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僕が「前向き」にこだわる理由

軽く自己紹介をさせていただきます

噛まないグミといいます

ついったでは

「プロ引用ツイーター」

なんて肩書きでやらせてもらってます


このnoteで僕のことを
知ってくださった方は

ぜひ、
僕のついったの方を覗いてくださると嬉しいです

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さて、僕がこのTwitter運用で
こだわってる点がいくつかあります

今回はその中の一つについて
お話をしたいと思います

それは

「前向きであること」

言い換えれば、
「ポジティブであること」ですね


例えばこのツイート

ほぼ毎日寝る前にこういうツイートをしていたり。

こういう前向きなツイートを引用してみたり

こういう前向きな活動を
微力ながら宣伝のお手伝いさせてもらったり

ラジバンダリ。(失礼しました)


ただ僕は
前向きな発言を全員にさせたい
そんな気持ちはありません。

このツイートにもあるように、
いろんな人がいるからこそのTwitterです

なのでこのnoteを通して伝えたいのは
ただの僕の昔話です

それがもしあなたに響いたのであれば、
前向きな発信をしてほしいですし

違うなと思うなら
こういう話もあるのかー
程度に見てください

このようなことを言う理由も
この先の昔話を読んでくださると
分かっていただけると思います。



そんなこんなで僕は「前向き」に
全振りしたTwitter運用をしています。

じゃあそれはなぜなのか

それについて今回は昔話を通して
お話をさせていただきます

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小学校時代は超ネガティブだった

ありきたりな切り口ですが、
僕は昔、本当に超ネガティブでした。

その主な理由は

学校でのいじめ
家庭の問題

特にいじめがひどかったです。

僕のいじめ経験については今後別のnoteで
取り上げる予定ですのでお楽しみに。


そんなこんなで

僕は誰からも愛されていない
僕なんて存在する価値ないんだ

なんて毎日思って、
ずっと悩んでいました。


そして
僕の父は厳しい人でした。

何か悪いことをすると
全力で僕を叱りました。

それこそ、男同士ですから
手をあげられることもありました。

今では
正当な理由があってこそのものですから
僕は虐待だなんて一切思ってません。


しかし当時の僕は
それが愛されていないからなのだと
思ってしまっていました。


そして学校に行けばいじめ。

僕には居場所がないんだ

本気でそう思っていました。


父の態度が変わった中学時代

中学でもいじめは続きました。

得意だった勉強も、難しくなる。

必死で続けてた野球も
うまくいかなくなってくる。

それらに
反発するようになった僕は

グレました。

絵に描いたようなグレ方です

夜遊び
校内でのケンカ
授業妨害

「もうどうでもいいや」

「誰も俺のことなんて見てない」

これらの気持ちから好き勝手暴れました。


これが続き、中3。

さすがに
高校のことを考えた僕は大人しくなり、
いわゆる「普通の学生」になり、
県内の普通の進学校に進学します

特に特別な理由があったわけではなく
自然とグレていた時期は終わりました。


この時期に不思議だったのは

あの厳しかった父が
何も言ってこなかったことです。


そして高校へ入学して、
高1の冬、忘れもしない出来事が。

「おい、台湾に赴任が決まったから行くぞ」


人生を変えた台湾での生活

今でこそ、
行ってよかったと思っている台湾ですが、
当時は本当に行きたくありませんでした

中学までのいじめが終わり、
野球も辞めてプレッシャーもない
生徒会も楽しい。
ようやく友だちができた。
なぜここから離れなきゃならないんだ

と思っていましたし、

父もそれを知ってるはずなのに
なんで無理やり連れて行くんだろう

とも思ってました。


結論から言うと
台湾での生活は驚きの連続でした。

言葉の壁については
触れるまでもありませんが、

一番驚いたのは

台湾にいる人たちは常に前向きだったこと


別に何かいいことがあったわけでもないのに

常にニコニコしていて、
すごくフレンドリーで。

正直気持ち悪い

これが行った当時の素直な気持ちでした。


そんなこんなで台湾での二年が経ち

気づけば、
別に何かすごいきっかけが
あったわけでもないのに

僕もニコニコして生活していました。

正直、台湾では語学はもちろん、
他の科目の勉強にも追われていたので
こんな変化に気づいている余裕は
ありませんでした。

逆に言えば、
あんなに勉強に追われていたはずなのに

それらを楽しんでいたのです。


日本へ帰るとき改めて
台湾での生活を振り返った時

おかしい、
なんでこんな前向きになれたんだ

と素直に疑問に思いました。


その時、父と二人で会話する機会があり
ずばり、聞いてみたんです

父はこう返しました

いいか。
気持ちは伝染するんだ
お前がこっち(台湾)に来るまでは
ネガティブな考えを持っていたのは知ってる
それでも、
俺がごちゃごちゃ言っても
後ろ向きな気持ちが伝染するだけ
なら、
前向きな人間に囲まれれば
お前が前向きになってくれる

だから無理やり連れてきた

父は父なりに
僕が中学時代グレてしまったことに
責任を感じていたみたいでした


だからこそ、
こうして新たな方法を考えて
僕を立て直してくれた。

この時、

その恩に報いたい

素直にそう思いました。


この理由は僕は台湾の人たちから
学んだことがあったからです

それは

見返りを求めない優しさ

それと

恩送り(Pay It Forward)

の精神。


この前向きな気持ちを僕だけでとどめるのは、
父や台湾の人たちからの恩を送ることにならない

見返りを求めない優しさって何だろう?

僕に何ができるんだろう?


その時、思いつきました。

もっと前向きな人が増えてほしい

そう思った僕はTwitterで
前向きな発言をするようになりました。


自分の前向きな発言が
自然と誰かを前向きにできるはず

そう希望を抱いて。


前向きな気持ちは伝染する

そう信じて。

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ここまで拙い物語を読んでくださり、
ありがとうございます。

これを読んだあなたに
少しでも僕の「前向き」が伝染すればいいなと
願っています。

プロ引用ツイーター、噛まないグミ。

グミのnoteを読んでくださり、ありがとうございます。 サポートしていただけたお金は、今後の自己投資に使わせていただきます。 もし、noteが参考になった!!と思っていただけたら、無理のない範囲でサポートをよろしくお願いいたします。