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ファイア・イズ・アウト、リメイニング・ヒート5


 オカメは八つの目を持つ。モニターから戦況を俯瞰するノーボーダーは、戦況の不味さを結論せざるを得ない。「ヤバイ……ヤバイすぎるでしょ……」

 アンバーンドはスネークフットに他の用途に使われていたディスプレイ、キーボードをも集めさせ、複数のキーボードをタイプしながら機能掌握を続けている。だが戦闘に寄与する手札は少ない。

 緊急警報コントロール掌握…………光源コントロール掌握…………。

 単体のカラテでは……キャタリナ=サンには勝てない。複数で当たってようやく攻勢に出る事が出来る。誰か一人でも。ほんの数秒でも……孤立した瞬間、各個撃破され、戦力低下から更なる各個撃破が始まるだろう。

『ルートを限定する』……囲んで棒で叩く。だがあの速度とフィジカルの怪物に、そんな事が何度も出来るのだろうか?

 真っ先に掌握したクレーンコントロールだが、今やカラテの当事者が乗っている以上、ヘタに動かすと致命的な隙を作りかねない。重機による直接攻撃は、速度や自由度など様々な観点から実効性が薄い。部材落下も同様。先刻は意識の外からの攻撃だったから上手くいった。その上、イクサ場全域をカバーするわけではない。

 リラクゼーション音楽掌握…………換気モニタリング掌握…………。

 これでいいのか? ノーボーダーは進行中の待機時間が重なる僅かな時間に、ベンダーから確保しておいた三本目のザゼンドリンクを一息に開け、沈黙の裡に自問する。自宅が出火した時、混乱し、印鑑を差し置きフートンを持って飛び出したという笑い話……しかし実際にある・・人間のバグじみた挙動をなぞっているに過ぎないのでは?

 だが、これ以外に出来ない。ここから手を組み立てる。それは……あるいはカラテ戦闘者ではない自分にしか出来ないかもしれないのだ。ノーボーダーは自身に言い聞かせ、タイピングを続ける。

 排水コントロール掌握…………消化剤コントロール掌握…………。



「ゴボーッ!」四つん這いで反吐を吐くコックハート。視界、三半規管、内臓……それぞれに甚大なダメージを受けるイタマエ衣装の青年ニンジャの背をさすりながら、今や黒い小板軽鎧めいたニンジャ装束に身を包むアンバーンドは、頭上、急角度で反り立つクレーンアーム半ばで対峙するキャタリナと二人のニンジャを見上げていた。「ミゼリコルティア=サン……アングバンド=サン……!」

「キリ……エ……!」アンバーンドは起き上がろうとするコックハートを諫める。「ダメです、コックハート=サン! 少し休んで……」「そんなわけには……今、キリエ=サンが目の前に……いた……オバケ……ではない! 触れたんだ!ここにいた……」コックハートが明滅する視界のうちに、自らの掌を見た。意識が──ブラックアウト。





「ハァーッ、ハァーッ……」

 裏路地を走る青年の足取りは乱れ、あちこちにある切り傷から血が止まらない。危険は枚挙に暇がない。ネオサイタマの重金属汚染雨が傷口から入って、雨水に体温を奪われて、ハイエナめいて血と弱者の臭いを嗅ぎ付けたヨタモノによって……。持たざる者である青年が今日を生き抜ける可能性は、どれほどか。万に一つか、億に一つか……。

 屋根のある所で手当てしたい、それは山々だ。だがネオサイタマで風雨をしのげる場所を裏口にでも置いておけば、そこは浮浪者や浮浪児の溜まり場になる。故に雨を僅かでも妨げる物は……得体の知れない刺激性の空気を排出するダクト、鉄格子の嵌まった雨水排出管、覚醒と消費行動を促すネオンライト。否、それも裏路地には望めないものか……ゴジュッポ・ヒャッポ。

 裏口の鍵を開けている住人は、その不用心なツケを支払い、淘汰される。混沌と猥雑と夜と罪の都、ネオサイタマを見下ろし、「インガオホー」と呟く月とてない。新月だからだ。

「ハァーッ、ハァーッ……」

 他の日々と区別のつかない日。サラリマンや学生からスリを試み、サイバーゴスやLAN直結中のペケロッパカルトにはカツアゲを働いてカネを奪う。時には盗みも……そんな生業。

