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和泉愛依の心模様。〜Stay just the way you areを読んで〜

どうも、かめちゃんと申します🐢

今回は、enza版シャニマスのイベントコミュ「Stay just the way you are」を読んだ感想を少し書いていこうと思います。

告知がなされた段階で覚悟はしてました。和泉愛依担当としては読んでおきたいコミュだったかなと思います。

過去コミュ解説とかはあまり挟みません。が、今回は愛依の心模様に焦点を当て、少し先人の知見を交えながら考えていきたいと思います。

⚠️注意事項⚠️
・以下はコミュのネタバレを多分に含みます。
・突然、研究の話が挟まります。
・本投稿で紹介されている情報の正確な内容については引用元をご確認ください。


オープニングでは、愛依が人に優しくする背景について、愛依と母のやりとりの回想が流れます。

回想
現在

これまで、愛依はストレイライトの内側だけに限らず、外側に対しても(つまり誰に対しても)、自己犠牲を厭わない利他的な行動を取ることが多く描かれてきていました。

愛依の行動理念の礎には和泉家の教えが影響していそうです。



さて、ここで少し、先行研究を見てみます。

例えば、受容的な養育態度、特に母親のそういった関わりは子どもの向社会性を促すということは、心理学研究の中でも扱われています(森下・庵田,2005 ; 辻道ら,2017など)。

また、身近な大人から自らが行なった向社会的行動に対して、「あなたは優しいね」など、パーソナリティに帰属する声かけをしてもらえるような経験は、その後の向社会的行動を促進するということも明らかになっています(Grusec & Redler,1980など)。

これらのことも踏まえると、やはり愛依の利他的行動(向社会性)を支えている大きな背景として、和泉母の関わりということがあるのだと考えられます。

さて、シナリオに戻ります。
今回、キーとなる1人が「飾ちゃん」です。
あさひのサポカコミュから推察するに中学生年代で、まだ番組にも出たことがない駆け出しのアイドル。
愛依に憧れ、チャンスを掴もうとする「追う者」です。

彼女と親交を深める中で、チャンスのきっかけになるやもしれないオーディションが舞い込みます。

愛依は飾ちゃんと約束をします。
2人で共演すること。自分も負けないし、彼女もチャンスを掴む。それが理想的な形でした。

ただ、飾ちゃんはまだ場数が少なく。いざオーディションとなると固くなってしまうという事態に陥ります。
審査員も、当然愛依もそのことに気づきます。そして本人も。

彼女は、上手くいかなかったという思いを抱えたままステージを降ります。愛依とステージに立つという"約束"。彼女にとって、それは大きな目標であり、"夢"であったと思います。

愛依は感じます。それを奪い去るのは、自分かもしれないと。
ストレイライトの中であさひや冬優子という、超えたい存在がいて上を向いていた愛依にとって、気付かない間に自分が何人もの"夢"を奪う者であったのではないかと。

ジムシャニにも近いお話がありました。
アイドル、芸能という世界は眩い光の影に沢山の涙がある。

愛依は迷います。

結果的に愛依は、ベストのパフォーマンスを尽くすことができませんでした。

飾ちゃんは愛依に憧れる存在だからこそ、愛依のことを沢山見て、ベストではないことぐらいすぐにわかったでしょう。上記の発言は、飾ちゃんの本心そのものであると思います。

そして、愛依は自分の"甘さ"が飾ちゃんを傷つけてしまったのではないか、と考えるようになるのです。

愛依は自問自答します。

良くなかったことを振り返る、というのは成長のために繋がるプロセスの一つです。
ただ、愛依の場合、それはネガティブな反芻思考に陥ってしまっています。

ネガティブな反芻は、抑うつとの関連が多く報告されています(例えば伊藤他,2005)。
抑うつ状態とは、自信を失ったり、自責感を抱いたり、集中が困難になるなどといった状況を含む状態です。

まさに、今回の愛依が陥った状況に近いのではないでしょうか。

さて、シナリオに戻ります。
愛依が言っている「ストレイライトは誰にも負けない」という思考。これはユニットの中の信念的な部分であり、確かに愛依を成長させてきたものの一つです。

愛依は失敗してきたアイドルです。
VS.でも、マイコレの【何度転んだって】でも。挫折してきました。
これらの挫折を経て、愛依は立ち上がる強さを手に入れたように映っていました。

でも、愛依もまだ10代の若い女の子です。
成長していても、それは直線的な右肩上がりだとは限りません。
ただでさえ、10代後半は特に多感な時期です。一つの挫折から受ける影響も大きなものになることだってあるのです。

今回の挫折を経験する中で、「ストレイライトは負けない」という考えは過度に理想化されたものとして、愛依を更に追い詰めることになっていきました。


Rogers,C.R.による自己理論というものがあります。理想的なイメージ(理想的自己)と実際的な経験や体験(現実的自己)の一致している程度が少ない時、不適応的な心理反応に至るというのが自己理論です。

