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ゴールドトレジャー、終の住処への移動。そして訪問介護事業所の設立。トレジャーは営業部長に。

2022年7月25日

ゴールドトレジャーの所有権が、「訪問介護とれじゃーまっぷ」へと移転した。

先生方はみな笑顔で、手を上げて喜んで下さった。

益々と、移籍を言い出せない自分がいた…。

主人に助け舟を求める様に、時折チラチラと主人の方を見るのだが、目を閉じて一言も口を開かない。

結局その日は言い出せずにいた。

席を立とうとしても、ずっと座ったままの主人の肩を揺さぶると、明らかな寝起きのリアクションに、溜息混じりに私は言った。

大切な話の時には、ケッコーな確率で本気寝をする人である。

「寝とったろ?」

「つまらん事を言うな。わしゃ、目を瞑ってジーッと、話に聞き入っとったんじゃ。」

「ほうね。目が真っ赤じゃわ。」

「えー?何じゃ?何言うたんじゃ?」
寝ぼけてた…。


「自分しか頼りにならない…。」そう思い、次こそは!!と強く決心した。

その間、次の乗馬クラブに訪れ、メラノーマを患う芦毛のお馬さんに会った。粘膜は硬く黒く覆われていた。腸壁にも発症すると、痛がり歩かなくなる。非常にメラノーマに対し、予防も含め、力を入れていらっしゃる先生の姿に、心を打たれた。

「トレジャーが長生きできる可能性は、先生にお預けするしかない…。」

翌週
意を決して話をした。
私の口調はソワソワと、非常に早口になっていた。

「先生、こちらでは階段や段差が多く、車椅子の乗り入れが出来ません。ゴールドトレジャー購入の目的が果たせませんので、誠に恐縮なのですが、クラブの移動をお願いしたく思います。」

トレジャーの売買から僅か一週間。
事前に段取りが行われていた事は、誰が見ても明らかだったであった。

しかし、先生は

「分かりました。ゴールドトレジャーは、あなた方ご夫婦の為に買い取った馬です。それが、トレジャーにとっては一番幸せだと思います。それにしても、ゴールドシップという馬の影響力の大きさには、驚かされますね…。」
と笑いながら答えられた。

「申し訳ありません。ごめんなさい…。ごめんなさい…。」
言葉に詰まった。
これでもかという位に頭を下げ、謝った。

自分の生き方の信念とはズレていた。


そして、この後すぐにトレジャーは、終の住処へと移動するのである。

「訪問介護とれじゃーまっぷ」
の開設まであと二ヶ月。

開業資金。
当面のトレジャーの維持費。
銀行からの融資は必須であった。
自分で作った事業計画書と、資金繰り表を広げ、改めてそれらを見入った。

この頃から、明らかな老眼の症状で、小さな文字がボヤけるので、虫眼鏡を使いながらそれらの資料を見た。


父の事務所に入った当初は、何も出来なかった私であった。
事務所に入って初めての手渡された給料。

弾む気持ちでそれを受け取った。

その封筒はやけに薄いので、嫌な予感がした。

母に生活費を渡さなかった父…。

まさか子供にまで、そんな事はしないだろう…。
と封筒からお金を取り出した。

そこには、千円札が一枚入っていた…。

私はとても悲しい気持ちになり、父にその千円札を返した。

「いらんよ…。いらん…。」

父は、
「ほうか。」
と千円札を受け取り、さっさと自分の部屋に戻った

それから父は、私が退職するまでの長い期間、一度も給料をくれる事はなかった。

お金の事を話題に出すと、途端に不機嫌になる父。

怖くて言えない日々が、長く長く過ぎて行った。

仕事を終えると、居酒屋でアルバイトをした。成人した自分は、生活に大変な母に甘える事が出来なかった。
こじんまりとした居酒屋で、常連さんはみな優しく、楽しい方ばかりだった。とても楽しく、身体は疲れていても、若さなのであろう。
昼の仕事のストレスの息抜きになり、バランスを保てていた。
美味しい食事も食べさせて頂き、人の温かさに触れた。人見知りの激しかった私は、ここでの皆さんとの関わり中で、接客という物を学び、商売の基本を学ぶのだ。とても有難い経験であったと、振り返ると思う。


