平井和正作品への思い出

 大きな星ってのは落ちるときは連続して落ちていきますが、もう最近訃報に絡めた思い出話も辛くなってきたのと締め切りが洒落にならないんで止めてました。
 が、今回ばかりはその、自分の仕事の根幹に関わる話なのでご勘弁を。

 …………さて。

 平井和正という人を知って、填まった人間として、私は恐らく第二か第三世代ぐらいでしょう。
 すでに代表作である幻魔大戦は「未完の大作」としてSF大会などでペリー・ローダンや「いつ終わるんだか」という意味で揶揄されていた宇宙戦艦ヤマトと並ぶ、茶化される大きな対象…………「共通言語」のひとつとして存在していました。
 辻真先先生のノベライズ版「ルパン三世」を入り口に、コバルト文庫の竹宮恵子先生の表紙から新井素子先生に填まり、その新井先生のあとがき経由で平井和正という凄い作家が居る、と知ったのは確か中学に上がる直前の夏。
 とはいえ当時大量に出回っていた生頼先生のジャケの角川文庫の各作品は中学生には敷居が高く(万が一面白く無かったらジャケット買いをしたのだという慰めすら無いのですから!)、入り口をうろうろするうち、「エイトマン」だけでなく、琉大のSF研に潜り込んだとき読ませて貰った「デスハンター」の原作者だと知って、とりあえず有名なのから行こう、と「狼の紋章」を選んだのは確か1年後の冬。

 惚れ込みましたよ。ずっぽりと。

 幻魔大戦は長すぎるのと(とはいえ石森コミック版は読んでいたし、劇場アニメも見てましたが)、だんだん宗教じみてきて辛い、と言う評判が周囲の友達にあったので手を出しませんでしたが、それ以外のいわゆる「虎の時代」と呼ばれる頃の作品は片っ端から読みあさりました。

 その前に大藪春彦は読んでいたので殺し屋西城がキャラクターを丸ごとエアウェイハンターから持って来ていると知ってびっくりしましたが、当節言われる「パクリ」という安易なものではなく、リスペクトの果ての行為(キャラクターだけを自身の世界観に合わせて再構築し、トコトン近づけつつトコトン遠い存在にしていくことで尊敬の表明の代わりとする)というのが分かる熱量に圧倒されてましたっけ。

 漫画原作者としての代表作「エイトマン」の小説としての語り直しでもある「サイボーグ・ブルース」の

「(前略)私はしばらく足をとめて、壁面をいっぱいに占めた偉大なニグロの立体画像に見入った。私のよく知っている男だった。喉に魔笛を持っている人間なのだ。女癖が悪く、とうてい好きになれない下司野郎だが、彼の歌を聴けば何もかもゆるしてやりたくなるのだ」

 とかの一節にしびれたりしつつ。

 とにかく楽しいもの、面白いものに飢えていたので。

 脇道かつ暗い話で恐縮ですが、現実には当時、入学して三ヶ月も経たないうちにクラス丸ごとのいじめの対象にされ、教師達はそれまで思いもよらなかった状況が到来したばかりで、対応策を知らぬまま狼狽えるか、時に相手にこづかれてガラスを割ったり、休み時間に殴られて「どうしてこうなるんだろう」とぼうっとしている私を逆に「ナニヲシテイル」と見とがめて職員室で叱るばかり。

 祖母には心配をかけられないので「大丈夫だよ」というものの、父は「男なら喧嘩してこい」というばかりでそのやり方も教えてくれない、これで紅顔の美少年ならまだ絵になる分慰めにもなりますが、現実は小デブの、冗談ひとつマトモに言えないオタク少年という、寒々としたコントのような四面楚歌孤立無援という有様。

 あのころ、本とアニメ特撮番組に映画……つまり「娯楽」という痛み止めが無かったら、今頃こうしてキーボードを打ってることはなかったでしょう。

 で、その痛みに対抗する自分の中だけで通用する理論武装のための本は生島治郎氏の書いたエッセイ「ハードボイルド風に生きてみないか」ですが、痛み止めの中でも強烈に現実を忘れさせ、小説としては最初の「生き方の教科書」と信じたものが平井和正先生の描く「虎の時代」の作品群とヤングウルフガイだったわけです。(その後この場所には、菊地・夢枕先生を筆頭とし、若手に「ソルジャー・クィーン」シリーズの高峰龍二先生、さらに笹本祐一先生の「妖精作戦」を生み出していく朝日ソノラマの諸作品群や、フィリップ・マーロウから始まるハードボイルド小説や、D・バグリィを筆頭とする、当時内藤陳さんが紹介しまくってムーブメントになりつつあった冒険小説も加わってきますが)。

