ヘタウマ、ってのは幻想。

どうも、GAIです。
ヘタウマ、なんて言葉がよく言われます。
下手だけど、上手い。随分と矛盾した言葉ですが、どうやらヘタウマな絵ってのはとても評価が高いようです。
しかしどうも、世の中には「ヘタウマ」を名乗っている「ヘタクソ」な絵が蔓延しているように思えます。
ようするに、言い訳をしておるわけです。
ヘタクソですが、ヘタウマっていい変えると、それっぽく聞こえる。耳障りが良くなるってなことです。まあ、きっとそれでいい気分になるんでしょう。自己満足できるのであれば、それでよいとは思います。
ですが、本当に評価を狙っている場合はそういう訳にはいきません。
成功しているヘタウマな絵はたくさんあるかもしれませんが、失敗している自称ヘタウマな絵は星の数ほどあるわけです。
その違いってのは一体なんなのでしょうか。

結局上手い。

ヘタウマという単語を分解すると、下手と上手になるわけですが、どういう意味かというと「下手に見えるけど上手な絵」ということです。
これは本人の自覚とは無関係な場合もあり、センスがいいなら描けます。
どういうことかというと、印象に残りやすいとか、愛着があるとか、母性を感じるとか、まあそういういろんな感情に訴える要素が含まれているわけです。そして、そういう絵が描ける人は、一般的に「センスがある」人です。

センスがあるのは素晴らしいことです。何をやってもセンスが出る。
センスは流行を敏感に感じ取ります。感情に訴えかけます。需要を発見します。
いろんな要素を取り入れつつ、「下手にみえるように」描くことができるのです。

絵が下手だと無理?

いいえ。センスです。そもそも絵が上手い、というのは技術オンリーの話ではありません。
色を選んでキャンバスを塗りつぶすだけでもその人のセンスが出ます。
センスが無ければ見るのも嫌な(それはそれで才能ですが)絵が完成します。センスがあればずっと見ていたい絵になります。
つまり、ヘタウマな絵というのは絵の技術技法というよりは、需要と供給を理解した上で、何が求められているのかを感じ取り、それを形にするセンスが必要なものということです。
とてもレベルが高いものなので、簡単に思って描こうと思ったところで、見るも無残なヘタクソな絵しか出来上がりません。
こんな絵が売れているのだから俺が描いたって売れるに違いない、なんてことを考える輩はしょっちゅうでてくるでしょうが、センスが無ければ何にもなりません。大人しく絵の練習をしましょう。

描きたい時はどうすればいい?

深く考えましょう。
誰がどんな風に何を求めているのかを考えて、どういう絵が最適なのかを考えましょう。
それを頻繁にやっていれば、きっとそれっぽいものが描けるようになると思います。

僕の絵は、ヘタウマではなさそうですが。

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