自分がどこにいて、何から始まったのか。(20220528)

またも一日空きました、ダラダラ日記。
本日は、たまたま読んだnoteの記事(マガジン)に関する思うところを書いてみようと思います。
何を読んだかは貼っておくつもりですが、内容そのものの細かいところには触れません。
(あくまで何を思ったかを書いておくだけのダラダラ日記のためです。あしからず)


自分と他人が違うことを、強く実感した。

読んだ記事はこちらの内容になります。

平山瑞穂先生の連載についてです。
私も作家デビューしている身なので、共感できるところもあるにはありました。
デビュー後順風満帆だった記憶もないですしね。色んな人たちの存在があって、今も創作のお仕事ができているわけですが。
(あとたぶん「わかるよ」と言われても先生本人も困ることでしょう)

でも共感以上に、「ああ、ここから始まった人だとこうも感覚が違うのか」という気持ちが強かったです。

私の創作の始まりは、「頭の中の物語を形にしたい」ということしかありませんでした。
「頭の中の物語を形にできる」のであれば、なんでもよかったのです。
そして触れる機会が「小説」よりも「漫画」のが多かったので最初は漫画を描きたいと思っていましたが……結局「絵で物語を描くこと」は自分には向いていないと感じ、「まぁできそうやろ」とナメた感覚で小説を選んだわけです。

親も本を読む人でしたが、そのときに渡された本は赤川次郎先生や宗田理先生でした。
でも結局漫画から抜けきることはなく、漫画に近いと思われていたライトノベルに触れる機会が増えていき……そういった関係で、そもそも「純文学」という選択肢がなかったのです。

未だに小説や創作については勉強不足だと思うのですが、「純文学」は特にわからないなと思いつつ、ちょいちょい「純文学ってどういうものなんだろう」と考える機会もありました。
まぁ、わかるようでわからなかったんですけど。

でも今回、平山先生の連載を読んで「そうか、純文学ってこういうものなのか」とほんの少しだけわかったような気がしました。
……いや、「わかった」というほどはわかってないですね。ええ。
ただ少なくとも「純文学を書きたい人」にとっては、こういうふうに見えているものなんだな、ということがなんとなくわかった、という感じでしょうか。

それもあって「そうか、当たり前だけど作家だって色々いるよな」と思いながら読み進めました。


「ラノベ」から入った人間から見る「畑違いの作家からの見え方」

平山先生は、「純文学」を目指していたのが、「一般文芸」の賞を受賞してデビューした方でした。
どういう経緯があったのかは、元の記事を読んでもらいたいのですが。
途中で「ラノベの編集者から声がかかる」という話が出てきます。
私は元々「ラノベを書きたかった人間」なので、ラノベに触れている内容が妙に新鮮でした。
まぁ、私自身が今も「ラノベ書きたい」って人と話すことも多いので、余計に(もちろん最近はそうじゃない人も増えてきていますが)。

たぶん、「純文学に詳しくない私」から見た「純文学」もこういう感じなのかなぁと思いつつ。

そういったところから、「同じ作家でも色々いるよな」と思ったのでした。


そのうち、振り返り記事を書くかもしれない(でもたぶん書いても公開しないかも)

自分で経験することない「作家さん」の「今の至る経緯」を読むのが面白かったのもあって、少し自分でも書いてみたいな……と一瞬だけ思いました。

いや、現に「周りを見てないぼーっとした子供だった頃」と「現在」どう変わったかを書いてみようと途中まで書いた記事はあるんですけど。
結局「なんかいいや」となって下書き状態のままになっております。

まぁこれについては、気が向いたら。

本当は、このまま非公開にしておくつもりでした。

「書くだけ書いて満足したから公開しなくてもいいかな」などと思ったりもしたのですが。
このままだと、「何かについて感想を述べる」というのも躊躇ってなかなかやらなくなる気がしたので、公開することにしました。

相変わらず中身のないダラダラした内容ではありますが。
また「何か」について、書きたくなったら書いて、公開できるようにしたいと思うのでした。



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