 さらに今の私を知る人間は驚いてドン引きするかもしれませんが、「SFばっかり読まずに純文学を読みなさい」と言ってきた父に、狼の紋章と狼の怨歌、狼のレクイエム二部作&死霊狩り(ゾンビーハンター)をルターが聖書を持つように掲げて「SFやジュブナイル(当時ライトノベルはこのジャンルに入ってました)は純文学よりも先を行こうとしてる」と熱心に抗議したのは中学三年生のころ。

 ほぼ同時期に「リアルタイムの作家」としては先に書いたように菊地秀行先生が現れ、夢枕獏先生が現れ、師匠筋にあたる朝松健先生も現れるわけですから、個人的にこの三年間が人生の眺め方とその行方を決定したと言ってもいいかもしれません。

 そのきっかけが「狼の紋章」だったわけです。

 だから生まれて初めて原稿用紙に鉛筆で書いた長編小説(未完)はヴァンピールの少年が軍事組織に追いかけ回されて、遺伝子改造を受けた超人類の戦闘兵器少女と逃避行する物語でした……いろんな意味で今の私を象徴してますね(汗)。

 主役がヴァンピール(今思い出しましたが、のちに吸血鬼に進化するんでした!)で狼男じゃなかったのはやはり「畏れ多い」と思ったからです(これは今でも続いていて、虎人間の少女は書きましたが、狼男は未だに扱った事がありません。あと「犬神」という姓と「明」という名前のキャラも)。

 そうそう、高校生の頃、何とかちゃんとした小説の書き方というか、文章のリズムを覚えたくて、好きな小説を書き写すというまじめな事もしていましたが、その時最初にお手本に使ったのは、鳴海丈先生と池波正太郎先生、そして平井先生でした。
 残念ながらこれだけのお手本を写本しながら、私の文章力はあまりよろしいものではありませんが、これはもう生徒のデキが悪かったと言うことでしょう。

 さらに「ウルフランド」で自ら「狼のレクイエム全二巻完結パラレル用原稿」を作ってみたり、鈴宮和由さんとコラボしたり……勿論アダルトウルフガイも読みましたが、やっぱり私が読みたかったのは青鹿先生を守って虎4と共に戦うほうの犬神明の続きでした。

 ところが皮肉にも、私が平井作品から遠ざかったのは、あれほど望んだそのヤングウルフガイの再開の理由が、自分のハマった漫画の原作者に会ったこと、というムック本の記事でした。

「おいおい、何千何百というファンの声じゃなくて、そんな理由なの?」

 当時母をなくしたあとの葬儀のゴタゴタや、沖縄名物ユタに代表される、霊能関係の人たちの「きれい事を言っても結局は金銭」という嫌な部分を見てゲンナリしていた上、「まあ気まぐれ極まりないとご本人が仰る言霊様のすることだからなあ」という笑い飛ばす解釈の余裕も無かった私は、それで一気に残っていた熱が冷め、本格的に平井先生の作品から遠ざかったわけです。

 同時に「作家になりたかったらどんな大作家であろうとも、たとえ本物の神様であろうとも、尊敬はしても、盲目的に崇めてはいけない」というルールも教えてくださったと思います。

 とはいえ。

 今でも少年の主人公を作るとき、トレジャーハンター八頭大と、キマイラ大鳳吼と並んで、博徳学園に転入してきた、中学生のウルフガイは顔の無い基準点として、今でも私の中にいます。

 新しい主人公のキャラクターに肉付けする前、犬神明に如何に近づけるか、如何に遠ざけるか、という問いかけがまず最初に存在します。

 そして神野名義のデビュー作「闇色の戦天使(原題:かがみのうた)」は平井先生の「虎の時代」の産物を吸収して出来た地盤に、大藪春彦先生の原点であるデビュー作「野獣死すべし」から「蘇る金狼」あたりまでを小学校以来久々に読みなおした「再発見」の衝撃が加わって、ゆっくりと立ち上がってきたような作品でした。

 その作品のお陰で「小説家」という看板を掲げてやってこれました。
 最初にその作品スタイルを、思考回路をお手本にした作家、それが平井先生でした。

 熱く激しいものを生み出す作家は、時にその熱で自分自身をも燃やしてしまうことがあるそうです。
 実際にお会いしたことはありませんが、残された作品を読む限り、平井先生はそういう人だったのかもしれない、と強く感じます。

 今はただ、お疲れ様でした、先生の作品のおかげで生き延びています、ありがとうございました…と申し上げるだけです。

 私ごときがいうのはおこがましいかもしれませんが、本当に、お疲れ様でした。

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