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それでも寂しさに慣れてしまいたくないのは

いきものがかりの『YELL』を聴きながら、号泣している。

世界一周を始めてから130日が経った。旅を続けるほどに出会う人の数は増え、「日本に来る時は教えてね」「次は何年後に来るの?」と言葉を交わす。
一体、そのうちの何人にもう一度会えるだろう。

さよならの時のさみしさを知って、純粋に出会い仲良くなることが少し怖くなった。

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ラトビアを旅する中で、「日本がだいすき!」と話す1人の女の子に出会った。
これまでの旅でも日本語で挨拶をしてくれる人にはたくさん出会ったけれど、日本の文化や歴史に興味を持って学び始めている人に出会ったのは初めてだった。

ジブリアニメをきっかけに日本に興味を持ったという16歳の彼女は、先月から日本語を学び始めて ひらがなとカタカナの読み書きができて、ラトビアのBonsai Park で働いている。

彼女のおうちに数日間滞在させてもらって、Bonsai Parkや近くのお城を案内してもらったり、一緒にお寿司やピザを作ったり、キノコ狩りや海水浴に行ったり、日本の音楽や新撰組の話をしたりした。


彼女の質問に答えようとする度に、旅の中で幾度となく感じた「わたしは25年間、日本で何を学んできたのだろう」という思いが大きくなった。
わたしは何にも知らないし、語れないことがあまりにも多すぎる。

それでも彼女や彼女の家族は本当に良くしてくれて、たくさんの温かい言葉や時間をくれた。
お別れの日には、わたしがいつか着てみたいと話した伝統衣装のスカートや、1番おいしい!と言ったピクルスのレシピとタッパーいっぱいのお料理をくれた。


バス停で彼女と別れた後、いきものがかりの『YELL』が頭の中で流れた。

サヨナラは悲しい言葉じゃない
心から心へ ぼくら繋ぐYELL
ぼくら分かち合う言葉がある

なんとまぁ、よい曲なんだ。


あついこころにふれて
生まれたさみしさは、あたたかい。

出会う全ての人とそんな風にすれ違えたらよいけれど、なかなかそうもいかない。だからわたしは、そんな出会いができたこの場所や彼女のことをせめて書き留めておきたい。

わたしはもっと彼女のことを分かりたいし、この国のことを知りたい。
慣れない英語で型どる世界はいつも以上に曖昧な輪郭になって、ままならなさがもどかしくて、あぁもっと学ばなければと思う。

できないことがたくさんある。
知らないことがたくさんある。
できないままでも知らないままでも生きていけるけれど、語る言葉を持たないままでは繋がれない人たちがいる。

繋がるための言葉。
伝えるための文字。

それはなんて純粋で、始まりの形に近いのだろう。

言語を学ぼう。
歴史や文化や政治の、細かなハテナを拾っていこう。
当たり前を塗り替えて、今をもっと大きな概念と照らし合わせて、初めて気づけることがある。
何百年先の誰かが見たときに、「この時代になら戻ってもいいな」と思えるような日々を作ろう。
普遍的な幸福を軸にして、誰かの幸せを願える人であろう。

そうしてわたしは、明日ラトビアを発つ。せっかく居場所ができ友人の増えた場所を離れ、またゼロの場所へ移る。

「はじめまして」と「またいつか」
何度繰り返しても、慣れなくないなと思う。毎度出会いを喜んで、別れを寂しく思う。
それがたぶん、生きるってことだ。

大人になる度に感情の受け流し方を覚えてしまうけど、いや待ってほんとにそれでいいの?と怠惰をちゃんと食い止めたい。

次の場所でも、出会いを大切にできますように。その中で見つけたものを、手紙や文章にして届けられますように。


こんにちは、kami/(かみひとえ)です。いただいたサポートは、「世界の紙を巡る旅」をまとめた本の出版費用に充てさせていただきます。今年の12月に発売できる…はず…!