 マトモな職も探した。何度も。本当に何度も。スラッシュ&ハックを提案する仲間に、彼は首を横に振り続けていた。可能なら暴力など振るわず生きていきたかった。だが内臓や四肢を売られるのを厭い、施設から逃げ出した孤児達には、それくらいしか生きる術がなかった。

「ハァーッ、ハァーッ……」

 そんな事を続けていれば、『たまたま運が悪かった』で重篤なケガを負い、あるいは死ぬ。特別な理由は必要ない。インガオホーの始めは雨の中、傘もささずにハンチング帽でしのいでいるトレンチコートの男のサイフを抜き取ったと思ったらいつの間にか懐から消えていたのがケチの付き始め。

「ハァーッ、ハァーッ……」

 手ぶらでは帰れない、と思った。新入り──もうすぐ彼女が入ってから一年になる──彼女はローティーン、成長期だ(厳密にいえば青年達もそうである)。気性が荒れる短所はあるが、小さく聡い、妹のような存在なのだ。『仲間にカッコつける』という、彼ら社会的アウトローの価値観からしても、手ぶらで帰る訳にはいかなかった。そうして……いつもの時間より深い時間に潜った。

「ハァーッ、ハァー……」

 身形もよく、優し気な笑顔を浮かべ、サイバーサングラスをかけた複数の護衛に守られていた男がいた。脳裏でブザー音が鳴ったような気がしたが……もし彼に教養があれば「同じ穴にフェレットとタヌキ」と言ったであろう。チャンスなのか。危険なのか。それを明確に区別する方法などないのだから。

「ハァー……、ハァー…………」

 護衛が集まり、端末を……恐らくは地図を確認していた。誰かが「ザッケンナラコラー!」と威圧した。道を間違えたのだろうか。目標は傘を持ち、ニコニコと笑っていた。IRC通知音が鳴り、そちらに気を取られた。青年は飛び出した。

「ハァー…………、ハァー…………」

 結果はこのザマ。サイフも奪えず、床に転がされ、執拗なストンプを受けた青年に、優し気な笑顔を浮かべたまま、男が言った。「ケジメさせろ」「ハイヨロコンデー」護衛が一斉に鞘を払う。濡れたような刃。ドス・ダガー。

「ハァー……………………」

 荒い息が弱まる。それは……疲労が回復したからではない。むしろどんどん重くなっていく。早く吐き出せねば、と思うが、手が冷たい。膝が痛い。地面に膝を突き、手は得体の知れない虹色の油が浮いた水溜りに突っ込まれている。

(((立たなければ……)))立ち枯れの実が枝から落ちるように、頭から水溜りに突っ込んだ。血が、熱が、流れ出す。冷たさが慈悲めいて痛みを麻痺させていた。もはや声は出なかったが、口元を自嘲で歪めた。命が命を諦める事で捻出された余裕……死までの余暇だ。

(((何も変わらネんだろ)))彼のニューロンに去来したのは……彼の仲間、同年代の青年の口癖だった。自分の正確な年齢を知る者は、彼の仲間に一人もいない。

(((オレ達が盗らなくても何も変わらない。その分だけワルが減るって事もねーし。オレ達が取らなくなった分け前を、他の『オレ達』が取っていくだけ……)))視界の先、ドブネズミが後ろ足で立ち、白目のない目で青年を見下ろしていた。

 得体の知れない虹色の油が照る水面には、もはや呼気による波紋もなく、インガオホーの月もなく……何の光も無い。否……否。虹色の油を照らすもの。遠く表通りのネオンが小さく映り込んでいる。『ドンブリ・ポン』。

「……ドンブリ・ボンと来たか」これが最後に見る光。「腹が、減るだろう……」それが末期の息になるのだとわかった。

(((……だが)))最期の瞬間にその意味は裏返った。(((自分が死んだら、仲間たちの腹が減る)))腕に力が……入らない。息を……吸えない。涙が……出ない。

「どうして、君は刺されてるの?」声がした。軽やかな、妙齢の女の声だ。これがジゴクの裁判なのだろうか? 優しそうな担当官に当たったものだ。自分は運がいい……。少しだけ気が楽になって、率直に答える。「生きるため」

