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ファイア・イズ・アウト、リメイニング・ヒート 3

2.ランズ・オーバー・ア・サウザンド・サウザンド


 三番目の部屋には、いくつかの鉄扉がある。ノーボーダーは自信ありげにこれだと指さし、揚々と先へと進む。その先にもまたいくつもの鉄扉を持つ部屋。「ッ気が滅入るな」アングバンドがうんざりと言った。「この先もずっとこんな感じなのか? "目的地"まであと何分だよ」

 探索の指針となるノーボーダーが取得した経路データ。それはベンダー搬入路が描くアリアドネの糸じみた一本の……そしてカトリセンコじみたループ線であり、地下──ヨロシ鳶ビル地下49階──の実際の広さ以上の距離を移動するものだった。そしてその"目的地"は、垂直に突き立つライン、おそらくはエレベーター。

 一同はマラソンめいた早歩きで消費体力の節約と速度の両立を試みている。「まだなんとも言えないけど……このままのペースで一時間くらいかしら?」「……それは、広いですね。いや、複雑さか……」アンバーンドが驚きを漏らした。「テロリスト侵入防止構造みたいなものかもね。最長の距離を歩かなければゴールには辿り着けない、みたいな……」

 それから、一同は幾つかの部屋を抜ける。今はミゼリコルティアの陰に隠れる元敵方のスネークフットによれば、"縦糸"なる処刑人じみたニンジャの存在が仄めかされていたが、本来後衛タイプである彼女が配置されたのも予定になかった事だという。「つまり、本来あるべき態勢が崩れているっぽい、と」

「本来の態勢というのは?」コックハートが問う。傭兵がンー、と唸った。スネークフットは変則インタビューで実際少なくない事柄に黙秘を貫いた。だが、ノーボーダーの勘所を抑えた質問によって、スネークフット自身が答えたと思ったより、多くの情報を得ている。パズルピースを並び替えれば、多くの事が推測可能だ。傭兵は「あくまで予想だぜ」と前置きした。

「ニンジャを多数放り込んでサツバツキリングフィールドにしたい場合……カラテ強者に追い回させて焚き付ければ十分だ」コックハートが首を捻る。「だが……ソウカイヤ所属のニンジャなら、協力して脱出しよう、という話になるのではないか?」

「ハハッ」コックハートの素直な思考に、アングバンドが笑いを漏らした「ッアイツら、もとい俺らがそんな殊勝なタマかよ。この機会にブッ殺しちまおうとか考える奴は少なくない……あぁまったく。少なくはないだろうな」「そだな」傭兵があっさりと肯定した。「ニンジャは本来群れない。勢力の敵対、同盟内の利害、パーティの手柄、メンツ……火種はいくらでもある。たとえコンビであっても軽蔑しあっているケースなんてザラだしな」

「なんというか、本当に……」アンバーンドがモゴモゴと口中で呟いた。傭兵は続ける。「で、コイツ(スネークフットを親指で示した)みたいなカラテがヘボな奴らにそういうデスゲームで役目があるとすれば……脱出路付近で待ち伏せさせる。ガチガチにフーリンカザンを調えさせた上でな」

 ノーボーダーが頷く。「スネークフット=サンは本来は……この場合エレベーター付近に配備されていたはず、という事よね」「わざわざこんな奥地にベンダーを運ぶ苦労をかける理由がわからん。多分、急にニンジャの手駒が足りなくなったんじゃねーかな」「…………なるほど」アングバンドが呟いた。

 その後五人と一人のニンジャは、地下空間をマラソンめいた早足で巡っていく。高さが上下したり、導線が不自然な位置の扉を潜ったりしていると、どことなく口数も少なくなってくる。

 だんだんと、作りが粗雑になっていく。先のようなコンクリート打ち放し処理の空間ばかりではなく、岩肌が見えているもの、地層が見えているもの、汚染水源に行き当たり、溝を切ってそこで工事を終了したのが明らかな部屋などもあった。

 光源も雑然とした印象が強くなってくる。最初の部屋付近にあったLED電灯から、いずれも裸電球であったり、蛍光灯が割れていたり、ドアも木製からカーボンフスマなど一定せず、どんどんと"中心から外れている"印象が強まる。

