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8年前の「風立ちぬ」感想。

2013年8月8日「風立ちぬ」鑑賞。
徹頭徹尾、プロの手腕でノスタルジーとハイレベル作画で飾られた「クリエイターの都合」の物語。
否定的な気分で見に行った私でさえ「キライになれない」と結論づけてしまうぐらいよく出来ている。
そして、ここで描かれる「クリエイター」は男だから、女だからでは無い。
クリエイターをしている人間の奥底にある「これだけがんばったんだ、どんな結果が出たにせよ、何を生み出したにせよ、責任なんか追及せずに、許してやってはくれないか。永遠に続けさせてはくれないか」という囁くような老兵の呟き。それを監督よりも遥かに年下の、ある意味よく似た「マニア」で遥かに声のトーンが高い(これは聞き取りやすいという意味でもある)庵野秀明氏のセリフの外で呟き続けているような気がした。
そういう意味ではマルチェロ・マストロヤンニを自分の分身として使っていたフェリーニの「81/2」やマストロヤンニを使わなくても良くなった頃に撮った「フェリーニのアマルコルド」のようでもあり、寺尾聰に自分の若き日の思いを仮託して狂言回しに使った黒澤の「夢」であり、スコセッシが最近になって撮り始めた映画少年もののように見えるが、そこにあるのは「老人の呟き」ではない。

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