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ライカ落下日記(復刻)

2005.3.2 ライカを落とした! しかも走行中の自転車から。 思い出しただけでぞっとする光景。 自分で作った革製ストラップでタスキがけにライカを下げて自転車に乗っていた。急に肩に軽い摩擦を感じて、今まで肩に感じていた重力がスッと抜けたと思うと、背後でゴン、と鈍い音がした。 自転車を止めて振り返ると、僕の視界の下隅方で、その物体はまだゴロゴロ転がっている。そして歩道の隅の金網の根元にようやく止まったその物体は、どう考えても、いや考えたくはなかったのだが、残念ながら考え

人物写真

以前にも書いたけれど、写真は表面しか写らないから、間違っても誰かの「内面」的なものが写るとかそういう話は信じてはいけないのだが、内面どころか「その人の表面」すら写ってるのかどうか心許なくなることがある。 被写体になってくださった方々には甚だ失礼な言い方になるけれど、そこに誰が写ってるか、というのは実は大した問題ではないのだと思う。僕は誰かを写しながら、その人を撮っているのではないのかもしれない。 結局自分自身を撮ってるのだ、というのも、残念ながら違う。すべての写真はセルフポ

叙情は廻る。土を掘れ。

7〜9年前の写真のベタ焼き(ネガをそのまま全コマ印画紙に密着プリントしたインデックス)の束が出てきたので、久しぶりにしげしげ見ていた。 僕の写真で「面白さ」という尺度でいうならば、おそらくこの時期に撮ったものがピークなのだと思う。昔の自分の写真を見て「面白い」と思うのはなかなか複雑なものなのだけれど(写真にとって「面白い」とは何か、という肝心な定義はとりあえず曖昧なままに放置する)。 人間の体を構成するアミノ酸が数ヶ月で全部入れ替わってしまうように、写真機のシャッター

写真とコトノハ

写真というのは表面しか写らない。 例えば人を撮ったとして、写るのはその人の表面であって、間違ってもその人の「内面」的な何かが写るとか、そういう傲慢なことを思ってはいけない。 大体人の内面とか人間性とか、そんな複雑なものが写真一枚に表現できるなんて安直に考えている人は、結局その人の「内面」的なものを侮っているのである。 逆の立場に立ってみたら良い。自分が人に撮られるとする。ちゃんとそれがそこそこ僕っぽく写っていたとして、それでも「これが君だ」と断言されたら「あなたが決めることじ