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ヨーグルトがドラマチックだなんて聞いていない 話

商品を手に取ろうとしたとき、隣にいた客と図らずも手が重なってしまう。
なんてことを、ドラマや映画では「運命の出会い」なんて大それた言い方で担ぐ。
いやはや、ドラマチックである。
ライターの火みたいに瞬間的に恋が始まるのだ。なんて劇的だろうか。

ただ、現実はドラマのようにはいかない。出会い方は十人十色。なにも、全員が劇的な出会い方を果たすわけではない。

たとえば、祐介と沙也加。
彼らは、「運命の出会い」を果たした。でも、ドラマチックには欠けていた。



季節外れの猛暑が、寝苦しさをもたらす。汗でべたついた身体に心地悪さを感じた。
アラームに設定していた時間よりも30分早い。
祐介にとって予定外の起床だった。未だ眠気がないわけではないが、いまから冷房を付けて寝なおすほどでもない。早起きは三文の徳とはいいつつも、どこか損をした気分が押し寄せる。

目をこすると、ぼやけていた視界に線が帯びる。スリッパは履かずに、裸足のまま立ち上がった。フローリングの冷たさが足裏から湧き上がるのが、熱のこもった身体をほぐすようで心地が良い。

リビングにある一番大きな窓、祐介の身長よりも少しだけ高い。そこから漏れる日差しは、今日がいかに快晴で、空にはどれだけの青が広がっているのか、わざわざ外に出ることなくとも容易に想像させる。窓から吹きこむ春の風が、夏のような暑さのなかを駆け抜ける。寝起きの洗っていない顔を優しく撫でた。

「あれ、今日は自分で起きたんだ。出社早いの?」

肩まで伸びた髪を一つに束ね、まだ化粧で飾っていない沙也加が、キッチンから声をかけた。

「暑くて起きただけだよ」
「今日は夏日だってね」
「どうりで、汗ばむわけだ」
「でも、ちょうどよかった。今日は特別な朝食を用意しているから」
「あんまりお腹空いていないんだけどなあ」
「いいから、いいから。食べないと働く力が湧かないよ」

ベーコンの香ばしい匂いがしなければ、メープルシロップの甘い香りもしない。特段変わらない朝のリビングに、祐介はとりあえず腰を下ろす。

「今日は何の日か覚えている?」沙也加が言った。
「暑さだけを拾い上げれば、海の日とでも言いたいところ。でも、いくら寝ぼけていたって今日が7月じゃないことは分かる」
「つまりは?」
「分からない」
「ったく。何のためにカレンダーがあるのよ」

テレビの横に掛けてあるカレンダーに、視線を向けることを暗に促された。
昨晩観たテレビ番組を思い出して、今日が何曜日だったのかを思い出す。そして今日が5月15日で、カレンダー上では赤色のインクで何重にも丸で囲われているのを見つけた。

祐介は、「これ何の印だっけ」と言いかけた。だが、発声する前に、間一髪で思い出した。こぼれた水を抑えるように慌てて口をふさぐ。
そして、「今日は俺たちが付き合い始めてから1年の記念日か」と言葉を代替した。

「思い出すのが遅い。もしかして、忘れてた?」
「いやいや、そんなまさか。寝ぼけていただけだよ」
「それならいいけど」

沙也加が口を膨らませて目を細めるので、祐介はたじろいだ。悪行を露呈しないように慌てて話を逸らす。

「で、特別な朝食って何?」

膨らんだ口から空気が抜けた。それでもって、沙也加は機嫌を取り戻して、揚々と浮足立ちながら、朝食を机の上に配膳した。

「ヨーグルト?」
「そう。今日の朝ごはんは、ヨーグルトだよ」

夏日を催す所以は、この太陽を彷彿とさせるほどに微笑む彼女のせいかと思うほど嬉しそうだった。
この笑顔を前にも見たことがあるぞ、祐介はそう思いながら見つめていた。
交際を申し込んだ日。それでいて、出会った日に惚れた笑顔と同じだ。

「俺たちの出会いを紡いだヨーグルトか。たしかに、特別だ」

2人の出会いは1年前、近所のスーパーだった。ヨーグルトを買おうと何気なく伸ばした両者の手が、図らずも重なった。2人の体温が互いを行き交い、反射的に顔を見合わせた。
映画やドラマの中で、運命の出会いとして象徴的に描かれるような瞬間が、まさに降りかかったのだ。

20代前半の彼らにとって、センセーショナルな出来事だった。それでいて、ドラマの主人公になったような高揚感を得たのだ。
この「運命の出会い」に、2人が陶酔するのに時間はかからない。互いを見つめ合う視線には、すでに恋愛感情を内包されていた。身に降りかかったドラマのような展開が、恋愛感情を引き起こしたのだ。
そして、その日のうちに祐介と沙也加は交際を始めた。若いゆえに、2人ともども、この出会いを運命だと確信した。ただの偶然だったかもしれないのにもかかわらず運命へと押し上げたのだ。

そして今日、無事に1年間の交際を紡いだのだった。

「それにしたって、ヨーグルトに手を重ねて出会うなんて、ドラマチックに欠けると思わないか? 今振り返ってみても」
「そうかな?」
「だって、ドラマや映画で手を重ねて出会うときは、いつだって本屋かレンタルビデオ店みたいな情緒のあるところだった。それでいて、小説や旧作の映画を手に取るんだ。文化的趣味が合うことを旨趣していてお洒落だ。それに比べて、俺たちはスーパーでヨーグルト。そんなドラマなんて観たことないだろ?」
「たしかに、観たことないね」
「そうだろ」
「でもさ、ドラマのカップルよりも、私たちのほうが幸せな自信はあるよ。だって、ドラマみたいに波乱万丈じゃなくても、穏やかに過ごしていられる現実のほうがいいに決まっているし。私たちなら、どんなドラマよりもハッピーエンドを迎えられるよ」
「はあ、なるほど。ドラマチックなセリフだなあ」

祐介は寝癖のついた頭をかいた。

「こうもなると、早起きしたことにも理由がある気がする」
「天気の神様が起こしてくれたんだよ。記念日を忘れた祐介の代わりに」
「いや、だから、忘れていたわけじゃ……」
「まあ、いいから。一緒にヨーグルトを食べようよ。もたもたしていると、早起きしたからって仕事に遅れるよ」

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カメタロウ

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コメント1件

めちゃ微笑ましくてステキな物語ですっ☆🐈
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