父と二人きりの、ほとんど話もしない昼の職場。激務をこなしても、労働の対価はない。

それでも辞めようとは思わなかった。

父が一人になる。可哀想だと思っていた。

機能不全な家庭の中に育つと、心で親に頼る事が出来なくなる。
親子の役割は見事に逆転し、父を守らなければ…。といつも思っていた。

そして、何より頭だけは抜群に良く、特殊な能力がある人間であった。
どんどん倒産間近の企業を再生させていく父を、やはり尊敬していた。

情という厄介な呪縛に縛られ、尊敬という念が、父の手を離す事が出来なかった。

しかし、その資料をマジマジと見入っていると、そこには父の姿があった。

文字の書き方、数字の集まり方、根拠付け。

父独特のノウハウを、知らず知らずのうちに私は身体と頭で吸収していた。

「お父ちゃん…。」

人生辛い事の方が圧倒に多く、出来ればしたくない苦労も多々ある。

それでも、長い時間が経過した後に、その意味を知る事がある。
苦しみを学びに変えて行かなければ、人は成長しない。その苦しみも、いつかは思い出に変わる。

終わり良ければ全て良し。
それが、人生においての幸せなのだと思う。

意味のない苦労などはないと、トレジャーが身を以って教えてくれた。

そしてその計画書を以て、融資の実行が決定し、黙々と主人が事業所設置の認可の準備をしてくれた。

多忙な中、主人の存在が有難いと思った。
彼も仲間なんだと思えた。

いよいよトレジャーの移動の日が来た。
いつもと様子が変わらないトレジャーであった。
私の姿を見ると、鳴いて呼び、甘えるトレジャー。

輸送車が到着する。

私は、トレジャーに話しかける。

「ええ?今から良い所に行くんじゃけぇ。後ろにおるけぇね。向こうで会おうね。」

大人しく、部屋を出る。

おそらく、乗馬クラブに到着した日にしか歩いた事のない道…。

穏やかに、ゆったりと進んで行く。

私の姿を確認しながら、大人しく自ら輸送車に乗り込んだ。

こちらを見ていた。

私はチョロチョロしながら、
「トレジャー!!トレジャー!!お母ちゃん側におるけぇね!!大丈夫!!大丈夫」と声掛けをしていた。

扉がしまったその時、突然トレジャーは
「ヒヒーン!!ヒヒーン!!」
と嘶き続けた。

まるで
「おーい!!一緒に乗らんのかい!!どこ連れて行くやー!!」
と言っている様だった。

助けを求める様な、切ない嘶き…。

すると、厩舎の中の馬が一斉に嘶き始め、もの凄い音となった。

みんながトレジャーのサインに、声に、反応していた。

私は、初めて目にする光景に、トラックの小さな窓の下に周り込んだ。

トレジャーは、窓から顔を出し、鼻を膨らませて、一生懸命に私を探す。

「トレジャー!!お母ちゃんここおるよ。大丈夫よ!!
離れんけぇね!!私らはずっと一緒!!
向こうで会おうね!!向こうで会おうね!!」

懸命に叫ぶと、しばらく目が合った状態だつた。

何かを理解したのか、ピタッと静かになった。

誰が何と言おうと、トレジャーは、言葉を理解していた様な気がする。

馬運車に乗る馬達。
それに関わる人達。
馬も人も悲しいお別れ。
私は、狂うほど泣きました。

「私みたいな弱い人間は、足を踏み込んではいけない世界に来てしまった…。」

移動の間、ピッタリと車で後ろについて移動したのだが、非常に大人しい様子であった。

到着後、オーナーがトレジャーを連れ、輸送車から降て来た。

初めて嗅ぐ新しい場所の臭い。

