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観たよ「劇場版仮面ライダージオウ Over Quartzer」(記録 2022/03/12)

おととい友達の家で仮面ライダーの映画を観た。

実は未視聴だったんだよね。

前評判よりは理論で組まれた作品だと思った。「ライダー映画の予算感・時間だとどこかを削らないと作品にならない。さて、どこを削るか?」という問いに「うーん、ブレーキ!」と答えた末路の作品。

「一人一人の歩みこそが歴史となる」を大ロジックとし、「歴史から個人を廃し象徴としての意味のみを重視する」クォーツァーを敵として「踏み締めた歴史からを目を背けるな」をテーマとして描いた作品。

メタ構造が複雑なジオウ派生作品にしては珍しく(これ単体なら)かなりすっきりとした終わり方をしており、「娯楽映画」「ジオウのトゥルーエンド」として必要な要素をバッチリ満たしている。

ジオウキャラ特有の「物分かりの良さ」や「個性的かつ話を円滑に進めるキャラ造形」も合わさり、1時間で過不足なく言わんとすることを伝える手腕は見事と言える。結果的に1時間という(私からすれば)長丁場ながら、実にストレスなく面白く観られた。信長パートもいるかいらないかで言えば……まあ……1時間で無理やりまとめるにはアレくらい「フラグ立てのためだけの時間」がいるんだろうな……。

映画の出来としては申し分ないので、あとはいかに視聴者にそれを伝えるかの話をするべきだと思った。

結構ベタ褒めしているし実際それくらいに楽しめたが、世間で言われる「見る平成」「混沌の産物」のような評価も一概に間違っているとは言えない。

私は友達の家で談笑しつつアイス食べながら(なんなら他人のアマプラで)ダラダラ観てたので笑ってスルーできたが、これをカネ払って映画館に観に行ったら大変なことになるだろうな、というくらいには難解かつすっとんきょうな映画だとも思う。

これは失うものの少ない私が本来の客層より少しだけ強く「映画側の話を聞いてやる姿勢」「映画の事情を汲んでやる姿勢」を持っており、それが「平成ライダーという無数の縛りの中でやったにしてはかなりまともで面白い映画」という評価、世間との評価の乖離に繋がったんじゃないかと考えている。

ひいては書く側の発見として、すなわち作品とは「いかに見てもらう姿勢を取ってもらうか」のバトルなんだろうなと思った。遊☆戯☆王ARC-Vを経て「正しく観てもらえば作品は全て面白く、そうできるかできないかの勝負」という発想はあったが、それを制御するために「作品の媒体」や「頒布方法」にも工夫をする余地があるんじゃないかと考えさせられた。

たとえば無料の小説投稿サイトでウケた作品が商業に行くと全然売れないとかあるよね。アレを突き詰めて「商業向きの話作り」「無料向きの話作り」まで定義できないかな、という話。

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