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高木康子さんインタビュー⑧「いま生きとるんが天国ちゃうかな、確かに」

高木康子さんは1958(昭和33年)3月3日、大阪・南河内生まれの60歳。
28年前に大分県に移住。現在は竹田市で、機織りをしたり、染色をしたり、布の服を作ったりしています。
インタビュー記事⑦では、創作活動をする上で大切にしていることや、人と人との縁をつなぐ「ツール」としての自分について語った康子さん。
最終回となる今回のお話は、今一度自分のルーツを確かめ、「生きていく意味」へとたどり着いていきます。


・優しい人だったおじいちゃん

康子さん(以下・康):
4、5歳の時に少しだけ父方のおじいちゃん
と暮らしたことがあってね。おじいちゃんは
元々はお花の先生やったらしいけど、奈良の
山奥で、隠遁生活を始めとって……植木商に
なっとったみたい。植物が好きで。
(実父と別れた)お母ちゃんも言っとった、
おじいちゃんは優しい人やったって。
小さかったあたしが手を切るケガをした時に
「大丈夫か!康子!」て、ものすごく泣いて
心配してくれたの覚えてる。


康:写真撮ってた22歳くらいの時に、自分の
ルーツをたどりたくなって。おじいちゃんの
家を訪ねていったことあったんよな。
やっぱり、小さい頃にいろいろあったから…
訪ねていった時あたしの目を見いひんのよ。
かわいそうに思ってたんやろうな。
けど、おじいちゃんの仕事が面白かった。
自分で山ん中の何にもないところに、独りで
工房みたいなん建てて。そして、世間からは
隔絶したみたいな暮らしをしてた。

――小さな頃にもう、おじいちゃんのところ
で、自然と触れ合っていたんやな。

康:自然と触れ合うっていうか…普通に家の
中とか、その辺にいてただけやけどな。
「小さい頃、そういうことあったな」って、
なんか思い出したわ。


――高木先生の大事にしてるものって何かな

康:そうそう。大事なものて言うてたんがさ
安部泰輔さんのぬいぐるみ。
あの頃に(子育て中の2007年頃)唯一さー、
自分で買ったもんやねん。「買ったもん」て
なかなかないでー、子育て中なんて。何にも
ない。
以前、トキハ(大分のデパート)の展示会に
時々出とったやん。あの時に(近くの小さな
お店で)見つけたんよ。
すっごい衝撃受けてさー。

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↑2007年、大分市の小さなお店で出合った安部泰輔さん(大分市在住の美術家)の作品




ほんまもんの凄さは、竹田であった展覧会で
(TAKETA ART CULTURE 2014)ほんまに
作ってるところを現実で見たやん。
お客さんが書いたイラストから(そっくりに
ミシンと糸で絵を描いてクッションを)作る
のん見たときもう、震えがきたわ。
ほんまもんのアーティストやな、って。


・頭で考えるとか得意じゃないから

――高木先生のこれからのスケジュールは?

康:展示会は宮崎県日向市美々津の「民」で
(2019年)2月28日まで。そのあとは春先に
福岡市のGTジャパンギャラリー。
イベント出展は2月23日豊後大野市で開催の
「ある日のエイトピア」。
4月6、7日には「阿蘇たかもり春のアート&
クラフトフェア」。

おかんハウスでは去年1年間、毎週末ワーク
ショップをやったよね。今年はもうちょっと
のんびり不定期な感じでしたいなーて思う。
結局自分ができることしかできへんのよな。
自分の中でできることっていったら、教える
ことになったわな。
(例えば)自分には向いてないことでも……
フッフッフッフッ、やらんとわかれへん。
他の人が見たらさ「一体何しとんねん」とか
さー、思うかもしれへんやん。でもな、頭で
考えるとか得意じゃないから、自分がやって
みてー

――やってから確かめるんやろ

康:そうそう。
あたしは自分を通してしか分かれへんのや。
生きてるて何かな、て考えた時に…
夕陽丘の(自己崩壊した)時(インタビュー
③に収録)から「自分はなんでここに今生き
てるんやろうか」って真剣に考えたんよ。
それは多分、体験するために生きてるんよな
こう。わかる?
頭で考えるんじゃなくて…、体験するために
生きてる。
あたしは、前世とかよう分かれへんし、これ
から先があるかどうかなんて知らんで。
死んで帰って来たわけじゃないから。
なんかもう今生きとるんが天国ちゃうかな、
確かに。わかる?
だって花がきれいに咲いてさー。
そんで、なんか人間、ケンカしたり笑うたり
落ち込んだり…

――生きてるって瑞々しいよな。

康:そやねん!全然食べていけるとか生きて
いけるとかそんなこと、考えられへん。
とにかく作りたいー。
なんかもう、これが「自分が生きてる」って
いうことなんちゃうんやろか。
なんかほら人によって子育てに不安やったり
傷つけたり。虚しくなったり…それはきっと
生きてる実感がないんやな。生きてる実感が
掴めたら、なんかもう、何でもええ。

生きてるだけでオッケーなんやと思うわ。

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康子さんのお話を最後まで聴いていて、気がついたこと。それは、康子さんのこれまでがまるで織物のようだ、ということでした。
紡いで、染めて、織る。そして描く、編む、縫う。
康子さんが「分身」と呼ぶ作品たちに出会ったら、その中に生きている康子さんの物語を感じてみてください。

※終わり

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