本当に神様は人間が可愛いのでしょうか?地震とかテロとかで不特定多数の人間が亡くなるのはなぜ?

地震とかテロとかで不特定多数の人間が亡くなるのは、神様が間引きしてるのでしょうか?それとも罰?本当に神様は人間が可愛いのでしょうか?
何故罪も無い赤ん坊とかの命を奪うんですかね?教えてくださると幸いです。

Twitterで織姫さんという方が私の投稿に対するリプの形で質問をもらいました。私の投稿は以下です。

この道は、知恵学問の道やない。来る者に来なとは言わん。来ぬものに無理に来いと言わんのや。190「この道は」~知識や教養は大切だが、それだけで世の中は語れない。ともすると人間は、自分の持つ知識の尺度に合わないものは排除しがちだが、神様の世界はちがう。
すべての人間は皆かわいいわが子。「一列を一人も余さずたすけたいのや」との切なる思い。救いの道は万人に開かれている。#生きる言葉
#天理教教祖伝逸話編

感覚的にはわかっていても、いざ人に説明しようとすると今の私では無理だなぁと思い、教友の宗教家コラムニストはかせ君https://note.com/hitokotohanashiに尋ねてみました。

そして以下の問いの答えを教えてもらいました。織姫さんの質問へのひとつの答えとして、そして私にとっての学びとしてここに記載することにしました。(ご本人の許可を得ています)


まず、天理教では神の祟りといったものは一切無いと教えられています。
神様は人間のことを可愛いと思う一筋の心で人間を見守っておられます。
それなのに、なぜ世界にはこんなにもまだ悲しみが存在するのか。


それは、人間の心が自由だからです。
天理教の神様は、全知全能ではないと私は考えています。
元々は全知全能で、その働きによってこの世界と人間を創造されました。
けれど、そもそも何故人間を創造したかと言うと、人間に心の自由を与えたかったからです。
裏を返せば、全知全能をやめて、自分の思い通りにならないものを創造したかったからで、それが人間の心です。
何もかもが思い通りになる世界というのは、何も予想外が無く、味気なかったのです。
そう思って人間を創られたわけですが、人間が自由にしていればそれで良いという神様ではありません。


およそ10億年かけて今の人間にまで育てる間も、ずっと子どもが可愛いという思いで育て続けてくださった、親の神様です。人間がみんな幸せに暮らすことをいつも望んでいる神様です。


その点で、神様の本質は善です。
ですから、地震やテロで、何の罪の無い赤ちゃんが亡くなることに、神様もとても心を痛めています。
そんなことは起こらなかったら良いのにと、神様も思っています。
しかしそうならないのは、神の力よりも、人間の心の自由の方が優先されるように、この世界の仕組みができているからです。

テロを起こすのは人間です。
神様もそのテロを起こすのは止めたいと思っていても、人間には心の自由がありますから、そのテロの首謀者は、自由にテロでさえ行うことができます。テロと言えば規模が大きく感じますので身近な例で言えば、神様は人間同士に仲良くしてほしいと望んでおられます。
けれども私たちは、身近な人と今日も喧嘩をすることができます。


それは、人間の心が神様から自由だからです。
ですから、テロを止める方法は、テロを行う人自身の心、その周りの人の心、世界の人の心が変わっていく以外に、方法はありません。
神様では止めることができないのです。


もちろん、神様は単なる傍観者ではありません。
私たちがテロを無くしたいと心から願い、その為に行動した時、神様はその心を受け取って、人間の心は変えられませんが、何かその人の心に気付きになるような出来事を、世界の上に見せてくださいます。


世界が善の方向に進むことを願っている神様と、同じ心になって世界の為に働く時、神様はその働きに力を貸してくださいます。


それが、私たち天理教の信者が信仰し、活動する意義だと思っています。

地震について言えば、地震が起こるのは、プレートが動いているからです。
そして、もしこのプレートが動いていなければ、実は地球温暖化の原因になる二酸化炭素は地球内に取り込まれず、地球は何十億年も昔に生命の暮らせない星になっていました。


この地球上で人間が暮らしていく為には、プレートは動いていないといけません。けれど何もかもがプレートにそって動き続けたら、私たちの住まう陸上は何度も海に沈み、その度に私たちは生き方を変えねばなりませんでした。
そうならない為には、地震は必要なんです。
地震が無ければ、私たちは地球上で生きていけないのです。


それは、台風や火山の噴火や雷など、全部同じです。
雨や風が無いと生きていけない私たちが、その仕組みを必要とする時その働きを永続的に続けていく為に、仕組みとして災害は起こらなくてはなりません。
そしてそれはある程度は自然現象であり、神様が全て支配して意図的に起こしているものだとは私は考えていません。


もちろん、時にはそうした災害を通して、私たちに気付きを与えようという思いもあるかもしれません
が、それはあくまで、いつかは起こらなくてはならない災害を、なるべくずっと食い止めてくださっていた神様が、やむを得ず、まだちょうどマシに済む良いタイミングで起こしておられるのだと思います。

私たちが何に気付くべきかというと、私たちはそんな温かい心の神様から生まれた、兄弟姉妹だということです。


そのことに気付き兄弟姉妹同士が助け合う世界にしていきたいと、私は信仰しています。


そしてその先には、テロを行う人も居ない、災害は起こるけれどもそこに悲しみの生まれない世界があると思っています。


その世界から悲しみを無くすのは、神様ではなく、人間なんです。

以上がはかせくんの答えです。

私が駅前で路傍講演をして道行く人に伝えようとしているのは、まさに、私たちは温かい心の親神様から生まれた、兄弟姉妹だということ。そのことに気付き兄弟姉妹同士が助け合う世界にしていきたいということです。

通り過ぎる人に私の言葉はほとんど耳に入っていないでしょう。せいぜい「天理教の人が何かやっている」くらいかな。

でも、一人一人の魂には届いていると信じています。今は元気でもいつか助けが必要になったときに、天理教を訪ねてもらえることを願って続けています。


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