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泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか_三浦綾子

1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書より~

◆経歴

1922年4月、北海道旭川市生まれ。高等女学校卒業後、17歳から7年間小学校教師を勤めるが、太平洋戦争後、罪悪感と絶望を抱いて退職。その後、肺結核と脊椎カリエスを併発して13年間療養生活を送る。闘病中にキリスト教に出逢い、1952年に洗礼を受ける。1959年、三浦光世と結婚。1964年、朝日新聞の1000万円懸賞小説に『氷点』で入選し作家活動に入る。その後も『塩狩峠』『道ありき』『泥流地帯』『母』『銃口』など数多く小説、エッセイ等を発表した。1998年、旭川市に三浦綾子記念文学館が開館。1999年10月、逝去。(https://www.hyouten.com/miuraより引用)

◆泥棒の罪

大事にしていたものや高価なものを取られても、生活を根底から覆されるような被害出ない限り、いつかは忘れます。少しは傷つくかもしれませんが、泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。

◆悪口の罪

だけど、人に悪口を言われて死んだ老人の話や少年少女の話は時折、聞きます。(中略)
それなのに、私たちはいとも楽しげに人の悪口を言い、また聞いています。これが人間の悲しい性です。
もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、怒ったり、くやしがったり、泣いたりする。(中略)
そのはずなのに、それほど人を傷つけるうわさ話をいとも楽しげに語る。

◆悪口を言ってしまう理由

私たちは常に、二つの尺度を持っているからです。
「人のすることは大変悪い」
「自分のすることはそう悪くない」
自分の過失を咎める尺度と、自分以外の人の過失を咎める尺度とは全く違うのです。

◆感想

非常に怖いことだと感じました。
「人に厳しく、自分に甘く」
意外とそういう人は大勢います。
しかし、そのささいな悪口がきっかけになり死に追いつめてしまうこともあり得ます。

人間に上記二つの性質があるということを我々は認識しておかなければなりません。
そして意識して、気を付けながら行動していく必要があります。
相手の気持ちに立って言葉を発すること、とても大切だと感じました。
我々の一番大切にしている家族の関わりの中では特に優しい言葉、思いやりのある言葉が必要です。
心して参りたいと思います。

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