「ッチッ、だんだん辺境っつーかよ……高さも下ってる気がすんだけど俺の気のせいか? 地下なんだろ? 更に下に行ってどうすんだよ」「それがトラップよ、ソウカイヤの単細胞さん」アングバンドの不満をノーボーダーが軽く受け流した。

「ここが地下だっていうのは遅かれ早かれワカル……ならば上に、っていうセオリーよね。だからこそ裏を掻いて、より端っこっぽい、より下層に出入口を隠している。そういう事でしょ。……ヨカッタわね? 私がいなきゃ、アンタ地下1階まで上がってヒモノよ?」「ッケッ、お前は最初の部屋で縦だか横だかいう連中に狩られてオダブツだろうよ」


「…………サヨナラ!」


 超自然的な爆発音が響き、ニンジャ達は一斉に五感を研ぎ澄ます。爆発四散音。「……遠いわね?」「……近ぇな」ノーボーダーとアングバンドが所見を述べた。ミゼリコルティアが総括する。「ニンジャとニンジャの戦闘からの距離と考えるなら、近いな」

「俺達の他のもニンジャが、スネークフット=サンと同じ陣営のニンジャに襲われている、という事か?」「……それとも、拉致されたニンジャ同士が争っている」コックハートとアンバーンドが所見を述べた。ミゼリコルティアが総括する。「タテヨコ連中が返り討ちにあっているって可能性もあるな。ウケるぜ」スネークフットが居心地悪げに身を捩った。

「カコッ……ザザ、ピガー……」ノーボーダーの懐から、ラジオノイズじみた音が鳴り出す。スネークフットが所持していた無線機だ。様々な利用法が考えられはするが、同時に機を見てこちらの情報を流されるリスクもある為、ミゼリコルティアが奪い、その後ノーボーダーに押し付けたのだ。

 声はない。最後に回されていた周波数で、向こうがたまたまスイッチを押したのかもしれない。「ザー……カコッ カッ……ザー……アバー……サヨナラ……」

「ザー……畜生! 俺のカトン・ジツは当たりさえすれば……ファッ……クソ! グワーッ! ザー……サヨナラ!」

「ザー……ウォー! 俺の古代ローマ・カラテが……カコッ……ザザッ……サヨナラ!」

「ザー……バカナーッ! このバイオハサミが壊れ……イヤーッ! ……サヨナラ!」

 次々に強みをアッピールし爆発四散させられていくニンジャの断末魔。誰かが足を速め、誰かがそれに追随した。知らず、全員が速力を上げ始めていた。

「ザー……ワッザ!? ありえない、オレの脚力は常人の三倍……サヨナラ!」

「ザー……フフ……貴様も我が重サイバネカラテアッバーッ!? サヨナラ!」

「ザー……数だ! 数で勝る俺達がアバーッ! サヨナラ!」「 アバーッ! サヨナラ!」「ま、待て! ハイクを詠ませ……サヨナラ! ……ねぇ、聴いてるんでしょ?」

「今、捉えた。アナタ達の足音……。ねぇ、あなたもそこにいるの? カズヤ=サン。まだ会っていないものね?」

「この、声……?いや、だが……キリエ!? ノーボーダー=サン! 無線機を貸してくれ!」カズヤ=カワゴエことコックハートが言葉を言い切る前にミゼリコルティアはノーボーダーから無線機をもぎ取り、通り過ぎる部屋の方に放り即時スリケン投擲し破壊!

「バカか。位置が伝わってるっつったろうが」「だが……!」「どう聞いても殺ニンジャにノリノリだろうが。どうしてもって言うなら立ち止まって足留めでもするか?」ミゼリコルティアの冷酷な言葉を受け、コックハートは……むしろ目に決意を宿す。それを半ば予知していたアンバーンドが、その背中を強く叩いた。

「ゴホッ!?……何を、アンバーンド=サン!?」「彼女は助けを求めていない。……いません」コックハートは……落としかけた速度を早め、集団に追随した。そして、その問いの意味する所を呑み込みながら答える。

「イヤ……だが……クソ、だが確かに、あんな冷たい話し方をする奴では……」「ひとまず安全を確保しましょう。そうでなければ……溺れた者を助けようとして自分も沈んでしまう。そういう方針でしたよね」カズヤ=カワゴエは奥歯を噛み砕かんばかりに噛み締め、一言「分かった」とだけ言った。

