椅子とポスト

高木康子さんインタビュー④「いま生きとるんが天国ちゃうかな、確かに」

高木康子さんは、1958(昭和33年)3月3日、大阪・南河内生まれの60歳。28年前に大分県に移住。現在は竹田市で、機織りをしたり、染色をしたり、布の服を作ったりしています。
インタビュー記事③には、カメラマンとしてハードな場所を撮り続けた20代の日々を収録しました。したたかに生きる人々の姿やリアルなものを追い求め、燃え尽きた先にたどり着いた新しい場所とは。そして、人生を変える旅へ…。
物語は30歳前後の激動の時代へと、進んでいきます。


・出し切ったからもういいわー

ーーそれで29歳の頃きっぱりと写真をやめて
陶芸の道へ…

康子さん(以下・康):
なんでも「趣味」っていうのが嫌いなんよ。
やから、学校に行くんよ。プロ養成所に…
そこで高木(夫の逸夫さん)と会うたんよ。
最初は同級生でね。

ーーどこで出会ったんやったっけ
康:兵庫県芦屋市の滴翠美術館陶芸研究所て
いうところ。(逸夫さんのことは)若い頃、
大っ嫌いやってんやけどね。

ーー嫌いな人やったんや
康:ほほほ、大っ嫌い

ーーマジですか

康:写真学校の時はね、その入れ墨の写真と
赤線の写真(インタビュー③を参照)で、最
優秀賞もらったんよ。
陶芸研究所の時は「準」ぐらいもらったんと
ちゃうかな。優秀賞やなかったけど。
そんときにね、陶芸で、オブジェとか作って
いろいろやっとったら、なんかね、これって
自分のうんこやなーて思った

ーーああああああああ、わかる。
自分の排泄物みたいに見えたんやな。

康:わかるー?うんこやーて。ただのうんこ
やーて思たら、それみるのも嫌なった。
ほんで(その頃から)父ちゃん(逸夫さん)
と一緒に暮らしたから…
あの人は「焼きもんでやっていこう」という
のがあったから、あたしはもう陶芸はええわ
と思って。結構作って、出すだけ出しきった
からもういいわーと思って、そいで髪の毛を
丸めて、インド行ったんよ。

・OSHOに聴かなあかん!

康:で、その、インドに行くちょっと前にね
おかしなったんよ。頭がね、ブチ切れてね。
そのこと思い出そうと思うんやけど…

ーー思い出さんでいいよ

康:思い出されへんねん。
いやでも大丈夫なんよ。乗り越えてるけん…
結局インド行って、自分にオッケーが出せた

ーー自分にオッケーが出せた瞬間があるん?

康:ああー、あるある。
その頃OSHO(オショウ)ていう宗教家が
おって、亡くなったばかりやったんやけど…
インドの旅の最初の目的が、そのOSHOの
アシュラム(道場)のあるプーナという街に
行くことやってんね。んでプーナに着いたら
なんていえばいいのかな…
全然面白なかったんよプーナって。世界各国
から旅人が来はってるんやけど…
「金さえあれば」って感じで。そこはすごく
美しいねん、ディズニーランドみたいに。
植木がそこだけ、ガーっと豊かに大きくて。
それがね、そこから一歩出たら砂漠なんよ。
ほんで、人々が貧しいんよ。
でも(リゾートのような場所では)みんな、
ヒャラヒャラした服着てさー、笑。わかる?
なんかさー

ーーうそくさいんやろ

康:そうそう!こんなんいややわと思って。
そんで、そこの市場とか行くやん。そっちの
方がワクワクしてむちゃくちゃ面白いんよ。
でも、やっぱなんかここに来た意味があるん
やろか…と思って瞑想した。毎朝、瞑想しな
あかんし。
いろんな瞑想法があって一日じゅうなんでも
選べんねん。例えば踊る瞑想とか…いっぱい
あるわけや。
で、朝一のは静かな瞑想があって。
そんときに、初めてそのOSHOが身体ん中に
入ったんよ。そんで、ええ!って驚いて。
これはなんか今いろんなことを(OSHOに)
聴かなあかんわと思て。
もう彼は亡くなっとったからあたしの身体を
使って返事をしたり、オッケーと言うたり、
いろんな話をした。
そしたらすっごく満たされたんよ。
その時に「自分は実はここ面白くない。出て
行ってもいいですかね」て聴いたらOSHOは
「何をしてもいい」って。
それでインドを出てネパールまで行ってんで

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↑康子さんが管理している「おかんハウス」の庭で

・フフフフ、ネパールでモテてさ

ーー自分の体内で話すっちどんな感じなん?

康:あのね、身体使いながらやから頭ん中で
例えば何か質問するとするやん。そうしたら
こんなふうにうなずいたり「それは違う」と
左右に動かしたり。

ーー自分の体を、OSHOが動かしてくれるん

康:なんかうんうん言いながらな。
はいはこう、うなずくやろ?

ーー「こっくりさん」みたいな感じやなぁ。

康:そうそう。でもそんなことはね、たった
1回だけなんよ。お母ちゃんが亡くなっても
全然そんなんして入ってけえへん…それから
1回もそんなことないんよー。

ーーで、OSHOから「何をしてもいい」っち
言われてネパールへ…

康:笑、あのー、坊主にすると女性らしさが
醸し出されるんよな。ネパールでも、めちゃ
くちゃモテてさ、フフフフ!

ーーそうなんや。日本でもモテるかな?
国によってモテ方が違うやん。

康:(現地で)旅慣れた人に旅に持って行く
お金の額を聞いてみたらさ、あたしってお金
あんまり持ってなかったことに気づいたん。
せやから意外とインド人におごってもーたり
したん。
そのうち泊まるところもなくなったし…。
やからちょっと泊めてもらったりしよった。
そしたら、ネパールではただ寝てるだけで…
この辺(顔の周り)に供物が。

ーーすげえ!

康:で「ほんまかー!」みたいな。
断れへんし「自分は仏教徒じゃないんです」
とも言われへんけどな。「まあいっか」って
思って、ええ暮らしして…2カ月ぐらいかな
旅して家に帰って来たのがな。

陶芸の道へ進み、新たな出会いを得て、インドへと旅立った康子さん。心の旅はふと、幼少期の自分へと戻っていくのですが…。※インタビュー⑤へと続きます。

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