「そうなの」「食べるものが……欲しくて……フレデリカ……ルカに……キリエ……に……」「それで? 君は、このまま無軌道に生き続けるつもりなの?」容赦のない質問は続く。「……そのつもりはない」

「じゃあどうするの?」「わからない。俺には学がないからな……マトモな職にも就こうとした。……どこもダメだ。『どこか余所へ行け』の一言で終わり……だが……」青年は少し考えた。

「ルカは九九が出来るし……最近拾ってきた魚図鑑ばかり見ている。フレデリカ=サンはもっと難しい事もワカル。きっと天才なんだ。キリエは……オイランは嫌だと言っていたからなぁ……どうするんだろう……でもきっと、もっとマシな……」「私はキミにどうするって訊いてるんだけど」

「俺? 俺は……俺は何か選べるのか?血の池とか針の山とか……」「……ハァ。そういう事」女性がしゃがみ込む気配がした。「イタマエに興味はある?」「イタマエ……スシ……ジョブ?」

 青年は己のイタマエ装束を想像し、笑った。手元が魔法のように動き、魔法のようにスシが生まれ、街頭テレビで見た事のあるゲタのような容器に載せて、"ドウゾ"と……。「フ……いいな。それは……いい……ユメ……」

 カーン! 青年は頭を叩かれた。「グワーッ!?」青年は頭を抑え、思わず身を起こし……自分が先と変わらぬ裏路地にいる事に気が付いた。三ズ・リバーでも、地獄の裁判所でもない。

 身体中の切り傷が熱く、痛むのを感じた。だが──不思議な言い分ではあるが──嫌な痛みではない。少なくとも、冷たさがもたらす無痛よりはずっと。

 身体の奥から熱が湧いてくる。「これは……?」妙齢の女性が親指と人差し指でつまんだ指輪から、青緑赤の断片が混じった光が溢れ出て、彼の胸に吸い込まれていた。

「私は……あー、ドーモ。名も知らぬ少年。私はカワゴエ。そしてクレセントスカー。イタマエをやってる」そして一拍置いて続けた。「……ただ生きる為じゃなくて、生かす為に生きるというなら、私が君に生きる術を与える」

「何故……? 俺には何もない。奪う事しか……やってこなかった」「そう? ま……勘違いとはいえ、最後の最期に出るのが他人の事っていうのはさ、ちょっと珍しいよね」カワゴエが鼻を擦る。

「…………」「言っとくけどキツいよ。スシ職人も、ニンジャとしての生も」「ああ……だが、きっとそれは、嫌な辛さではないのだろう」青年は壮健に笑った。「俺はカズヤという。苗字はない」カズヤ差し出された手を掴み、立ち上がるその動作は倍速処理じみて勢い付き、カズヤの足裏は地面から50センチも飛び上がり、手を貸したカワゴエはつんのめった。

「イヤーッ!」カーン!「グワーッ!」着地と同時、カズヤの額に打撃! 卵焼き用の四角いフライパンだ! その威力はカワゴエの身体を伝導し、足元の水溜りを跳ね飛ばし、未だ留まり様子を見ていたドブネズミは一声哭いて逃げ去った。

「グワー……」「アホか! まぁ……いきなりニンジャになったんだからね。その力の調整にも少しずつ慣れていきなさい」

「……ああ、わかった。よろしくお願いする、クレセント……」「カワゴエでいいよ」「カワゴエ師匠! ヨロシク! ……ところでニンジャ?ニンジャナンデ?」「心配だねこの子は」





 六十度もの急角度で突き出されたクレーンアーム上……半ば。水平換算でタタミ一枚の距離、目線をぶつけ合う三人のニンジャ有り。上方には、両の爪先で上面と側面を挟み、ナナメに身体を保持するキャタリナ。下方には、チャカ・ガンを構えるアングバンドと、自然体で……カラテを総身に漲らせるミゼリコルティア。

 キャタリナは口の端を歪めながら、彼我の戦力分析を行う。チャカ・ガンは実質問題にならない。近中距離でのショットガンは多少恐れるべきではあるが、直線で狙ってくるならマシンガン相手でも問題ない……それがキャタリナの戦闘経験から来る銃への評価だった。

