【エッセー】わたしに影響を与えた人びと

こんばんは。長雨の夜です。
長い文章を更新したあと、頭を整理したく、いったん冷却するため、昔のことを軽く書きたいと思います。
長文にはしません。
わたしの人生で、強く影響を与えた人びとを、3者あげます。

(1)幼少のころ、祖母
(2)高校時代、夏目漱石・芥川龍之介・三島由紀夫・吉村昭
(3)大学・大学院のころ、恩師たちと部活



(1)祖母は明治44年生まれ、92歳で亡くなりました。
 祖母が過ごした明治・大正・昭和の歴史について教えてくれました。
 祖母の出身は貧しい石工の長女、村の大庄屋で行儀見習いを覚えたそうです。#関東大震災 の話を知っている世代。田舎から東京に出て、東京・木場の大工と結婚、#東京大空襲 で自分以外の家族が亡くなり、故郷に帰ってから、商店や下宿経営など一代で一財を成しました。
 とにかく苦労してお金に困り、働き続けた人生でした。祖母には可愛がられて、いろいろな名言が思い浮かびます。その一つに、

「死に金を使うな、生きた金はどんどん使え!」

というのがあります。

 「20世紀の歴史は、革命と戦争の歴史」といわれます。
その後、わたしは業務で「革命と戦争」をそれぞれ違う場所で研究するわけですが、それも祖母の影響が根底にあると思います。


(2)わたしは、コンプレックスが多い人間です。他人よりも劣っており、自己肯定も低い人間です。心身とともに弱い人間。環境に負けてしまいます。ただし、好きなことは粘り強く、不器用な分だけ、何度でも何度でも挑戦したい。
 「理系思考の人間だ」と周囲にいわれます。当初は医学部を目指していたのですが、極度の色覚以上で、緑と赤がよくわかりません。医学など理系志望はあきらめました。
 美術が得意だったのですが、絵の先生にも「特徴的な色使い」するね、と言われました。わたしは、それを個性だと思うよう、考え方をしています、今は。
 また、考え方や発想がかなり変わっているので、他人の気持ちとのズレがありました。虚弱体質でほとんど小学校にも登校できず、布団で咳をしながら、天井を見つめるような幼少時代。いじめの対象にもなりました。今でいえば、#発達障害 だったと思います。ただし他人との格差を埋めようと、偉人の伝記や歴史の本を読みました。小学校の図書は、辞書以外ほとんど読んだと思います。
 中学生・高校生になって出会えたのが、夏目漱石・芥川龍之介・三島由紀夫でした。大学1年でハマったのが、#吉村昭 1927年(昭和2年)5月1日 - 2006年(平成18年)7月31日)です。きわめて史実に厳密な歴史小説、私小説、戦史ものが印象的でした。仔細は、また書きます。


(3)わたしは小学校と中学校の先生が大嫌いでした。
 前者は、ものすごくワンマンで教育意欲にあふれた20代の先生。委員長のわたしに、学級崩壊をなくすため、問題がある生徒同志との話し合いをさせ、約1週間ほど授業をボイコットした経緯があります。その先生に「おまえは統率力、リーダー性がない、不充分な人間だ」と言われたことが耳に残っています。成績も最低でした。休んで貯まった課題プリントは、集中して誰よりもはやくこなす事務力は養成されてましたね。
 後者は、市内でも有名な暴力中学校。校内暴力はもちろんのこと、授業放棄、カツアゲ、薬物、スクーターが校舎内を走り回り、窓ガラスが全部渡られたり、大変な状況でした。そのとき生徒会にいたのですが、先生が生徒に殴られて顔面から大量出血で血みどろ、1~3階の廊下を消火器噴霧する乱闘がありました。わたしは校長先生に直談判して、警察を呼ぶようにお願いしたのですが、願いは敵わず、全ての後片付けをまったく関係ない生徒・教員でやりました。卓球部に所属、真面目に練習していたときも、ラケットやボールにタバコの火をつけられて、体育館の部室が炎上しました。悔しくて泣きました。先生というオトナが信じられなくなりました。

※現在では、小学校は統廃合寸前、中学校は市内でも文武両道の有数学校に変化したそうです、うらやましい😢

 高校は希望どおり、旧制中学の地元進学高に、反骨精神で進学。自由に、好きなだけ勉強できました。授業中はだれも私語がない、教科書がどんどん進むのがうれしくて。先生と議論するのも好きでした。テストの問題も、記述式・論述式が多くて、暗記よりも思考力を問う。それが好きでした。有名大学に進学させたい、変わった先生も多かったですけど。

 大学進学のため上京、大学院での研究。ここで人生は一変。
 仔細はまた書きますが、「世のなかに、こんなに高貴で、賢い人がいるんだ」と感動しました。また、読み切れないほどの名著、貴重書。設備は日本でも最高峰。授業料以上に、専門書を読みました。乱読乱文を書きまくり、レポート提出の日々。先生の紹介で、他大学の講義も受講を進めて頂きました。
 人格的かつ技術レベルに優れた運動部 #卓球部 先輩・同期・後輩みなさんとの出会いがありました。上京して研究に悩んでいたときも #鬱 にならなかったのは、毎日・定期練習4時間+自由練習3時間があったからです。卓球はひとりでは出来ません。ラリーしてくれる練習相手がいればこそ。ゆえに、試合相手は尊敬するんだという精神を学びました。
 学生時代は、図書館と練習場に通う日々で、毎日通学していました。

 文武両道といいますが、なにか「やりたいこと」が両輪になると、人生はそれなりに、まっすぐと進みます。


 それから、専門職に就いてからは・・・・また別の次元の話。
中央官庁バリの #過労死 寸前、部屋で倒れてしまう。
#パワハラ で仕事を辞めさせられて、いまだに障がいが残って闘病中。

「人生塞翁が馬」

次なる、新たな人生が始まりました!

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