2019年3月11日より

あの日で思い出す事と言えば、まず真っ黒な濁流が田畑やビニールハウスを呑み込んでいく空撮の風景、そしてみるみる海が盛り上がり人も電柱も車も飲み込み、それから何処かへ連れ去るように押し流していく風景。
同時に日本がこれまで辛うじて蓋をして封じ込めていたむごいモノが一気に噴き出した気がした。
ノンビリした裏庭であったはずのTwitterは情報ターミナルになり、流言飛語の飛び交う戦場になり、自意識的無意識的な国士様があふれかえる幕末の京都のようになり、色々なものが吹きだし、それ以来、全てが一気に低きへ流れはじめたように思える。 
建前が下らないと言う風潮は以前からあったが、それがさも常識のようになり、唯々諾々と流れに身を任せないものを、それまでの馬鹿にする、から「あれこそ敵である」と殴って良いという風潮という名前の許可が下りたように、殴りに走る者が増えた。

あれから8年、今も復興は終わらず、後始末は終わらず、その後も天変地異の犠牲者は後を絶たず、SNSは噛んで含んで吐き捨てることをくり返す無尽蔵の怪物が跋扈するようになった。

この世界、なるようにしかならんとは思うけれど、斜めに観て皮肉を言うのはさすがにそろそろ辞めようと思っている。

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