未来文明史論2019(10)~22世紀の「戦争と教育」論

残暑お見舞い申し上げます。猛暑日が続いておりますが、お元気ですか。

6月23日 #沖縄慰霊の日
8月6日 #広島原爆の日
8月9日 #長崎原爆の日
8月15日 #戦没者追悼式
ほか、各地の空爆被害を受けた慰霊祭

あの戦争で多くの犠牲を出した被害者を思い出し、謹んでお悔やみ申し上げます。みなさんが経験した労苦を二度と起こさぬよう努めるとともに、次世代にも承継することを誓います、黙祷。


【未来予測】
 教育とは、本来は人が人を育て、学ぶもの。先生と生徒との関係は、上下関係でもない、親と子との関係でもない、ゆるい子弟関係なのである。
 教育の成果は10、20年という短いスパンで出るものでもなく、その一生、人生80年で形作られるものである。よって100年後の未来では近すぎるかもしれない。未来予測も複数挙げてみた。

(1)人間の教員が教えない「学校」があらわれる。
(2)20・21世紀型「学校」がなくなる。
(3)独裁者のもとで、洗脳教育が「国家安全」名の下で、脳に直結するインタフェースで「学んだ」ことになる。


【思索の過程】
(1)#独裁者 論のつづきになります。2019年2月、再放送8月9日。


「BS1スペシャル「独裁者ヒトラー 演説の魔力」 - NHKドキュメンタリー」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/2225658/index.html
 視聴した。実際の演説を聴いた人びとの証言、約150万語におよぶ演説文という「ビックデータ」を解析、今だから聴きとれる #オーラルヒストリー #証言記録  が見事だった。ただし、ヒトラーのカリスマ・雰囲気・魅惑をどのように科学的に位置づけるのか、いま流行りの経営者のスピーチ技術、身振り手振りなどの技術論ではない。党大会に参加した人々の期待や想い、当時の社会雰囲気がカリスマを求めたに違いない。


 そのなかでも、ナチ党を支える子弟グループ「ヒットラー・ユーゲント」の教育とその魔力にひかれた。99歳の元体験者は、今でもヒトラーを心の中で支持しており、選ばれたものが参加できるニュールンベルクの党大会の参加を誇りにしていること。自分はヒトラー・ユーゲントであり、もともと捨て子だったのに、養育してくれた両親は愛国主義者。ところが父親がユダヤ人であり1年の強制収容所で「ひととなり」一変し、精神を崩壊された状態で1年後に病死。思春期だった当事者の葛藤など描いていた。
 研究によって、1935年ごろをきっかけに、ヒトラーの演説内容は大きく変わり、ラジオが普及、「ユダヤ人は敵」という用語が増えて、その影響が教育に如実に現れている。《ほかにも要点がありますが、割愛》


(2)日本の戦争の記憶について
 戦争体験者と戦争を知らない世代との違いは大きい。しかしながら、人には「伝える力」と「想像力」がある。戦争体験者が残したものを、語り継ぐ義務があるのではないか、と思うようになった。

『平成最後の全国戦没者追悼式、注目集めた陛下のお言葉』がとても印象に残ったので、引用します。戦争体験された方でしか書けない内容です。


『「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来既に70年,戦争による荒廃からの復興,発展に向け払われた国民のたゆみない努力と,平和の存続を切望する国民の意識に支えられ,我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という,この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき,感慨は誠に尽きることがありません。
ここに過去を顧み,さきの大戦に対する深い反省と共に,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心からなる追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。』

【FNN プライム 報道記事】2018年8月15日
天皇皇后両陛下は8月15日の終戦の日「全国戦没者追悼式」に臨まれました。今上陛下にとって最後、平成として最後となる全国戦没者追悼式。
陛下は、正午ちょうど1分間の黙とうに続き5000人を超える遺族の前で、お言葉を述べられた。
https://www.fnn.jp/posts/00351420HDK

※陛下(現在、今上上皇陛下)は小学生6年生11歳の時、疎開先の奥日光で終戦を迎え焼け野原となった東京に戻られています。その時見た風景は、今も陛下の記憶に鮮明に残っておられるといいます。「戦争体験者」としての視点がある。また、日本の近代史は戦争の歴史であり、明治・大正・昭和天皇ができなかったことを一生かけて行い、「戦争の悲惨さを風化させない」「平和な世界を祈る」という大切なテーマについて指摘された。
 令和元年8月15日、今上天皇陛下のお言葉が気になります。


