日常の中の『蓮ノ空』/君たちとぼくたちの空が繋がっているということ【蓮ノ空感想文】
この1年で自分に起きたことを思い出していました。
思えば、随分と彼女たちの存在をみじかに感じるようになった気がします。
1年で
「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」の活動記録が、配信が、FesLIVEが公開されはじめて、1年経ちました。
その間に行われたWithMEETSは116回。(YouTubeの公式プレイリストに登録してある数。初回は特別全員配信のためWithMEETSではないらしい)ここ数年に実家の親の顔より見たスクールアイドルクラブ(ガチ)という感じですね。
平均して3日に1回弱、配信が行われていたことになります。
誰またはどのユニット等々が推しかで、おすすめの配信が違って、そうしたファンによる違いを楽しむのも一興です。
なぜなら、それがそれぞれのファンと、彼女たちとの思い出でもあるからです。
リアルタイム
モノ消費からコト消費へ、と言われてもう随分経ちます。
ざっくり言うと「所有」から「体験」へ、ということのようですが、コト消費の一例を挙げると「リアタイ」の楽しみであるとか「ライブに参戦(現地・配信※リアタイ)」というようなものが含まれるでしょう。
リアルタイムというのは、自分にとってもその「今」しかない瞬間を向こう側と共有することです。
アイドルもの(ある種のスポ根部活もの)の要素のあるラブライブシリーズ、「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」はまさにその「リアタイ」を、年間116回+FesLIVEを通じて、我々に体験させてきたのです。
活動記録(ストーリー)の良さを知ってもらいたい一方で、「今」の蓮ノ空から触れていきたいなら直近の配信を見て欲しい、と思うのは、アプリを通じて「今」向こう側にみんながいる、と感じられるからです。
私たちはいくつか見ていく中で、「そういえば前にもあの子がこんなことを言ってたな」「この子といるときのこの子はこんなリアクションをするんだ」といった気づきがあるでしょう。
彼女たちはみんなやり方は違えど一生懸命で、前向きで、魅力的です。そのうち、点と点が繋がっていきます。
ぼくたちの思い出
1年の間に、私たちの中にも、思い出が積み重なっていきましたね。
例えば、この配信を見た時は仕事がしんどいときだったな、とか。道ばたで見たな、とか。フォロワーさんのつぶやきが面白かったな、とか。この日の晩ご飯これにしたな、とか。
ラブライブ大会予選があるときは、本当にびっくりするくらい緊張しました。
通信量を送れるイベントのときは、私にもやれることがあると本当に嬉しかった。
この1年、このリアルタイムのおかげで頑張れたことが沢山ありました。
コミケ会場でラブライブ大会決勝進出を聞いたときにきめたガッツポーズは、多分人生最高のガッツポーズでした。
これからまた、いろんなことがあって、思い出が積み重なっていったとしても。
私が彼女たちを知ることで体験したことは、変わらないのです。それこそが宝物になっていくんでしょう。
文脈について
主語のでかい話をしますが、ファンというものは、文脈というものを重視する傾向があります。
先日、全然別のアイドルの現場に行ったときに「メンバーの成長(と卒業)」というものがある種の物語性をもってファンの間で語られているのを聞きました。加入時はこうだった彼女たちが、こんな風に成長して…というように。
例えば、別の作品では地下アイドルが武道館を目指すように。
応援するためには目標があった方がわかりやすいのです。
しかし本当に大切なのは、目標へ向かう過程であるのでしょう。スクールアイドルがラブライブ大会に出場するしないに関わらず、どのように駆け抜けていくかに青春を感じる方なら、分かっていただけるかもしれません。
「文脈を知った上でライブで浴びるこの曲は最高だぜ!」
「この曲って電波曲かと思ってたけど、文脈知ったら泣き曲だった」
そんな風に思ったこと、ありませんか?
文脈をweblio辞書で検索してみると、(抜粋)
と、あります。
さっきの例に当てはまると「なぜその曲がそこに出てきて、どういう思いで彼女たちが歌っているのか」という感じでしょうか。
蓮ノ空の楽曲というのは、FesLIVEで披露される曲は「どういうタイミングで、どういう活動記録の途中で」が分かる曲が多いですよね。
この1年間で公開されたストーリーは18話、デビューミニアルバムの各ユニット3曲から直近の「えっあの時に瑠璃乃ちゃんが歌ってた歌がBANG YOU グラビティ(※ド名曲)なんだ…!!」といったような気づきまで。
知らなくてもド名曲である数々が、その曲の背景(ストーリーや配信)を知ることでさらにド!名曲になる。そういうのが文脈であり、楽しみ方のひとつなのだろうと思います。
もうひとつの文脈
この、文脈というものは、実はこれまでに書いてきたような、受け手の私たち自身の思い出と密接に繋がっています。
配信を数回、数ヶ月なりとリアルタイムで彼女たちを知ってきた私たちの思い出は、彼女たちに感じる文脈(物語の間の脈絡)以外に、「あの時の私たちはこうだった」という個々人の記憶と結びついているのです。
誰かにとっての蓮ノ空との出会いが、いくら聞いても飽きない体験談であるように。
受け手の私たち自身の中にある、彼女たちとの思い出が文脈のひとつになるのです。
あなたの大切な思い出は、
当然、あなたしか持っていないものです。
リアルタイムで彼女たちと過ごす365日は、あなたがすごす365日と同じ時間です。彼女たちが悩んでいた時間は、あなたが彼女たちを思って悩んだ時間と同じです。
最後に
今日のあなたはどうでしたか。
ちょうど、104期がどうなるか、期待や不安やいろんな気持ちを持っていませんか。
近所の桜が咲いたかとか、気温の変動が厳しいとか、新しい地で頑張ろうとしていたりしていますか。
あなたのリアルタイムは、どうでしたか。
物語と、彼女たちの活動そのものと、それを応援する私たちを繋ぐ文脈。
知っている子が頑張っているのを応援したいという気持ちは、結構普通だけれど、素敵だと思いませんか。
空が繋がっていると言うことの意味を、私はいつも考えています。
蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブがもたらす「今」は、
過ぎゆく時を惜しみながら、過ぎゆくからこそ愛したいような、駆け抜けていく今なのかもしれません。
ご覧いただきありがとうございました。
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