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 月曜日から本格的に仕事が始まり、2日目を終えた。1時間ほど残業をした後、流れで上司に居酒屋に連れて行ってもらい酒と料理をご馳走になる。誰かと食事に行くのは、なかなかどうして楽しいものである。ニコニコしながらご飯を頬張る私に、いい笑顔だねと上司。20歳以上離れた人とのサシ飲みは初めてだったが、相手の話に興味を示していれば盛り上がるのはどの年代でも変わらない。

 今日は超多忙であった。教わったことをゆっくりと整理する暇もなく、他の社員さんと談笑に花を咲かせる暇はなおさらなかった。業務に必要な知識を流しで叩き込まれ、不安な状態でスタッフとの電話面談を行う。その他事務処理などを行っていたら、日が暮れていた。

 アルコールが入った頭をビル風で冷やしながら、夜の秋葉原を歩く。大きなアニメキャラクターたちの広告に、あちこちで流れるCMやアニソン。ソフマップなどがあるメインストリートを熱を持った人々が行き交う。

 ふと、秋葉原に溶け込めない自分に不安をおぼえた。学生時代、特に中高生の頃は、アニメやシナリオゲームが大好きだったから、僅かなお金しかなくても、一日中秋葉原を見て回ったものだ。だが今では、どうだろう。何も心が動かされない無機質な人間に成り果てた。

 そわそわと落ち着かない気持ちで電車に乗り込むと、硝子に映る今の自分が大切なものを殺した犯罪者のように思えてくる。あまりの恐ろしさに動けなかった。アニメや漫画、ラノベ、シナリオゲーム。物書き。作品づくり。それらは十代の私が好きだったもので、現実からの逃避場所で、一番の親友だった。大切なことの多くをここから学んだ。アニメを観なくなって、美少女ゲームをやらなくなってどれくらい経ったろう。小説を書かなくなって何ヶ月だ。終わりが思い出せない。緩やかに、気づかないほど緩やかに、心が死んでいったのか。

 あの頃の私は、浴びるように作品を消費している豚であった。好きな作家さんの新作が出る日はいてもたってもいられないくらい楽しみで学校に行きたくなかったし、好きなアニメができた時は同じ話でも繰り返し鑑賞した。それこそ朝から晩まで。キャラクターと一緒に泣いたり笑ったり、本を読み終えたときはちょっと気を抜くと涙が出そうになるくらい感動した。本当に大好きだったし、豚である自分を私自身気に入っていたのである。

 何かに依存しなくても、自分を保てるのは良い傾向のように思う。自立するのは正しい。だが大切なものを失ったと自覚した瞬間、急に涙が溢れ出した。好きはいつか、抜ける。それは青春のある一部分にだけ響くもので、あるいは何かを欲している若い時だからこそ持てるもので、自分のその時代が終わるとそこから卒業する。年を取るとともに経験を獲得し、アニメやゲームや小説より現実が楽しくなり、そちらに惹きつけられていく。この世の中には楽しいことがたくさんあって、人を好きになって、人から好かれて、対等に関係を結んで、友情とか、恋とか、愛とか名前をつけて、そこからたくさんの経験を学ぶ。

 フリーターからちゃんとした社会人になったのだから、少しは自分を誇っていいのかもしれない。アニメやゲームに触れること、小説を書くことから抜け出して、他の好きなことを探して行ければいい。後ろばかり見てはダメだと過去を振り切る強い気持ちで、新しい生き方を模索すればいい。

 今は自分が惨めでも、いつか良いマンションに住んで、おしゃれをして、もっと自然に笑えるようになって、友達もたくさんできて、仕事を好きになって、誰か尊敬できる方と恋をして、これまでとは違う世界に行ける。小説を忘れてしまえるなら、それでいいのかもしれない。

 夢を失い、正社員として働き出して数日。胸にあるのはストイックに仕事をしていきたい想いと、それ以上に大きい、また小説をやりたいという気持ちだった。アルバイトをしていた時でさえ上手く書けなかったのに、時間的余裕がさらにない社会人がプライベートを小説に捧げられるのかという怖さはある。投げ出したことをまた始めたところで、また投げ出すのではないか、と弱い心に食べられそうになる。それでも許されるというなら、また、小説をやりたい。

 欲張りかもしれないが、今度は現実的に夢に向かって頑張りたいのだ。仕事と小説の両立。仕事には一切手を抜かずバリバリこなし、プライベートでは机に齧りつき作品をつくっていく。ワーカーホリックのようなその選択は、きっと自分を苦しめることだろう。強欲で大切なものを手から溢れ落とす中途半端だと不安に駆られることだろう。

 でも、小説なくして幸せになれないのだ。

 夢を無くした後でも、私の根幹にあるのはやっぱり創作活動で、小説を捨てて幸せになろうとはどうしても思えない。

 そんな風に決めつけてしまう、自分の心の弱さが嫌いだ。だが、仕事を小説を捨てる理由にしないということ。小説家に成るということ。そのためならどんな痛みも受け入れるということ。それらを再確認できた、ここが分岐点。

 また好きになりたい、というのが率直な今の気持ちである。就活を期に離れられたのに、また書きたくなってしまった。バカみたいだが小説は、私の生きるお守りみたいなものだ。執着である、でも執着する何が悪い。自分が成りたい姿に向かって、妥協せずに走り続けて行きたい。

 ごめんなさい。夢は捨てられません。
 ……という謝罪と。

 もう一度だけ。
 現実的に小説と向き合います。
 ……という私の宣戦布告をここに。

 枯井戸正午

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