではと少し不安になった瞬間でもあった。

権力について

ちなみに権力感じたことなかったが私も小中校と学級委員をやったことがある。
(兄、姉と3兄弟揃った学級委員の集まりは非常に居心地が悪かった記憶がある(笑))
私にとって学級委員とはみんなの意見を汲み取るための立場であってむしろみんなを後ろから支える役割のように思ったいたから権力の話で学級委員が出てきた時には思わず微笑んでしまった。
カンタくんの感じ方、やっぱり私と違っていて面白い。
ちなみに何度聴いても山か海を託されたカンタくんもおもしろい。
(先生も認めるくらい周りからの人望が厚かったということなので凄いとも思っている。)

「決定してしまうことが怖い。」
「決められてしまう自分も怖い。」
それは「恐怖」という形でカンタくんに向かってくるんだな、と思ったのが最初の感想だった。
そうか。そうなのか。
「みんな自由な方が好き」とも言っていたが、カンタくんは自分が人の感情や考え、選択肢という未来を狭めてしまうことが怖いのだろうか。
それだけ一個一個の選択に重きを置いているのだろうか、なんて想像した。

ちなみに初対面で「ここ座って座って」で無理なのはとてもよく分かる。
でも私にとってそれはパーソナルスペースを侵食される恐怖のように思っていて、カンタくんの恐怖とは少し違っていた。
「いい人かどうか決めるのは俺なはずなのに周りの空気で正式に判断できなくなる。」
そこなのか。
やっぱりここでも感覚の自由度、選択肢を狭められることによる恐怖を感じているように思った。
カンタくんにとっては自由を奪われることが恐怖なのだろうか。
海外は多分歴史的背景からしても文化的にも「個」が大切なのではないかと思う。
今は少しずつ変わっているかもしれないが、それに対して日本は「集団」に重きを置いてきたように思う。
海外で幼少期を育てたカンタくんにとって、その「集団」への価値観で「個」をねじ曲げられる感覚が怖いのだろうか。
「その人なりのおもしろさがあるし、否定するところがない。」というカンタくんの言葉にも「個」の尊重を感じたし、以前カンタくんのご両親が子どもたちのことを「綿毛のよう」と評されていたと訊いたが、そこにも「個」と「自由」があると思うからカンタくんの価値観の中にそれがあったりするのかな、なんて思ったりした。
そして、YouTuberとして肩書きで少し見下されてきたという話からもそれが少し感じられたように思うが 態度によって相手への敬意を感じられない、「個」を認めない感じも嫌なのかな、なんてことも考えていた。

「本当に凄い人はめっちゃ優しい。」
「権力を求めていない。」
それは本当にそうだと思う。
個人的な感覚だが、極端に権力を振りかざす人、求める人はどこか欠けている人のように感じる。
だから自信がなくて「権力」という形、それに従う人たちによって安心感を得ているように思う。
それって努力によって「己」を変えようとしているんじゃなくて、「権力」というもので「周り」を変えようとしているのだ。
凄く自分中心の世界にいる人なんだなと思う。 そして、自分のために周りを巻き込んでいる「子供」のようにも感じるのだ。
福徳さんもそうだが、本当に凄い人は多分人望で満たされていたり、己で「幸せの軸」を決めているから満たされているのだと思う。
だから優しいし、「権力」に固執することもない。
「権力」に重きを置く人たちはずっと本心から満たされることはないのでは、と少しかわいそうに思ったりもする。

少し話がずれるがよく「管理者になりたいんです」なんて役職を目標にする人がいる。
うちの会社だけだろうか、一概には言えないものの、「管理者」という役割を求める人ほど出世は遅いように思う。
それは「管理者」という役割を見て、そこに付随する「人」を見ていないからではないかなと思ったりするのだ。
私は一応管理職なんてものをさせてもらっているが単純に役割が違うだけで偉くもなんともないと思っているし、お客様と同じくらい配下メンバーへの配慮が必要だと思っている。
それは役割の前に同じ「人間」だからだ。
お互いが仲間として配慮し合う、それは当たり前のことだ。
そして、上になるほど配下メンバーのみんなの頑張りが自分の評価になるのだからみんなに頑張ってもらう側なのだ。
だから私はむしろ役割が上になるにつれみんなのために側仕えとして控えるくらいの気持ちになっている。
しかし、配属された配下メンバーへその話をする度凄くビックリされる。
これはなんでなんだろうなぁとしみじみ思うのだ。
それだけ「役割」に重さがあるのか。
生徒会長だから偉いわけじゃないと言っていたカンタくんにとても共感した。
この点はカンタくんの言っている「権力」への私なりの違和感だなと思う。

カンタくんは生徒会長になった時に「こうでいなければならない」が怖いと言っていたが、自由でいたい人なんだなぁ。
だんだん「サラリーマン無理だったかも」と口にするようになってきたカンタくんだが、今のカンタくんを見てると向いてないかもしれないな、なんて思う。
それに対して立候補したケンちゃん。
システム作りが好きなところ、ケンちゃんらしいね。
このシステム作り関してはそれを動かす「人」がネックになると思うので、ケンちゃんは「人」を見られる人なんだなぁと思う。
そして、その「システムを作る」って組織の中でとても大切な視点だと思うからケンちゃん、一般企業に来たらいい管理者になるかもしれない(笑)

カンタくんが学生時代の友達のお母さんにも覚えられてるの、とてもいいな。
東海オンエアのてつやとしばゆーみたいだ。
心に残る存在って本当に凄いことだと思う。
「カンタがいたから仲が良かった。」という言葉も分かる気がするよ。
カンタくんは師匠の話を通しても幼い頃から凄くフラットで、前向きな考え方が出来る人だし、巻き込む力もある人だと感じた。
そんな希少な存在にみんな影響を受けていたんだと思う。
ドラクエの作戦コマンドみたいに。
やっぱりカンタくんはなかなかいないレアスキル持ちなんだよなぁと再び感じた。
「権力が鎧のように感じる」とも言っていたが、フラットなカンタくんだからこそ感じる違和感、表現方法なのかもしれない。

権力が空気感として蔓延してるという話は前述のように日本という文化も影響しているかなと思う。
「集団」には秩序が必要で、権力が生まれる。
日本は特に集団の内に向けてその影響が大きい国なのかもしれない。
ちなみに「お客様は神様」理論は私も嫌いだ。
対価に対して品やサービスを提供するのは必要だと思うが、あくまで「人」対「人」なのだ。
働いてくれる人がいるから提供を受けられるのだから、お互いに配慮と尊敬を持っていればいい話で。
なぜ「お客様」や自分の立場を振りかざすのかなぁとそういった人を見る度に思う。
そして、「満たされない人なんだなぁ」とかわいそうに思うと共に「なんて周りに甘やかしてもらってきた幸せな人なんだろう」とも思う。
その人たちを満たすために消費されている周りの方の心に同情を禁じ得ない。


「後で裏切られるのが怖い。」という言葉、エンタメという世界で生きるなかで色々あったんだろうなと思わざるを得なかったし、我々視聴者からの圧は大丈夫だろうかと心配にもなった放送だったが、最終的に結論は出なくても話してスッキリしたと言っていてくれて良かった。
こういう話が出来るのもVoicyならではでとても良かったと思う。

「幽霊より先輩からの権力の方が怖い」
とてもキャッチーな言葉でしばらく頭に残りそうだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?