景色を見渡し、私の姿を確認すると、一度だけ大きく嘶き、駆け降りてきた。

「この人がお母ちゃんになったんだ…。」

部屋に入ると、自分の部屋の大きな窓から暫く外を眺めていた。

何を感じていたのだろう…。

「よぅしゃ!!ええ場所に来た!!まずは良し!!」
こんな感じだろうか…。

それ以後、トレジャーはいつも窓の外を眺めている。

出会った頃よりも、随分と白くなった。
そのスピードは、父ゴールドシップよりも早いものであった。

メラノーマのリスクが極めて高い。

自然は、馬にとってのTVの様な物なのかもしれない。

まるで写真の中の様な光景に、トレジャーは本当に美しい馬だと見とれるのであった。

その日のうちに放牧に出た。
すると、猛ダッシュで駆け抜ける。

「ヒヒーン!!」

この頃、外に出る事のなかったトレジャー。
興奮状態であった。

「トレジャー!!走りんちゃい!!いっぱい走りんちゃい!!自由にしんちゃい!!もう好きな様にしていいんよ!!好きに生きてええ!!」

と声をかけると、ピタッと止まり、一心不乱に草を食べ始めました。

なんだか、とても忙しそうなトレジャーを見たのは、この日が最初で最後であった。


数日後、トレジャーは蹄鉄を外し、裸足での生活を始めた。
私も主人も、トレジャーには跨った事すらなく、これで、トレジャーは、永遠に人を乗せる事への終止符を打った。

「トレジャー!!
幸せを悲しみも、全ての元競走馬達の馬生を背負って、進め!!
みんな、あんたの幸せを祈っとるよ!!」

そして、「訪問介護とれじゃーまっぷ」の営業部長へと就任した。

何に縛られる訳でもない生涯。

私だって羨ましい。人だって、沢山のしがらみの中生きている。何物にも縛られない人生。そんな人間なんていない。

「平凡」こそが、一番の幸せではないかと思う。
そして、「平凡」こそが一番難しいのだと思う。

そして、しばらく大人しい、いい子で過ごした。
私の顔を見ると、「ペター。」とくつっき、可愛らしく首を傾げる。

しかし、時折とても監視されている様な視線を感じた。

「こっちを見てる?」と思い振り向くと、サッと隠れる。
気のせいかな?と思い、また振り向くと、やっぱりサッと隠れる。
何を監視していたかは、知る術はないが、私を本当に信頼して良いかどうかを、長い期間観察している様だった。

目の前に行くと、甘えん坊なトレジャー。

離れるとじっと監視している。

どこかに芝居が隠されていたのかな?と今になって思う。


出会った頃のゴールドトレジャー

だって彼の父親は、あのゴールドシップなのだから。

トレジャーが関わってきた、沢山の良い人間の中でも、
トレジャーは私を選んでくれたと思っている。

最初の頃、洗い場でのトレジャー。

ギリギリまで私の側に近寄り、スリスリとして来た。
それを見ていた先生が、

「うわー。気に入られていますね!!」
と言った。

私は満面の笑みになって、
「エヘヘ。」と
笑った。

「お母ちゃんよー。あんたのお母ちゃんじゃけぇね。
守ってやる。ずーっと一緒!!」

この言葉の意味を、理解していたのだと思う。

「えっ?ホンマですか?ほいじゃあ、お言葉に甘えまして…。」
私に白羽の矢がたった訳だ。

言葉の責任を何も考えず、偽善者であったのだと思う。

こんなにも、魂をすり減らす事だったとは…。
夢中だった。
トレジャーには、その価値があった。
救済という言葉は似つかわしくなく、
側にいて欲しかった。
私の側にずっといて欲しかった。