(3)平成の教育現場について、22世紀の大学教育。
 わたしの出身の市立中学は、男子全員丸坊主でした。まるで軍隊式の授業、教壇が一段高く、先生は竹刀もっていたり、とても怖かった。

 ある県の私立中高一貫校(※新設で、東大・早慶大を多数進学する実績がある)から「講師」依頼がきた。目玉の公開授業であるという。後輩が教員(※学年担当ではなく早慶進学コース担当)をしているため50分という限られた時間で、どんなことを研究して、どんなことに悩んでいるのか等、発言するのはとても難しかった。
 そこで、担当の先生から「※平和学習の授業ではないので、できれば東大・京大進学するモチベーションアップになるような話をしてください」と念をおされて、あきれてしまった。そもそも、※平和学習という言葉は使いたくないのです。題材は「戦争体験者」とはいえ、どんな学問で、史料があり、その読み方や批判、オーラルヒストリー収集の難しさを触れたつもりが、誤解を与えたようだった。研究の面白さを伝えられないのは、教員の責任である。
 生徒の反応もよく耳を傾ける一方で、とても素直で真面目な生徒から「先生の話のポイントだけを教えてほしいんです、レポート評価になるので」という質疑応答。非常に怖い教育の現場にいることに、震えた。もちろん、すべての学校がそうではなく、極端な事例である。帰宅時に、別の大学理工系の先生とも話していたときも「こういう要望が増えているんです、大学の意味が分かっていないんですね。」と。大学に行くだけが目標であることはとても怖いことである。

 私が訴えたいのは、大学は、過酷な受験を経て、義務教育の場でも行儀見習いを覚える場でもなく、だれも考えたことがない、答えがない未知なる世界に挑戦する場だと思う。大学の教員も専門書籍も実験もきっかけにすぎず、大学でしか会えない友人や諸先輩後輩とともに、「新しい世界を切り開いてほしい」と思う。教わる姿勢ではなく、自分から貪欲に学び取るでありたい。

 ところが、いまの教育は「期待する人間像」があり、それに基づいて、教育・受験が行われている。ある私立学園では、個人の政治家を崇拝し「教育勅語」を幼稚園児に暗記させていた。そのほかにも似た事例の教育はないだろうか。たとえば、いまの文科省は「政治家が自分を支持してくれる人間像と官僚が作った国家構想を無条件に受け入れてくれる人間をつくる場」を形成する施策を取っていないだろうか。まさに「ヒットラー・ユーゲント」ではないか。
 また大学・大学院の研究成果がポイント化させて、今後の大学経営は財務省の指導のもとで、各県にあった国公立大学はすべて統廃合、旧7帝大のみ。私立大学の助成金は打ち切られて、富裕層しか進学できない、幼小中高大一貫の私立大学のみ残ると予想。また、実績や研究評価基準が、世界的な応用研究を目指すべく、地味な基礎研究は無視されて、不老不死や軍事など「金になる研究」のみが重視されてゆく未来を予想。論文数など水増し、研究費の流用など常時おこなれる研究の現場になるかもしれない。iPS細胞の臨床困難さ、小惑星調査はさぶさ1・2失敗など現状の厳しさを見ても、成果を焦りすぎる研究では現場大混乱であろう。

 2020年、教育の一大改革が行われる。大学入試センター試験が廃止されて、新システム導入される予定。
今後、超高齢化少子化社会がより一層すすんでゆく。教育の質も問われる。
優秀な生徒は、まじめで素直であり、多くのことを吸収してくれるだろう。ただし、人間のほうが人工知能よりも「自己批判力」が低下しているかもしれない。

 学校は通過点、有名企業の就職で幸せな生活は求められますか?国際経済は戦場のようである。大国のエゴとエゴが衝突している現状。そこを生き残れる教育には、なにか「+α」必要となるだろう。
 教育で「失敗」は許されない。戦前の軍事式教育、戦後のゆとり教育への責任はどうなったのか?何度も同じ過ちを繰り返して、それが戦争につながる熱狂した社会を産まないか、危惧している。インパール作戦を作った参謀も、あの教育が生んだ優秀な官僚軍人だったから。


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