 ヤクザスーツのニンジャ、アングバンドのチャカ・ガンはLAN直結機能付きのオートマチック。仮にあったとしてフルオート機能。直線上に立っているなら意識外からのアンブッシュもない。尤も、走るキャタリナにアンブッシュを仕掛ける事が出来る相手などそういないが……。

 つまり、敵は実質ミゼリコルティア一人。カラテ自慢のようだが、自分だって身内のカラテ組手において、コントロールメント=サン以外には勝ち越しを重ねてきた。各個撃破し、終わりを始めるべし。

「右ヨロシク」不意にミゼリコルティアが呟いた。「ヨロコンデー」アングバンドは撃った。キャタリナ……ではなく、彼女から見て左側面に。「イヤーッ!」同時、ミゼリコルティアは踏み込み──六十度の急坂を──通常なら頭を撃ち抜くハイキック軌道で左から右に蹴り抜く!

 向かって左に避ければ銃弾軌道上に出る。右からは横薙ぎに蹴りが来る……キャタリナの対応は単純であった。アーム側面に沿わせた左爪先を後ろに、つまり上に滑らせ、そして上面に沿わせた右爪先を後ろに、つまり上に滑らせ、一歩退がった。

 蹴りのリーチは高低差により実質的に縮まっている。単純に一歩下がるだけで無効化が可能──BRAM! アングバンドは撃った。キャタリナの左側面に。「イヤーッ!」同時、ミゼリコルティアは足腰を強靭に制御し、通常なら頭を撃ち抜くハイキック軌道で左から右に蹴り抜く連続キック! アルマーダ・マテーロ!

 キャタリナはアーム側面に沿わせた左爪先を後ろに滑らせ、そして上面に沿わせた右爪先を後ろに滑らせ、一歩退がった。BRAM! アングバンドは撃った。キャタリナの左側面に。「イヤーッ!」同時、ミゼリコルティアは足腰を強靭に制御し、通常なら頭を撃ち抜くハイキック軌道で左から右に蹴り抜く連続キック! アルマーダ・マテーロ!

 キャタリナは一歩退がった。BRAM! アングバンドは撃った。キャタリナの左側面に。「イヤーッ!」ミゼリコルティアは足腰を強靭に制御し、通常なら頭を撃ち抜くハイキック軌道で左から右に蹴り抜く連続キック! アルマーダ・マテーロ!

 キャタリナは一歩退がった。BRAM! キャタリナの左側面に銃弾! 「イヤーッ!」ミゼリコルティアは足腰を強靭に制御し、左から右に蹴り抜くアルマーダ・マテーロ!

 キャタリナは一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」左から右に蹴り抜くアルマーダ・マテーロ!

 一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」一歩退がりBRAM!「イヤーッ!」

「いつまでもそうやって逃げ切れるつもりかよ?」歯車機械じみた連続回転攻撃の合間、ミゼリコルティアは嘲った。「それはこっちのセリフだけど」キャタリナは鼻を鳴らした。「チャカ・ガンってずーっと撃てるとか思ってる?」CLICK!アウトオブアモー音!

「イヤーッ!」瞬間、キャタリナは右からの蹴りに噛み合う左の歯車じみて左の爪先を前方──下に進めつつ、制動された落下エネルギーをも味方につけた脇腹狙いの痛烈なフック!BRAM! 銃声……キャタリナは視界の端で……自身の攻撃軌道上に銃弾が載ったのを捉える!

「お前を仕留めるのに無限のタマなんざ必要ねンだわ」アングバンドが嗤った。ナムサン! 彼は二丁のチャカ・ガンのうち、途中から片方だけで射撃し、あえてアウトオブアモ―音を聞かせたのだ!

「ヤバッ……!」フックを手前に引き戻し……次の手を……アーム上に復帰すれば銃弾が、そしてミゼリコルティアの強烈な蹴りが来る!「チッ!」鈍化する時間感覚の中、キャタリナはアーム側面を蹴り、空中に逃れた!

 カカン。「フー……」不安定な角度、所々の突起を避け、クレーンアーム上を連続で蹴り上がる荒業を続けていたミゼリコルティアは、手近のシリンダー部位に足を掛け、深く息を吐いた。

 キャタリナは空中。ミゼリコルティアのカウントが正確ならば、アングバンドのチャカ・ガンに残された弾は三発。戦闘中に残弾を見極める傭兵スキルは味方に適用しても有用だ。「ヨロコンデー」アングバンドが無力に放り出された得物を前に獰猛に笑い──凍り付いた。視線の先、壁面にはU字の跡!

