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文学フリマ『魔女と弟子』サンプル

2019/5/6 第28回 文学フリマ東京
【会場】東京流通センター 第一展示場
【サークル名】新綺楼(空木春宵、海馬屋、神尾あるみ、七木香枝)
【スペース】セ-35
【価格】400円(予定) ※メンバー4人の掌編ペーパーセットです。


文学フリマ 『魔女と弟子』冒頭サンプル

 少年が売り出されたのは、薄曇りの、微小の雨粒がふわふわと舞っている日のことだった。
 街外れの廃墟の屋根は朽ちてなくなっていたため、屋内とはいえ、少年の裸体はすっかり湿って冷え切って、石のように硬くこわばっていた。
(このまま、ほんとうに石になれたらいいのに)
 自分の値段を決める人間たちの声を聞きながら、少年は淡く光を落とす空を見上げていた。
 だから、破格の値を告げた声の持ち主が誰なのか彼にはわからなかった。その声は他のどの声とも違い、透き通って、無色で、何も含むもののない……ただの音だった。
 何もない。音。雨粒のような。意志のない。

 彼を落札したのは、心をなくした美しい魔女だった。

 私には、心がないゆえに。

 郊外にぽつんと建つ、広くもなく狭くもない、二人で住むのにはほんの少し手狭な家に着いたとき、魔女は少年にそう告げた。

「お前の哀しさとか、辛さだとかを、私にわかってもらおうなどと、期待してはいけない。何か望みがあれば、具体的にどうして欲しいか言ってくれ。正当だと判断すれば、なるべく要望は聞く」
「心がないというのは、どういうことですか」
「そのうちわかる」

 魔女はとくに何も命じなかったし、何も強要しなかった。苛立ちを解消するために叩かれることもなければ、ベッドの上で蹂躙されることもなかった。思考を踏みにじられることも、勝手に決めつけられることもなかった。
 魔女はただ同じ家で寝て起きて息を吸っている動物で、しだいに存在は空気のようになっていった。

 腹が減ったらそこいらにあるものを食べて、眠くなったらそこいらにあるものにくるまって寝た。
 魔女の家の裏手には山が、隣には小川が流れていて、見渡すかぎり人家はなかった。
 少年は日がな一日ぼうっと庭を眺めて過ごしていた。そこは本当に庭なのか、それとも周りの草地が庭のような顔をしているのかわからなかった。柵も何もないのだけれど、どういうわけか家の裏手のその敷地だけ、異様に草花が繁茂していた。
 伸び放題になっている雑多な草花に寄ってくる鳥や虫を見ながら、ぼんやり日を浴びていた。

 魔女の活動時間には法則性がなかったため、同じ家に住んでいても顔を合わせることはまれであった。たまに出くわすと、決まってすこし意外そうな顔をした。まるで、なぜそこに少年がいるのかわからないというように。
 わずかに遅れて「そういえば自分が買ったのだった」と思い出すのか、わずかに息を吐いてしばらく少年を見つめるのだった。観察するように。

「僕になにか、命じないのですか?」

 あるとき、観察する魔女の目を見つめ返して尋ねた。魔女に買われて一つの季節が巡ったころだった。

「あなたは僕に、けっこうな金を払ったでしょう。それなのに、なにもさせないでいる」
 魔女の目がじっと少年を観察し、やがて思い至ったようにほんの少し瞬いた。
「なるほど。なにか仕事が欲しいんだな」と、ひとつ頷いて、「すっっかり失念していた」まるで何か偉大な発見をしたとでも言うようにくり返した。
「それで、お前はいったいなにができるんだ?」
「教えていただければ、大概のことはできると思います」
「それなら、庭を整えるという仕事はどうだ。報酬は作業が済んだらまとめて払うから」
「……僕は、あなたの持ち物です。どう使おうとあなたの自由のはずです」
「私はお前を所有した覚えはないのだけれど」
「どういうことでしょうか」
「私は、私が支払ったものの対価は勝手に受け取っている」
「なにを?」
 魔女は答える代わりに微笑んだ。心のこもっていない、口の両端をつり上げただけの笑顔だった。

 庭仕事はいくらでもやることがあって、日が出ているうちはずっと、日が沈んでからも少年は可能なかぎり作業を続けた。
 まばゆく生い茂っていた草花を容赦なく引っこ抜いて、集めて、燃やしていった。
 すっかり平らにしてしまうと、今度は魔女が用意した苗を植え付けた。どれも見たことのない植物だった。魔女の仕事で使うものらしく、庭で収穫できたら仕事が楽になると言うことだった。
 肥料もやっていないうちから面白いほどよく育つ植物に首をひねっていたら、この庭には死体がいくらか埋まっているからではないかと魔女が言った。
 魔女の仕事はそれなりに繁盛しているようだった。
 人が訪ねてくることも珍しくなく、魔女が出かけることもそれ以上によくあった。家を空けたまま何日も帰ってこないことも。

 その気になれば、いつだって少年は逃げ出せた。そうしなかったのは、逃げ出してもどこにも行く当てがなかったからだ。だから黙って庭仕事を続けた。逃げるなら、約束通り報酬をもらってからでも遅くない。
 そんなふうに季節をひとつ巡らせたころには、魔女は少年がいることに慣れたようだった。
「だいぶ育ってきたじゃないか」
 庭の様子を見た魔女に、少年は土をいじる手を止めた。
「あちらの一種はあいにく枯らしてしまいました。申し訳ありません」
「時期か土が悪かったんだろう。ほかのものが収穫できるようになったら、報酬とはべつに褒美をやる」
「どうしてですか?」
「すべて枯らせてしまっても、決めた報酬は払うつもりだった。よく育てても同じ額というのはおかしいのでは?」
「そういうものですか?」
「そういうことが正しいのかと思った」
「正しい?」
「まちがっているか?」
「まちがってはいないと思います」
 それならよかった、と魔女が笑むので、少年は黙ることにした。自分の言葉が魔女に正しさを教えたことがこわかった。

………

(続きは文学フリマにて)

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