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福島県郡山市。頭がからっぽになるまで踊り続ける、「からっぽ祭り」。

3/23土、福島県郡山市西田町にあるデコ屋敷にて「郡山からっぽ祭り」に参加。
デコ屋敷は、木彫りの人形(張り子)を作る職人の集落。その場所で、張り子のお面を被って踊り続けるイベントが開催。

参加して、数時間だったけれど、参加しなければ、お面を被って踊らなければ、決して分からなかった「普段の自分の顔(本当のお面)」について考えさせられた時間。普段こんなにも人の目を気にして過ごしていたのかと心拍があがった時間。少し大げさだけれども、度肝を抜かれたような、人の目を気にして生きていた「恥ずかしさ・情けなさ・悔しさ」がいっせいにどっと押し寄せてきた瞬間もあった。でも、それでも意を決してお面を被って踊れば、こんなにも人の目が気にならなくなるのかと、こんなにも自由になれるのかと、高揚した時間があった。

日々何かから強い影響を受けていたり、何かに囚われていたりすることが悪いとは思わない。けれども、誰かの承認や評価、他人の目や集団の同調圧力が一切なくなったとしたら、自分はどうなるのか、どうなれるのか、どこまでいけるのかについて、大きな可能性を感じた。

だからきっと、誰かや他人から「どう見られたいか」ではなく、自分が「どうなりたいか」を日々もっと強く大きく掲げるべきだと。自分が「どうなりたいか」で、一つでも多くの行動を決めていけるようになるべきだと。

そうなれるように、お面を玄関に飾り、毎日記憶の塗り直ししていこう。どうか飛躍の分岐点になってくれますように。

きっかけと思い出と刺激をくれた2人!ありがとう!


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その他、雑感も忘れないうちに。
・あの日、あの時間だけは、ディズニーを超えてたんじゃないかと。被り物をし、日常を忘れ、からっぽになる。外に出たら、我に返る。我に返っても、体験する前の状態とは変化している。
・「お面の型は全部先代。先代がすごい。俺は型に色を塗ることしかできねえ。先代はすごい。俺は型を作れねえ。でも、ちょっと変わった色使ってみたりしてんだ。」と、張り子職人さんの言葉。この言葉を聞けたことは、財産。いつか理解できる日が来るかな。
・日本の新しい奇祭。巡回してほしい。
・からっぽは、「からっぽ」と「からっぽでない状態」がないと生まれない。その行き来からしか生まれない。行き来がないと、リセットするものも、カラにする箱も見つからない。
・踊り続けることは、探し続けること。探し続けることは、行き来し続けること。行き来し続けるのは、「からっぽ」と「からっぽでない状態」を自由に行き来できるようになりたいから。「からっぽ」がいいときもあれば、「からっぽでない状態」がいいときもある。
・ダブルスタンダード。ダブルスタンダードは踊り続けて、探し続けて、行き来し続けて、少しずつ少しずつ「彫刻」のように形作っていくもの。周りに流されず、自分の興味のままに邁進して、形成していくもの。それが自由にできるのは、常に今しかない。どんどん自由の時間は減っていく。
・地方(ローカル)の尺度と、中央(都会)の尺度。インタウンの向き合い方と、インハウスの向き合い方。スタートアップのスピードと、大企業のスピード。など。
・文章を書くとき、文章を書き直したいとき、一度白紙にしてから(一度からっぽにしてから)書き直すケースと、白紙にしないでそのまま書き直しを始めるケースの2パターンがある。総工数が少ないのは、一度からっぽにしてから書き直すケース。白紙にしないでそのまま書き直しを始めると、これがわかりづらいなとか、これを変えたらこっちはこうした方がいいなとか、こうしたらこの構成変えた方がいいなとか、どんどんどんどん修正したい点が発生してくる。つまり、からっぽにせず、これまでの箱の中で一つ一つ書き直していくのは一番時間がかかるということ。もちろん時と場合によるけれど、ずっと辻褄が合わなくなる行動、先が見えない中途半端な状態が続く行動は避けていこう。書き直したいときは、きっぱり、一度からっぽにしてから。

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高速バスが満席で、倍のお金と時間をかけて帰宅することになった日曜夜。
来週はどんな1週間になるのだろうか。
自分はどんな1週間にできるだろうか。
そんな不安と緊張、微弱なワクワク感を抱えながら、からっぽ祭りの時間を懐かしみながら、文章を書きながら、車窓が時折見せてくれる氷山と夕暮れと満月に癒される。

総じて、良い週末でした。来週も大吉!

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