見出し画像

家で勉強タイム5年生歴史② 弥生時代と古墳 小学生


①の答え

①大森貝塚
②土偶
③竪穴住居
④物々交換

弥生時代

遺跡

登呂遺跡(静岡県)、板付遺跡(福岡県)、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)があります。

稲作

基本的には米作りの意味と同じです。
【稲作の工程】
木のくわなどで耕す→田植え→草を刈り取る→刈り取った草を肥料にする→石包丁で稲を収穫する→高床倉庫に蓄える→脱穀して→土器で煮て食べる。

石包丁

稲の収穫に使っていた道具です。

高床倉庫

簡単にいうと工夫や機能が詰め込まれた倉庫です。
具体的にいうとネズミなどの小動物が入ってこないようにネズミ返し
などの工夫があります。

弥生土器

薄くて硬くて、模様が少ないのが特徴です。

金属器


金属は当時希少なので豊作などのお祝いや神々に祈る時に使います。

争いが始まり 備える

敵の侵入に備えて、武器の準備などをした集落は環濠集落と言います。
また戦いの理由は必要な食料を求めて争いが起こりました。

王ができた

村がいくつかが合併し、国ができます。
その中で指導者は王と呼ばれました。
のちに豪族となってきます。

国できる

倭(日本)は、約100個の小さい国に分かれてきました。
その100個中30個を持っていた邪馬台国という国があり、そこの女王卑弥呼が中国の魏に使いを送り、魏の皇帝から「親魏倭王」の称号や銅鏡などが授けられたとされています。
倭の奴国(福岡市)が来たので漢(中国)に金印を授けました。

古墳時代

古墳登場

近畿地方を中心に、前方後円墳治めていたヤマト政権が広まっていくうちに各地で作られるようになりました。
古墳の中には死者とともに最初は鏡、玉、剣などが、あり
後に武器、馬具、日用品などが納められました。
また古墳の種類は前方後円墳、円墳、方墳

埴輪

その古墳のまわりなどに埴輪と言われる土製品が置かれていました。

ヤマト政権

大和地方(奈良県北部)の豪族が中心となって、ヤマト政権をを作り、この政権の支配者は、大王と呼ばれました。

ヤマト政権の仕組み

目的【さまざまな豪族たちが集まり、巨大になったヤマト政権をまとめるために導入した支配制度】が氏姓制度と言います。

日本史事典【氏姓制度とは】簡単にわかりやすく解説!!制度の意味や廃止・覚え方など

渡来人

中国(漢)、朝鮮半島から来た人々を渡来人と言います。
日本は、渡来人によって文化や技術がもたらされました。
その中で儒教、仏教などを伝えられました。
儒教は5世紀に、仏教は6世紀、にそれぞれ朝鮮半島の百済からおおやけに
伝えられました。大王や蘇我氏たちは渡来人と結びついて、技術や文化を
取り入れてきていました。
*仏教とはインドのシャカによって始められた宗教でアジアを中心とする。

渡来人が教えてくれたその技術を紹介

古墳やため池です。

漢字

日本の文化の水準を高めるのに役立った。

推古天皇の政治

やがて蘇我氏と対立する物部氏を倒す。
一族の女性を天皇としました。
これが推古天皇です。

聖徳太子

推古天皇は、おいの聖徳太子を摂政として、
天皇と親戚の関係がある蘇我馬子とともに政治にあたらせ、
天皇を中心とした政治の仕組みを整えようとしました。

603年の冠位十二階

上下関係をはっきりして、能力がある人を役人にとりたてようとしました。

卑弥呼

邪馬台国の女王である卑弥呼が約100個中約30個の小国を従えていました。
卑弥呼は中国の魏に使いを送って、魏の皇帝から「親魏倭王」の称号や銅鏡などを授けられたとされている。


まとめ

弥生時代
・石包丁などで収穫された稲は高床倉庫に蓄えられた。
・卑弥呼がまじないで人々を治めていた(邪馬台国)。
古墳時代
・前方後円墳や埴輪も文化
・渡来人がいろんな技術や文化を伝えた。
その中で古墳やため池、儒教、仏教が伝わった。
邪馬台国の女王(卑弥呼)がまじないによって人々を治めていました。

問題

①稲作で使われた、稲の穂を取るためのものはなんですか。また収穫をしたお米を保存するための建物はなんですか。
②邪馬台国の女王は誰。
③古墳の周りや上に置かれた、素焼きの土製品をなんと言いますか。
④中国などから日本に渡ってきて、さまざま技術、文化を伝えにきた人々を何と言いますか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?