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親子の絆、なんてものはない

おひさしぶりです。つぐみです。

今回は本文書く前にタイトルつけたのですが
なかなかに尖ったタイトルつけてるなあと思っています笑

さて、これは将来親になった自分に向けて書こうと思っています。
(僕は長らく結婚願望も子ども願望もある人です)

例としてタイトルは「親子の絆」と書かせてもらいましたが
同じような意味合いで「兄弟の絆」や「同僚の絆」というものもないと思っています。

つまり何がいいたいかというと
自分が選んでいない何かに導かれた縁に最初から絆なんてものはない
ということです。

じゃあ親子に絆はないのかと言われれば、
あるかもしれないし、ないかもしれない。
という回答になります。

絆がある親子は、それは運命づけられた何かに頼ったものではなく
子どもに寄り添った親と、それに応えた子どもの努力の結果だと思っています。

絆は、創るものです。


親子だからずっと一緒だよね
夫婦だからずっと一緒だよね
恋人だからずっと一緒だよね

こういった言葉はある日から苦手になりました。
こういう肩書に頼ったような絆の保ち方が嫌になったからです。

もちろん、自分の素を受け入れてくれる人と一緒にいたり
相手の素を見ても許容できる関係はとても素敵ですし
僕にもそういう相手はいます。

でもそれは友だちだから、とか恋人だから、ではなく
「その人の素だから」という理由だと思うんですよね。

その「素」そもそもに良さを感じていたり、
多少問題があっても他の部分で補っていたり
そういう、何かしらの良さがあるから関わるんだと思います。

運命で人と出会うことはあっても
運命で人と仲良くなることはないんですよ、残酷なことに。


ちょっと昔話をします。

僕は昔、いわゆるクラスの中心メンバのような人間ではありませんでした。
どちらかというと、定期的にいじめの対象になったり
そもそもうまく人と馴染めなかったりと、そういうことの多い人間でした。

クラスの中心でいつも笑ってるやつが正直憎らしくて
なんであいつらはあんなに良い思いをしているんだと
ずっと思っていました。

今、僕にはたくさんの友人や頼れる人がいます。
嬉しいことに休日のお誘いはうまく調整しないと休みがとれないレベルです。

昔の自分と、今の自分、それほど変わっていないと思っていますが
ひとつだけ決定的に違うところが今回のお話の点です。

人との縁や絆は努力によって作るものだ

と強く認識して、人と関わっている点です。

どんなに昔良くしてくれた人でも、ある日突然人が変わったように
罵ってきたりしたら嫌になって離れていきます。

たとえ親でもずっと自分を否定してきたら離れたくなります。

僕はこういった気持ちは間違っていないと思います。

恩がなんだとか、孝行すべきだとか、いろんな意見があるとは思いますが、
それは自分が恩を受けて、それを返したいと思ったときにすべきです。

嫌々恩返しや親孝行をしたところで誰も幸せにはならないです。


そういった意味で、選ばれる人になるためには努力が必要で
選ばられる人が結局、縁も絆もうまく創っていくんだと思います。

繰り返しにはなりますが最後に

絆は、自身の努力から形成された魅力で創るものです。
肩書に頼ってはいけません。

おわりです。


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