 カコッ……。


 カコッ……。

「ッだが実際ヤバいぜ」アングバンドが切り出した。「無線で脚力自慢が追い付かれた、みたいな事言ってなかったか? このペースでエレベーターのある部屋まで間に合うのかよ」


「……なんとかなる…………かもね」ノーボーダーが冷や汗を滲ませながら答える。「次よ! 次の扉……の左手90°から最後の直線!」「……ッ 直線かァ」スピード自慢に対し、直線はいかにも分が悪い。

 カコッ……。           カコッ……。

「これは、何の音で……ウソでしょう!?」遠目に、ドアとドアとドアが惑星直列じみて並んだ瞬間に、ゴマ粒めいた人影がアンバーンドの視界に写った。それはコメ粒ほどの大きさに。それはビー玉ほどの大きさに……ハヤイすぎる!

 カコッ……カコッ、 カコーッ……カコッ カ コーンッ、コカ コッカッ…………。

 コンクリートに反響する音が耳に届くより早く次の一歩を。次の一歩を。左右非対称の池を走る水切り石が投げかけ、池の縁で反射した波紋じみて、一定のはずのリズムが歪んで聞こえる。先の無線通信ノイズじみて入り込んでいた音は……あれだったのだ。蹄鉄じみた硬質の疾走音。

「来てます!」「ッわかってるっつーのッ! 撃てるか!?」「足を止める方が危険でしょ、行くのよ!」扉を抜け、左手……最後の直線への扉……それはひときわ大きな鉄扉だった。電子制御が前提なのか、持ち手は何かの言い訳じみておざなりなバーが付いているだけだ! 

 ミゼリコルティアが加速し、跳躍!決断的トビゲリだ!「イヤーッ!」ゴォーン……。扉は全体に広がるように歪んだものの、一撃では通れない。「チッ……普通に開ける方がマシだったか?」

「どけミゼリコルティア=サン! イヤーッ!」アングバンドもトビゲリ! 扉が歪む!「アッコラー! ドケッコラー!」連続ヤクザ・ケリ・キック! 扉が歪む!

「「イヤーッ!」」コックハートが体重を乗せたドロップキック! アンバーンドがトビゲリ! 扉が歪む! ノーボーダーは電子制御パネルを探すが、こちら側にはない!

「イヤーッ!」ゴォーン……ズズズズ…………。アングバンドのケリ・キックとミゼリコルティアの回し蹴りが契機となり、巨大な鉄扉はくの字を描いてタタミ一枚分向こう側に滑ると、そのまま扉の質量とカラテが拮抗し、静止した。数秒で倒れるだろう。

 素早く隙間から次の部屋の踏み入ると……「オイオイオイオイ……」アングバンドが思わず恐怖に似た形相を浮かべた。一際大きな長方形のトーフ部屋。タタミ百枚ほど向こうには……今しがたこじ開けたものと同じ大扉。「ここからなら制御パネルなりで開けられると思うが……そもそも制御システムが生きてるかは賭けだな」

 問題は大扉だけではない。このままタタミ100メートルを追いつかれずに疾走した挙句、多目的障害物走じみて大扉を開け、エレベーター(存在するならだが)を呼び、エレベーターの扉を開くのを待って、乗り込み、エレベーターの階数ボタンを押し、エレベーターの扉が閉まるのを待ち、エレベーターが無事動き出すのを待たねばならないのだ!

「ここで迎え撃つしかねぇか」傭兵が覚悟を決めかけた時。「ねぇ、あっち!」ノーボーダーが叫んだ。右手、小さなカーボンフスマ。上部には『第四搬入路 制御室』と印字されたタグ。

「あそこから扉操作するんじゃない?」「────ッ!」誰が状況判断したわけでもない。あるいは、単に集団真理が易きに流れたのかもしれない。だが向かった。全員が、一心に!

