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放課後にはいつも彼がいた

先月地元の友だちの結婚式があった

彼は中学の同級生で
家は歩いて3分、ダッシュで30秒
だいたいいつも自転車で行き来してたから
ダッシュなんてしたことはない
それくらいとてもとても近いところに彼はいた

放課後彼の部屋で友だち数人と
一緒にゲームをした20年前の日々が懐かしい


彼とは中学の1年と3年に同じクラスだった
修学旅行は同じ班だった
たしか京都の二条城と南禅寺に行って
ぼくらのグループはだらだら周っていたので
宿に着かなくては行けない時間に大幅に遅れ
先生にめちゃめちゃ怒られた

集合写真を見返すと
ぼくらはアシックスの色違いのエナメルバッグを
肩から斜めにかけていた

部活も同じだったから
放課後は3年間ほぼ毎日一緒に過ごした
ぼくらはサッカー部だった
ぼくはキーパーで彼はサイドバック
3年間ぼくの視界から
彼がいなくなることはなかった


中学を卒業すると
ぼくらは同じ塾に通った
一緒に通おう
なんて言葉はなくて
ぼくが通い始めたところに
すでに彼は在籍していた

高校を卒業して大学に入ると
ぼくらはその塾で講師になった
またぼくらは放課後を一緒に過ごすことになった


大学生になると放課後と言わなくなった
気がするけど
ぼくは放課後という時間というか
空間が好きだった
大学の授業が終わったあとの
なにもない時間も放課後だし
バイトのあとの家までの時間も放課後
休みの日の予定のない余白も放課後であると
ぼくは勝手に思っていた


彼はお酒が弱いこと
彼は阪神ファンであること
彼と一緒に名古屋に旅行したこと
その名古屋に彼が就職してから転勤したこと
彼の一発ギャグが一緒にいたみんなを
笑顔にしたこと


ぜんぶ全部ぼくはこの目と耳と頭で
しっかりと覚えている
放課後に起こった日々のことを


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就職して数年が経って
彼のおじいちゃんが亡くなった

彼のおじいちゃんはぼくらが中学のころ
早川という小田原の方の川へ
釣りに連れて行ってくれた
彼のおじいちゃんとの想い出と呼びべきか
わからない記憶は
そのときのことしか
ぼくの頭の中には残っていない

でもあの川の水温とか
全然釣れなかった帰り道とか
ずいぶん長く乗った東海道線とか
20年近く経ってもあの日を覚えている

彼のおじいちゃんのお葬式のとき
ぼくはめちゃめちゃ泣いた
彼のおじいちゃんがいなかったら
彼はいなかったのかと思って
めちゃめちゃ泣いた

彼がいてくれたから
ぼくの中学からの放課後は楽しくて
賑やかでぼくは自然と笑顔になれた
彼のおじいちゃんに今でもお礼を伝えたい
もちろんおばあちゃんにも


そして彼のおかあさんにも


彼のおかあさんが結婚式で声をかけてくれた
ぼくが中学のころと変わらない身長と表情で
あのときのままキレイなお母さんだった
ぼくのことを「かめちゃん」と呼ぶ
声の質まであのときのままだった
彼のお母さんがいなかったら
彼はここにいなかった
結婚式でやっぱりぼくは泣きそうになった

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結婚式での彼はずっと笑っていた
冗談を言って人を和ませ安心させる
いつもの彼がぼくの目の前にいた
隣の奥さんもずっと笑ってた
二人の優しい目がなんだかとても似てると思った


大人になると放課後という概念がない
「課長今日の放課後なにするんですか?」
なんていう部下がいたら
きっと明日有給取れとか言われそうである


ぼくが彼に会うときはいつも放課後だ
気持ちは中学のときの放課後にいるときと
なんら変わらない
話の中身なんてほぼないに等しくて
全く代わり映えしていないいつもの放課後

人生のなかでぼくたちの放課後は
これからも続いていく


きっと明日あのときに戻っても
ぼくは自然と口にしていると思う


「制服着替えたらすぐ家行くわ」


親友の幸せが続くことを心から願っている







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