赤い実

高木康子さんインタビュー⑦「いま生きとるんが天国ちゃうかな、確かに」

高木康子さんは、1958(昭和33年)3月3日、大阪・南河内生まれの60歳。
28年前に大分県に移住。現在は竹田市で、機織りをしたり、染色をしたり、布の服を作ったりしています。
インタビュー記事⑥では、つらかった幼少期から脱皮したかのように走り続けた末に、30代前半で完全に立ち止まってしまった康子さんの姿を収録しました。そして、生還…。そのとき「さをり織り」と出合います。
以来、ひたすら作品を生み出し続けてきた康子さん。1日に10メートル以上も布を織ったり、大量の糸を鮮やかに染め上げたりする姿に、聞き手(三浦)はいつも驚かされてきました。
康子さんは、なぜそんなに作ることができるのか。一体どういう風に作っているのか。今回は、創作活動と「縁」についてのお話です。


・ビビるかもしれへんけどね

――「人の縁」についての話なんやけど。
高木先生が以前「人と人とを繋ぐのが自分の
役割やということが分かってきた」っち言い
よったやん?
どうしてそんなことが分かったん?

康子さん(以下・康):
あ、人と人を繋ぐ役割?分からんよぉー!。
何となく?笑。
えっと、Facebookをやっててもそうなんや
けど…Facebookってさ、新しいテレパシー
ツールやと思うんよね、あたしは。
で、よう考えたらもうブログは11年前から
やってて。Facebookはもうちょっと後かな。

やっぱこう、いっぱい人がおるやん?やけど
ウォールとか見ても何となく「この人が気に
なるなぁ」って分かるやん?そんでそのうち
出会うやん?
で、すっごい面白いんやけど「この人はこの
人と合うんちゃうんかな」とか思って、紹介
するやん?そしたらなんかやっぱしすんごく
合ったりするんよ。ほんでまた、その様子を
見られるやん?。ここにいて、テレビ見てる
みたいに。笑

――可視化やな

康:うーん、せやから、まあその、いろんな
意味でビビることもあるかもしれへんけどね

――わたし(聞き手・三浦)も、ビビってた
もんな、最初は。




・人として「繋がってる」って感じ

康:
SNSって怖いなぁていうのもあるけど、
それがなかったら出会ってないような人たち
いっぱいおるもん。
あたしは(32歳のときインドを旅するまで)
孤独感あったんや。自分って誰にも分かって
もらわれへんのちゃうんかなというのが心の
どっかにあった。
ほやけどインドに行ったらさ、あたしと同じ
ように思とる日本人が、わんさか旅してた。
(SNSが普及した今)そういう感じの人が、
ここまで会いに来てくれるようになったんよ
何人も。
それで、あたし(インドに行った頃と)何も
変わってないんやなーて思いよったんよ。

――同じ思いをしている人たちを見よったら
自分が分かったりもするよな。

康:機織り教室でもそうやけど、ただ教室に
来てるから「先生と生徒」ていうよりもな、
人として「繋がってる」って感じやんか。
その繋がりって切れへんで、なんとなくこう
ずっと、あるやん。これが縁やったりするん
やんかー。面白いなーて思う。
自分は、人と人を結びつける一つのツール?
…お役目みたいなんがある気がするんよ。
これは直感なんやけど。

画像1

↑風邪をひいて教室を休んだ生徒さんに大きなみかんを届けに行き、逆にもてなしてもらっているところ。切り干し大根の煮物が変わった切り方をしていて、とても美味しかったです(聞き手も一緒にごちそうになってしまいました)。

――そやけどそういう役割もありつつ、高木
先生には「作りたい、生み出したい」ちゅう
使命みたいなものがあるやんか。

康:あなたが昨日「自分が好きなところとか
好きなものを教えて」っていうたやん。
その時にね「そうや、一番好きなのは、自然
なんよ」と思った。あたし、こんなに人間の
ことばかりやってるけど…
だから自分が小学校の時のこと、ほんと思い
出す。山とか川とか木とか風とか、なんせ草
とか。そして、それと会話してた自分。
大人になるとその感覚はどんどん薄れるけど
結局今、あたしはそこに戻って来てるんよ。
また引きこもってるけど、フフフフ。

簡単なんよ、もの作るのって。空っぽせんと
入ってきやへん。展示会もあって、外へ出て
行くこともあるけど、普段、ほとんどは家に
おって創作してるわけやん。で、その空っぽ
の状態を作れへんかったら、なんにも入って
きいへんねん。

――今大事なことを言った!


・頭ん中に何かあったらあかん

康:そうなん?
山に行って草や木とか、そういうものと対話
するとか。自分にとっては、そっちの時間が
すごく大事なんよ、もの作る時に。
「人と喋ってる間になんか思い浮かぶ」とか
いうんじゃない。
頭ん中に何かあったらあかんのよ。
自分が空洞みたいな状態でね、天に向かって
「バシコーン」とそのパイプを突き刺さへん
かったら、降りてきえへん。
天からのメッセージなんよ、もの作りって。
その降ろしてくる役割のパイプを、いっつも
きれいにしとかんと……それが詰まってたり
すると、あたしには何にも降りてきえへん。
で、あたしが作り出してるんじゃないんよ。
あたしは、ただ、道具やねんで。手とか。

上からすうっと降りてきた瞬間ってね、もう
自動筆記的なんよ。
ほら、もの作るために「いろんな人の作品を
見たりしなあきませんよ」って言われること
あるやん。それとはちょっと違う世界で制作
してん、あたし。
そっちの世界やったらもっとほら「どっかに
講習会行ってーワークショプ出てー、新しい
技術を学んでー」ってするやろ?あたしこの
過去28年間、そういうのには1回も、行って
ないもん。フッフッフッフ!
ほいで人の作品て、見いへんな。
だってあたしにとって必要じゃないねん。

――空洞なパイプがこう、上のほうへと伸び
ちょんのやな

康:あ、そうそう。中まで空洞なんよ。
やから、絶えずやってる作業っていうのは、
煙突掃除みたいなもんやな。そのためには、
独りでいることも大事なんよ。
その煙突掃除っていうのは、ほら、思い悩む
とか苦しむとかさ、何かそういうことがダメ
なんよ。
日常の人間的な悩みみたいなんとかは、ある
程度それはすぐ、きれいにしないと。

――きれいにした時にパイプがつながる?

康:きれいにていうか、なんせスコッとして
なかったら入ってけえへんねん。
でも人間て、独りで生きてるわけじゃない。
人と出会って喋ったりするんもな、もちろん
楽しいんやで?。それとは別で、ものを作る
時のエネルギーは、どっちかというとあたし
人間を介せへん方ができる。
もうボーっとするとか、草をじーっとみてる
とか、笑。

人との関わりに喜びを見いだす一方で、自然の中で独り「空洞になる」ことで、ものを生み出すことができると話す康子さん。次回インタビュー⑧では、自然と触れ合ってきた自分のルーツの源流と、生きることの意味について語ります。
※インタビュー⑧に続きます

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