 スターン! スターン! 最前列のミゼリコルティアが引き開け、最後尾のノーボーダーが閉めるまで1秒! 内部はタタミ二十畳ほどの小さな部屋だ。応接室じみたソファとガラステーブル、UNIXデッキ、コブチャサーバーなどがある。傭兵は素早くカーボンフスマの正面を避けた横に立ち、追跡者のエントリーを警戒した。

カコーッ……。カコーッ……。

 アングバンドも遅れてチャカ・ガンを取り出し、反対側の側面に立つ。「おい、これ……アイツが広域のジツでも持ってたらネズミ袋じゃねーのか?」アングバンドが問う。ミゼリコルティアはニヒルに笑ってみせた。もしそうなら終わりだ。

 ギィィィ……イィィィーィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィイイ…………ド、ゴ、ドン…………。

 重々しい音が、鉄扉が倒れた事を知らせる。足音がどこへ向かうのか、室内のニンジャは息を顰めて知ろうとしていた……………………。

 ………………「ワッ」

「なんちゃって。ハハッ」余裕めかした若い女の声。殺戮を実行し、異様な速度で追跡しててきたにも関わらず、あまりに軽いその声。その態度。「逃げるんだ。カズヤ=サンは。フフ……ニンジャから」

 コックハート……カズヤは反射的に答えそうになり、そして己を強いて落ち着けた。カーボンフスマ越しでも分かる、近しいからこそ分かる。自分が知っているキリエ=サンのそれと異なる……彼がかつて孤児として暮らしていた底辺の世界で稀に聞く、踏み外した者の軽さ。逸脱のアトモスフィア。「キリエ……サン」「ゴール前で待つよ」

「私にも、新しい仲間が出来た。……出来て、いた。……来なよ、新しいお仲間を……一人一人爆発四散させて、生首を供えてあげる」対話は成らず、声はカツーン、カツーン……と音を立て……遠ざかっていく。目的地、地上への道のある部屋へ。

 ズズズズズズズズズ……。

 電子制御を働かせたのだろうか。それとも力尽くで?……カーボンフスマの向こう、見えない所でその先への側の扉が開いていき、そして…………沈黙が訪れた。

 ミゼリコルティアが素早くカーボンフスマに耳を押し付けた。ニンジャ聴覚、ニンジャ野伏力、ニンジャ第六感……そういった強化された知覚系を総動員して……もはや隣の空間には何者もいない事を確認。素早くフスマを開く。閉める。「クリア」一同はそこで初めて肩の力を抜いた。

「スゴイ……威圧感でした。まるで……新幹線のレールの上で……新幹線に追われてるような」アンバーンドが大きく肩を上下させながら吐き出す。「実際そのくらいの速度は出てたかもしれないわね……ヤバい相手よ」「カラテ特化だよな、アレは」ミゼリコルティアがスネークフットに確認した。

 スネークフットはしばしの葛藤の後、観念したように「そうだと思う」と口にした。「カラテが話題に登るのはサタナキア=サンと同じくトップのコントロールメント=サン……それからディッキンソニア=サン、そしてキャタリナ=サン……純粋な戦闘能力で五指に入る、と思う」

「より攻撃的かつ積極的にニンジャを狩る部隊……"縦糸"だっけか。灰皿みっけ」ミゼリコルティアがデスク上の灰皿を掴み、ソファ上に身を投げ出した。そして煙草に火を点ける。コックハートが人数分のコブチャをサーバー横の紙コップで供した。「コブチャは古くなっていないな。水も問題ないぞ」「お、サンキュ」

 ノーボーダーはデスク上、UNIXデッキ付属のキーボードを叩くと、ディスプレイのスリープモードがゆっくりと……解除された。数日単位で放置されてはいたようだが、電源が入りっぱなしだった時の立ち上がり方だ。「ここは人の出入りがあったみたいね? 設備が生きてる」

「見て下さい、地図です」周囲をウロウロと歩き回っていたアンバーンドが壁を示した。壁に貼られたA1サイズの用紙、その上部には『ヨロシ鳶ビル 極秘地下プラント計画』と細い字でショドーされている。そして中心には『地上エレベーター』と印字された上から、朱色で『破棄』と巨大なハンコが捺されている。中心の僅かに下部に、『現在地な』と、印字ではない、恐らくは現場作業員の書き込みがあった。

「熱ッ……随分こざっぱりとしてるな?」アングバンドがコブチャを啜りながら呟いた。地図は『破棄』のハンコが捺された円形のエリアから上・下、右上・右下、左上・左下の六方に先の大きな部屋と各制御室の組み合わせが存在し、その先は、何らかの設備・プラント名が雪の結晶のように、グロテスクなまでに整然と配置されている。今しがた走り抜けてきたアリの巣めいた通路とはあまりに印象が異なる。

