「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」

こんばんは。まず、ニーチェの名言から。

▽私の現状から始めます。身体が不調で、闘病中です。似た症状の方々、専門医のSNSを見て、知識を得たり、励まされたり、共感する日々です。「治らない」という現実があります。そのなかでも、体調が少しでも良くなればいいのですが、どうも上手くいかず、焦り、悩み、苦しみます。

入院した病院(※1)から転院しました。以前、入院していたときは患者同志で話す時間がたっぷりあったわけですが、退院後はつきあうことなく、転院もしたので、半年ごとに移動する今の主治医の話だけで十分かどうか不安になりました。最初の文章も、あるツィッタ―との出会いの言葉です。ダメな患者がいれば、ダメな医者もいる。医療従事者でも同じ病気になる可能性はあり、そのときから患者側の目線にならざるをえない。「明日は我が身、他人ごとではない」わけです。主治医とうまくゆかず、ズレることがありました。そのときは静かに批判も意見もせず、転院することに決めました。ここの病院は自分で治せる患者をえり好みところで、罵倒を受けました。この医師と看護師はたぶん自分が同様な病気になることを分かっていないんだと思いました。

▽人間とは。自分とは。わたしは、落語が好きなのですが、談志師匠の言葉で、「落語は人間の業(ごう)を説く」という一説があります。人間とは、ずるい生き物です。うそをついたり、いいわけしたり。他人を羨んで嫉妬したり。

病気になって「自分とは」直視する時間が増えました。まず、できることが限定されて、日々自分の体調が気になるからだと思います。調子いい日、具合が悪い日が顕著になり、自分のHP(体力)やMP(思考能力、魔法は使えませんので)の残量が気になってきます。

病気は自分一人だけ抱えても治らない(良くならない)と思います。医療従事者や家族や周囲の方々と一緒に治すつもりでいたい。また、病気である自分と向き合う時間だと思います。人間は必ず死ぬ、これが必定です。そのまえに病気になるのは「病気=自分と向き合うこと」を強いられているのではないか、と思うのです。

▽わたしの原体験に「戦争」があります。激戦地における戦争体験者のおはなしでは、銃弾が飛び合うなか、となりの戦友が一瞬でふっと戦死するそうです。または、戦病や餓死で苦しんで戦死することも多かったとか。死ぬことは苦しむことだと思うようになりました。安らかに穏やかに亡くなることは、わたしの人生にはありえないです。

▽わたしの、いまの戦闘は、病と闘うことです。【※1】入院したときの記録を数回公開して、もう一度、自分を見つめなおしたいと思います。脳の障がいで、冷静に深く考えられる時間には「制限」あります。

つづく

《予定エッセー》

◆「はじめての入院と療養日記2016」その1

◆「はじめての入院と療養日記2016」その2

◆「はじめての入院と療養日記2016」その3 

◆<おわり>「はじめての入院と療養日記2016」その4

◆「退院後はじめての出張その1」娑婆に出た日

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