 キャタリナの咄嗟の回避に見えた行動はヤバレカバレではなく、単なる回避行動ですらなく、次の一手の為だったのだ。ゴウランガ! 理外の速度で円状空間壁面に到達したキャタリナは──更に壁を蹴って水平に跳び、空間の中心、エレベーター円柱に着地。そして瞬時留まる。引き絞られた矢のように──更なる跳躍。

「ドワッ!?」アングバンドはニンジャ第六感が察知した方向、左へ向き直ろうとした際に足を滑らせ──忘れないで頂きたい。彼らは六十度もの急角度足場で戦っているという事を!──キャタリナのミサイルめいた突撃をサイオーホース回避! 速度と質量の暴威によって生じた衝撃波でヤクザスーツが激しくはためく!

「マジかよ!」キャタリナは更に壁を蹴って……違う! 側壁を走っている! 所々に生えた鉄骨をも利用しつつ螺旋状に空間を駆け上がると、最後にヒョイと軽くジャンプし、クレーンアームの頂点に降り立った。ブルヘイケの伝説じみて!

「カラテ……チャカ・ガン……舐めてたかもね」キャタリナは……余裕の笑み。「確実に……やる」

 そして……おお、ナムサン! キャタリナはフラリと前方に倒れる……かと思われたが、両の手を肩幅よりやや広げ、アームに着けた。頭を伏せ片膝を曲げ、片脚は伸ばし、豊満なヒップを天高く突き出すその姿勢……これは、おお、これはまさかクラウチングスタートの姿勢ではないのか!? なんたるニンジャ平衡感覚のみが可能とする異形の二百四十度前傾フォームか!

 ナムサン……! キャタリナの狙いは明白に直滑降突撃攻撃。いや、ならばアングバンドがクレーンアームに対して水平に撃てば、生命なき銃弾はキャタリナの突進にも恐怖する事無く直進し、その身体を喰い破る! これは自殺行為ではないのか!?

 だが……本当に? この局面でキャタリナがそれを想定していないという事があり得るのだろうか? その上アングバンドとキャタリナの間にはミゼリコルティアが存在している。チャリオット・ビハインド・ショーグンの形か!

 キャタリナは伏せた顔の下、三日月めいた確信の笑みを浮かべた。そして……号砲を待った。

「撃て!」ミゼリコルティアが叫んだ。

 号砲! キャタリナは曲げた膝に力を籠め、随喜に似た貌を上げ「何?」

 様々な高さにまばらに取りつけられた投光器が一斉に光を絞り、闇の深度を増した。いや……ただ一つ、クレーンアームの根本からそう遠くない場所を照らす明かりだけが、来る主役を待つかのように空白のスポットライトめいて。

 光の中に……。這う這うの体でエントリーする者あり。それは……白い……イタマエめいた衣装の……青年。「………………」

 逡巡は一瞬。だがアングバンドとミゼリコルティアはそれぞれ戦闘経験と早撃ちクエスト経験から、キャタリナがタイミングを失った事を悟っていた。彼らはキャタリナとコックハートの直線を遮るのを厭う様に、狭いアーム上の端に寄った。

 無音の耳鳴りが場を支配した。その概念的真空めいたサイレンスに、コックハートの掠れるコトダマは……実際よく響いた。「キリ……エ……」コックハートは肺に息を吸い込んだ。深く。深く。

「キィリエェェェェエェェ……ェ!! ガホッ、ゲホッ……ゴホッ……」「なによ」キャタリナが呟いた。恐れる様に。

 その時階下、重々しい扉が閉まる音が聞こえた。大扉のひとつ、向こう側から差し込む細い光のスリットが途切れる瞬間のみを、キャタリナは視野の端で捉えた。

 コックハートの視線は、遠く、小さいはずの視線は、道を開ける様にアームの端に寄ったミゼリコルティアとアングバンドの前を走り、キャタリナの目を射抜いた。それは厳しくも──。…………見た事のない──。

「もう聞いてくれとは言わない」

 ……下方。重機の林が燃え上がった。

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