私の方が、トレジャーが必要だった。

私には、4歳の頃に父方の祖父を亡くした。

65歳。胃癌であった。

昭和20年8月6日、広島市南区の御幸橋周辺にて、警察官であった祖父は、出勤中の交番にて被爆をした。

祖母は、広島市中区の千田町にて、被爆した。

原爆投下後の広島を、当時「原爆スラム」と呼ばれた、広島の中心部の、基町で生きて来た人だ。父も、出身は基町だ。

戦後間もなく、子供の頃の父は、元安川に飛び込み、原爆ドームによじ登る幼少期を過ごしてた。

貧しいながらも、一番楽しかった思い出が、この基町には詰まっていた様だ。

貧しい中にも、弾ける様な子供達の笑顔…。

昭和20年代後半の父とその姉妹。広島市中区にて。

その祖父との記憶は全くない。
声も背格好も、何を好んでいたかも、そして、私を可愛いと思っていたくれたかも…。何も知らない。

私は、この祖父の事を、世界で一番信頼し、世界一大好きだった。

小さい頃の私、一番最初に覚えた難しい言葉は、
「孤独」だった様に思う。


父はいない。母も仕事で昼も夜も家にいない。
「寂しい」とは言えない。
仕事に出掛けなければならない母は、寂しくて泣く事を、強く私に禁止した。
妹の面倒をみる事を義務とされ、妹を風呂に入れ、ご飯を食べさせ、私はまだ6歳だった。自分の思いは何も言えない。

大人の顔色ばかりをみる子供。どこか子供らしくない子供。天真爛漫な妹とは違い、可愛らしくない子供だった。

それでも地域の方々が見守って下さる、昭和の時代。

妹の手を引いて、近くの駄菓子屋には、毎日行った。
そこには、腰の曲がったおばあちゃんがいて、土間がお店。奥は住居。
おばあちゃんは、私達姉妹が、事情があると察していて、よく奥の部屋でテレビを観せてくれた。
家のテレビは、長く故障していた時代があり、夕方のアニメの再放送を観たいが為に、毎日100円を握りしめて通った。

ある日、
「晩御飯食べる?」と聞かれ、

私はとても驚き、
「いらない。お腹空いてない。」
と答えた。
当然、時間帯的にもお腹はとても空いていた。
おばあちゃんは、そんな私の性格を察し、
「じゃあ、これもって帰りんさい。」
と、カンロ飴を袋ごと差し出した。
私は、欲しくて堪らなかった。

だが、喜んで受け取ろうとする妹の手をつねった。

「いらん。その飴好きじゃない。ごめんなさい。お菓子はお金払うけぇ、もらわんでええ。」

と、俯き加減に言った。

「あのね、子供がね、遠慮したらいけんの。」
そう言うと妹に飴を渡しました。

大喜びの妹を見て、私は自然と笑顔になった。
飴をたくさん貰って、嬉しかった…。

機能不全の過程の中、私は亡くなった祖父に対し、強い依存を始めた。

「じいちゃんなら分かってくれる。じいちゃんなら、絶対にうちを助けてくれる。」

その強い依存は、大人になっても変わらず、両親が健在にも関わらず、祖父のいるお仏壇は、我が家にある。
私の側にずっとある。

トレジャーと出会うまでは…。

トレジャーが側にいれば、強くなれる様な気がした。

トレジャーが守ってくれる気がした。

愛してくれると思った。

何かに依存をしないと、生きて行けない弱い自分。

私は誰よりも、自分が大嫌いで、私を情けない気持ちにさせるのは、自分だった。

私の母。ハーフを思わせる様な綺麗な人だった。

妹は、母にそっくりの目のパッチリした可愛い顔をしていた。
父親はお世辞にもハンサムとは言えない。

私は父にそっくりであった。

「お母さんに似てないね。」「お父さんにそっくりだね。」
と言われる度に、私は容姿に対する強いコンプレックスを持つのである。

寂しさの基礎にコンプレックスは、見事な化学反応を起こし、

「私は誰からも愛しもらえない。綺麗じゃないから。そんな資格がない。
でも、じいちゃんは違う。自分にはじいちゃんしかいない。
お空に行ったのだから、もうどこにも行かない。」
と自分自身の中に、正解を見い出すのであった。