愛依は、自分が飾ちゃんが上手くいかなかったことを聞いた状況においても、そこでベストパフォーマンスが出せなかった自分という結果に強い自責感を抱きました。"負けない"という理念は、結果と強く結びつきます。沢山の結果と出会い、飾ちゃんが憧れるほど勝利を重ねてきているのだと思います。

元々はモチベーションだった理想が、なまじっか結果を伴ってきたことにより、結果によって理想を追い求める側面が強まってしまったのかもしれません。

当然、歩めば歩むほど、勝利へのハードルは高くなります。グレフェスだって、上のグレードに上がれば勝つのが難しくなるのと同じです。そうして、同じフレーズでも理想が知らず知らずに上がっていき、現実が伴わなくなってしまった時に、今回のような不適応的な状況に陥ってしまったのではないかと推察できます。

Pに対して
冬優子に対して

愛依はだんだん、Pやあさひ、冬優子と距離を置く選択をとりはじめます。
これまでなら頼ることができていた相手に対して、これまでとはまるで正反対の行動をする愛依の異変に周囲が気付きます。


自己のネガティブな側面に注目を向け続けるとどうなるか。
心理学研究の中では、社会的孤立や対人摩擦が起きやすくなり(Nolen-Hoeksema et al.,1994)、対人関係の困難に波及していくと言われています。

まさに、今回のような状況です。
周りを遠ざけ、援助を求めない。


援助を求める(援助要請)が自立した形で行える人に比べて、過度に回避的、つまり援助を求めない今回の愛依のような人はどのようなことが考えられるでしょうか。


永井(2019)は、援助要請を行わない「回避型」の人の特徴として以下のようなものが可能性としてあるのではないかと挙げています。曰く、
・他者と疎遠になりやすい
・肯定的側面を捉えづらい
・自己決定力が低い
・抑うつ的になりやすい
などなど。

もちろん、独力で問題解決が行える場合は良いのですが、やはり他者に助けを求めない分、得られるサポートは減ってしまうということもあり、解決に至りづらくなることも往々にして考えられます。

愛依は援助を求めない理由を、自らの"甘さ"にあるとして、意図的に助けを求めない選択をしました。

が、それを彼女の周りはすんなりと受け入れはしませんでした。

なぜか。
愛依がこれまで、与えてきた側だったからではないでしょうか。

冬優子は愛依が撮影現場から持ち帰ったケーキを一緒に食べようと言われ、それを明確に"善意"として受け取っています。

あさひも、一緒に怒られた方が良いと言った愛依のことを損だと言っていますが、愛依がそっちの方が良いと言ったことに対してはよくわからないながらも納得している様子があります。

愛依が母から教えられた「いちにちいちぜん」の精神は、ちゃんと相手に届いていました。
だから愛依が苦しんでいるなら手を差し伸べたいと感じたのだと思います。

冬優子やあさひがとった行動は決して誰に対しても行うものではないと思われます。
いわゆる誰にでも優しいというのは、ことストレイライトにおいては特に愛依に顕著に描かれている特徴であり、多くの人は相手を選んでサポーティブに関わるはずです。

先行研究では、対象が自分に近しい関係性にあるほど、あるいは自分にとって重要な相手であるほど向社会的行動を生起しやすいということが示されたものも存在しています(Fehr et al., 2008
Weller & Lagattuta, 2013)。

このことからも、愛依が近しい相手であるからこその行動であると考えるのが自然かと思います。

私はこの流れが、すごく素敵だなと感じました。
そしてPも。
ありきたりかもしれません。でも、やはりそれは今までがあったからこそのものだったように思うのです。


そして、愛依にとって、自ら助けを求めないという縛りを課してしまった上で、情緒的なサポートを与えてもらえることは、心強かったのだろうと推察できます。

青年期女性の場合、情緒的なサポートは、道具的なサポートよりも抑うつに対して効果的であるということが報告されています(福岡・橋本,1997)。

ここでは、具体的にどうするかということよりも、心配しているということを伝える受容的なメッセージを届けることに意味があったのだと思います。


愛依は決して2人のことを信頼していなかったわけではありません。ただ、頼ってしまったらそこに依存してしまう。そのことも"甘え"なのだと考えていたのだと思います。

でも、そんな"甘え"すらも受容できる関係性がストレイライトにはありました。

今回のコミュでは、Pが「友達」と表現しました。これは、過去に愛依自身が2人に対して発言したものです。



今回の一連の愛依の挫折。
紐解けばプロとしての意識として"甘さ"は確かにあると思います。

ただ、こんな言葉もあります。

「ピークパフォーマーとは優れた“チーム”プレイヤーのことだ。必要な時にチームメイトを励まし、勇気づけ、サポートすることに心を砕く。多くの模範選手の中でも常に尊敬に値する言動をとるが、それはチームを有効に機能させるために必要なことだと考えているからだ」。