「恐らく……廃棄された計画を流用しているのではないでしょうか」「地下まで穴掘った所で中止……」アングバンドが言いかけて眉を顰めた。ノーボーダーがディスプレイと睨み合いながら言葉を継ぐ。「あるいは買い取った、あるいは中止させた、あるいは……元々そこで手放させる予定だった、とかね」

「ま、どーでもいいよ。どいつを殴れば事態を解決するか。誰がカネを出せるか。それが分かってりゃそれでいい」ミゼリコルティアが紫煙を長く吐いた。「ッそりゃあんまり傭兵のロジックすぎるぜ」アングバンドが笑った。ミゼリコルティアは前屈し、煙草の灰を落とす。「組織人と違って、カネを出させるまでが仕事の内なワケよ。フリーランスのつらみな」

 ッターン! ノーボーダーが一際大きな音でキーボードを叩くハッカームーブで耳目を集めた。「いくつかわかった事があるわ。流石私ね。あの扉の向こう側には、確かに生きたエレベーターがある」「生きた……ってとこまで分かるのかい」ミゼリコルティアが尋ねた。ノーボーダーは真剣な顔でスゴイ級の速度でキーボードをタイプしながら頷く。

「ここからは各設備のステータスが見られる。ここを辿って権限を書き換えれば、あるいは設備の操作……フーリンカザンを整えられるかもしれない」「ッそこはハッカー様に乞うご期待だな」「そうね」

 冗談めかして言ったアングバンドであったが、自分の専門領域たるハッキングに自負を持つノーボーダーの宣言に、あえなく撃ち落とされた形だ。アングバンドは手持無沙汰に、空になったコブチャのカップを啜る動作をした。

「今エレベータールームの監視カメラを掌握しようとしてる……。この『重機1』とか『重機2』とか、ユーザビリティを考えてない名称の設備が何なのか、映像で確認しないと、なんともね」「わかった」ミゼリコルティアが頷いてみせた。

「つまり、ノーボーダー=サンはここに残って戦う、と」ノーボーダーがニヤリとする。「現場だけがイクサの現実じゃないわ。私の指さばき、もう一度見せてあげる」ミゼリコルティアが重ねて頷いた。「いいだろう」

「じゃあノーボーダーと……スネークフットも残すか……それから……」「俺は行く」コックハートが敢然と言い放った。「アンタも残れ」「俺は行く」繰り返したコックハートに対し……しばし殺気じみたアトモスフィアが広がる。

「スリケン生成も出来ない奴に戦場に出てこられると迷惑だ。邪魔だ。足手まといだ。ここでノーボーダー=サンを守れ」ミゼリコルティアが冷然と言い放った。「いや。……俺が行かなくてはならない。これ以上キリエに誰も殺させない!」

 傭兵は煙草を灰皿に押し付けて消し……足に力を籠め……「待ってください」アンバーンドが割り込んだ。「彼女……キャタリナ=サンは、コックハート=サンに……その……」「生首を捧げるっつってたな」アングバンドが言った。「俺らの」「そうです。そう言っていました。つまり、彼女にはコックハート=サンを……少なくとも最初に殺す気はない」

「ボコボコにされて隅で放置されるんじゃねーの? 別に構わねーけどな。アタシはカネを払う奴の心配をしてるだけだし」傭兵が腕を膝の上で交差させてダラリ……と垂らす。「彼女が強力なニンジャであるとするなら」アンバーンドは決然と続けた。「感情的になっている対象がその場にいる事で、なんらかの乱れを生じさせる事が期待できます」

「…………」ミゼリコルティアはしばし黙り、頭を掻いた。コックハートは唐突に平手打ちを食ったような顔をしていたが、やがて頭を振ると、決然とミゼリコルティアを見た。「……随分冷たい物の見方が出来るようになったな? アンバーンド=サン」「はい」

「……いいだろ。コックハート=サンはせいぜい敵を揺さぶるように。あと、途中で敵方に付いたら裏切り依頼と見做して殺す。傭兵は舐められたら終わりだからな」「……ウム」イタマエ装束の青年は腕を組み、堂々と答えた。「どうなろうと、誰も恨まない。俺は最善を尽くす」

 アンバーンドは立ったまま、コブチャのカップを手に取り、濁った水面に自らの顔貌を映した。(((カズヤ=サンは、犠牲を許容したわけではない)))フー、と息を吹きかける。猫舌だからだ。