一人じゃない。じいちゃんがいる。
でも、じいちゃんはどんなに辛くても、声一つ聞けないなぁ…。何でかな?じいちゃん…。会いたいなぁ…。

祖父が長生きしていたならば、成立しない事。

トレジャーと出会い、私はそれまでの弱さを吹き飛ばす様な、強い自分の一面をみるのである。

この子を守りたい…。

そして、運命は私の思わぬ方向に動き出す。

「いつかまた、トレジャーマップの血を受け継ぐ仔を引き取りたい…。
トレジャーと同じ生活をさせてやりたい。
さぁ!!頑張るぞ!!
いつか、お兄ちゃんになるんよ、トレジャー!!」

トレジャーの弟、妹。
トレジャーと出会ってから、少しずつ、ゴールドシップ産駒の姿を見守る様になった。

私の心を掴んだのは、ゴールドシップ産駒、園田競馬を走る

「ホットミルク」

牛柄のメンコに、ホットミルクと書かれたカップを載せて走る子。
メロディーレーンちゃん並みの体重の小さな体。

息を呑んだ。

「か…かわいい…。」
私はホットミルクに夢中になった。
小さい体で、懸命に走るミルク…。

ホットミルクちゃん。引退したら、トレジャーと生活をさせてられたならば…。
そんなご褒美をあげたいな…。

浅はかさは、まだ根を張っている。

そして私は、何気なしに乗馬クラブのオーナーに伝えるのであった。

「先生、ホットミルクちゃん、可愛くて、一生懸命走って大好きなんです!!この子をいつか引き受けるのが夢なんです!!アハハー!!」

学習がまだまだ足りない私は、簡単にこの言葉を放ってしまった…。

「この馬と決めて、巡り合わせがあるのは、万に一つ、奇跡の可能性ですね。ゴールドシップ産駒という間口を広げるならば、もしかすれば、可能性は広がるかもしれないですね。」
と、先生は笑って答えた。

「そうですよね。夢物語の一つなんでしょうね。」
と、私も笑った。

その後、訪れる運命。
ゴールドトレジャーの一連の流れは、まだまだ序章。

本当の苦しみは、段階をおって、じわじわと訪れるのであった。

全ては、私に力がないがため。

端的にいうと、私にお金がないから。

私の都合とは関係なく、運命は突然動き出す。

ある日、オーナーからの電話…。普段電話などして来られないオーナーであるから、

「あれ?トレジャーに何かあったのかな?」
と、心臓が高鳴った。

「もしもし、先生お世話様になっております。トレジャーに何かありましたか?どうされましたか?」

すると、ゆっくりとオーナーは、

「ゴールドシップ産駒のお話が来ました。今日中にお返事をください。」

「えっ?…。こんなに早く…。今日中ですか?」

えっ、えっ…。売上が入ってくるのは、12月。

まだ、お金がない…。 

12月になったとしても、私達はゴールドトレジャーにありったけのお金を使い果たしていた。

それに、次に受け入れる馬は、ホットミルクと決めているんだ…。

今、他の馬を引き受ければ、万が一ミルクのお話を頂いた時に、受け入れられなくなる…。

でも…。でも…。

そこに命がある。

時期早尚。

震える声で先生に訪ねた。

頭の中で、「聞いてはいけない。」という声がこだましました。

「名前は聞かず、断りなさい。」と声がした。

それは、天使の声か…。それとも悪魔の声なのか…。

口は自然と開いていた…。

ダメだ!!ダメだ!!聞いてはいけない!!そこに行ってはダメだ!!

電話を握る手も、放たれる声も震えた。
そして…

「先生…その子名前は?」


「ランジョウです。」

「あぁ…。あぁ…。ランジョウ…。ランジョウ…。」

私はその場に座り込み、頭をうなだれた。

もうダメじゃ…。じいちゃん…。

続く…。


















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