Michael Jordan

それは和泉愛依が、潜在的に行なっていることで、愛依が"甘え"として断じた部分でもあります。

先の冬優子の発言にもあるように、愛依のその"甘さ"はストレイライトというチームにおいて必要不可欠な役割を果たしていることを私たちは知っています。


とはいえ、この部分についてはもう少し今後も向き合っていかなければいけない課題になりそうです。
愛依は、W.I.N.Gなど、我々がプロデュースできる部分に関してを除き、シナリオにおいて、明確に強烈な体験としての個人の「勝利」を手にしていません。

最近実装された【あたし・マスト】の愛依は、長きに渡ってしこりのように残っていた課題を打破しました。愛依自身もやりきったと感じていたし、届いて欲しい相手にもしっかりと届きました。

ただ、これは愛依の課題の一つであった、「うち」と「あたし」をどのように受け入れていくかの部分についての進展です。

愛依と他の2人との差に対して感じている
リスペクト→自分の至らなさ
という変換については、今回のコミュでも根本的な解決には至っていません。

この2つのテーマは今後も愛依が向き合うべき課題として、ともに歩んでいくのだろうと思います。

大事なのは、その向き合い方。
今回、愛依が選んだ方法は不健全で"正しい"とは言えないものでした。


自分の力で向き合うことは、"甘え"からの自立を考えていく上で大事な作業です。その作業の過程で、主体性は重要な要素であると考えられます。
青年期女性においては、自立を目指す上で、他者と一線を引いた関係性を持つようにしている側面があるのではないかという指摘(山田,2011)があります。そういう意味では、愛依の選択は何も特別な行動ではないのかもしれません。

しかしながら、甘え(依存)は自立を妨げるものではありません。適応的な自立のためには、他者から独立していることだけでなく、むしろ適度に人を頼ることができる方がより重要であると考えられています(平田,2010)。


先に挙げたように、今回の愛依のような助けを求めない姿勢は、抑うつを高めてしまうことがわかっています。
逆に過剰に求めすぎるようになると、それはそれでサポートをもらえる量は増えますが、結局抑うつは高くなるとも言われています(永井,2019)。
やはり、その点においても適度に助けを求められるようになることが重要で、パフォーマンスを高める意味でも1人で抱えすぎることは非効率であるとも言えるでしょう。

ただし、今回のような、情緒的なサポートだけではこれからの課題は解決できないこともあるかもしれません。

愛依のこれまでの利他的行動を、彼女の周りの人々はちゃんと見ています。
然るべき時にきっと助けになってくれるのではないかと、期待しています。


おわりに

今回、このような変な形のnoteを作成したのは、2つの理由があります。

1つは、過去コミュを踏まえた感想を書こうと思った時、先人の二番煎じになってしまうと考えた点です。
愛依のnoteで好きなのは、のなめさんの記事なのですが、それを読んだ上で自分なりのことを書きたいと思ったというのが1つです。

2つ目は、私個人として、現段階でこのコミュを評価することが難しいと考えたためです。

というのも、今回のコミュは簡潔にいうと
和泉愛依が悩み、それを友人らがサポートしてまた前を向いた話」かなと思います。
ただ、今回の結末は、何かを打破できたのか?という部分において現段階では疑問が残ると感じたからです。
悩みを解決しきったとは言い難い部分があり、この点は今後のコミュでの彼女の歩みをみないと、このコミュの意味合いを捉えきれないと思うのです。


今回のコミュはかなり愛依にフォーカスが当てられていて、一部では「愛依のコミュ」だと認識されているようなポストも拝見しました。

僕の意見としては、アイドル・和泉愛依を描く愛依のコミュというよりは、ストレイライト・和泉愛依を描いているという点においてストレイライトのコミュだったなと感じています。
だからこそ、糸口になりえるのはストレイライトでしかなかった。



とはいえ、いつもの少年漫画ばりのアツい展開が多いストレイコミュにおいてやや特殊な立ち位置にあるコミュだなぁと思いました。
でも、すごくアイマスだなぁとも思います。
アニマス20話の千早、デレアニ24話の卯月。仲間の存在が前を向くきっかけをくれました。

後は、羽ばたくだけなのです。
彼女が羽ばたく、その空の果てまで。応援を続けたいなと思います。


余談

今回取り上げた先行研究は、Webの海を泳げばすぐに見つかる、いわば情報のかけらたちです。

かじった心理学の知見を補強できるものを、ほんの1.2時間で見つかった情報から書き連ねたものである点はご留意いただきたい。

エビデンスは日々更新されていきます。
今回紹介したものは不変絶対のものではありませんので、詳しくはご自身の目でもお確かめくださいませ。

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