(((最善の未来を信じている。たとえそうならなかったとしても、『力が足りなかった』と思う事はあっても、『裏切られた』とは考えないだろう)))息を吹きかけ、映る己の顔を波紋の下に沈める。コックハートの情熱も、ミゼリコルティアの冷徹も、自身には遠い。それらには真剣さが核にあるからだ。

 イクサ場に出る覚悟。イクサ場にあえて出ないという覚悟。相手を殺す覚悟。相手に殺される覚悟。あるいは……敵を殺さず、殺させない覚悟か。そのいずれも無い。ヌルいというならこれ以上の温さはないだろう。ただ…………求めている。イクサの高揚……に似た……もっと奥にあるものを。ずっと。アンバーンドは考える。

(((ニンジャになっても人生は変わらない。力ある者は更に力ある者によって破れ、裏では組織が圧倒的な支配権を振るっている。ここから脱出できたなら、……また生活が始まるのだろう。どこかに身を寄せ、誰かに言われてクエストをこなし、一人で家や宿に帰って眠る日々が。

 それは……世間のせいではない。現にミゼリコルティア=サンはやっている。組織に所属せず、シリアスに生きる事を。そのような生き方が出来ないのは、偏に、信じられる核が、許せないものが、己の信念がないからだ。囁きかけられる利益、不利益の回避。将来保証、社会正義、大義……。そのようなものに自ら身を寄せるのだろう。それを厭いつつ、他の道を見いだせずにいる)))

(((なんだ、つまる所モラトリアムか)))アンバーンドは自嘲する。コックハート……カズヤ=サン達が羨ましい。彼らは帰る場所を作り、新しい未来を作る事が出来るのだ。三十路の自分には……などと言い訳をして、己はまたチャレンジしないのだろう。(((あるいは己も、他も、全ての可能性を燃やし尽くせたのなら、どんなにか痛快だろう)))

 コブチャの紙コップが落ちる、軽い音が響く。

「どうした、アンバーンド=サン? 熱かったか?」コックハートが心配げに言った。「実際熱いよな、こりゃ」アングバンドが笑った。「ああ、いや……」アンバーンドが紙コップを拾おうとし……床の上の水溜りを見た。それは瞬く間に泡立ち、蒸発して消えた。そこに残されたのは……僅かな床の染みのみ。

 アンバーンドは空っぽの紙コップを拾い上げ、その白い底を一瞬凝視し、すぐ目を逸らした。水鏡はもうないのに、そこに自分の……真の顔が映っているような気がしたからだ。

(((私が『変わる』とは……ニンジャに成るという事。身も心も適応する事……ああ、だが私は……が怖ろしい)))



 大和撫子然としたニンジャが、オーガニックタタミの上でアグラしている。場所は、ヨロシ鳶ビルからは幾分離れた、とあるヨロシサン系列の廃棄された地下設備……風雅の欠片もない四畳半ワンルーム。出入口は存在しない。

 ニンジャはゼンめいた静けさと集中力を保っている……が、上半身の姿勢は左右非対称の異様なものだった。右腕は肩の位置に掌を挙げ、左腕はだらりと側面に垂らされている。

 だらりと垂らされた左腕の中指で輝くは、青緑赤のきらめく断片をパラボラアンテナめいて受信する指輪。正真正銘本物のマジックアイテム、ソロモンの指輪。九足りぬ十の王冠テンス・ドミナ・コロナム 。その本体である。

 軽く掲げられた右腕の中指で輝くは、もうひとつの指輪。────銘は、無い。

 それは本来指輪ですらない。冒涜と知りながら、太古のエンシェントソード、"シンケン"の欠片を鋳溶かした鉄で自作した指輪だ。それは清廉なる白い光と、朱色の禍々しい光を、睡眠時鼓動じみてゆっくりと……とろかすように……互い違いに溢れさせる。

 アクシデントにより縦糸……"鉄"を放り込む役のニンジャが足りなくなり、彼ら自身を炉に投入せざるを得なかった。人員の補充もないまま"イクサ"を始めた為、手駒の死傷率も甚大だ。

 だが、サイオーホースかな、"火"は予想より佳いものが手に入った。"彼女"一人で賄いきれる試算ではあったが、"火"は"鉄"と違い、量で質を補える。

 大和撫子然としたニンジャが、莞爾と笑い、囁いた。「母に──全て捧げよ」

 何もかも、何もかも……。





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