1981:夏のお話その2

(その後色々調べて事実が前後していたことが判明したので書き直しました・改定日2016/06/19)

当初は3泊4日の予定で、最初の4日は母の妹である四谷の叔母のところ(当時OLでひとり暮らしをしていた)、10泊11日に伸びてからはの後半は父の知り合いのご一家の所へお邪魔することになった。

今もあるかどうかは判らないが、あの頃の某航空会社には「ちびっこVIP」なるひとり旅支援のためのシステムがあって、那覇空港でセブンアップのクーラーボックスに手土産代わりの大量の牛肉と保冷剤、背中に着替えの入ったリュックを背負った私はそのバッジを着けて意気揚々と飛行機に乗り込んだ。

何しろ当時パック旅行で大人のついでならともかく、単独だと片道七万から八万は当たり前の乗り物である(確か父からそう聞いて驚いたのをはっきり覚えている)。

きっと機内食とかも出て豪勢だったと思うのだが今となっては、ただもう「ジャンボジェット機」で空を飛ぶという瞬間のワクワクだけで記憶は飛んでいる。

空港には叔母が出迎えに来てくれて、そのまま四谷のアパートへ向かった。

まだ、駅の改札は自動ではなく、切符切りをカチカチいわせる駅員が立っていた頃である。

刑事物のドラマに出てくるようなモルタルの二階建て、鉄板の階段を上った奥の角部屋で、洗濯機が玄関脇に置かれていて「うわ、本当に坂上二郎の刑事物に出てくる『アパート』だ!」と思った。

銭湯に行った記憶は無いから、多分小さいながらもシャワーかお風呂が付いていたのだと思う。

翌日、まだ丸っこかった頃の新幹線・こだまに乗って京都経由で神戸へ。

その車内で、小山田いく先生のすくらっぷブック目当てに買ったのが少年チャンピオン。

巻頭カラーが「さようなら岸壁先生」。

初手から当時の小学生には刺激の強い内容で、驚くやら戸惑うやら、だった。

京都についた途端、私も叔母も激しく咳き込んだが、一時間もすると普通に呼吸が出来る様になった。

今でも、どうしてそうなったのかは不明である。

京都観光の記憶は殆どない。ただ、神社仏閣が並ぶ一角に「燃えよドラゴン」のリバイバル上映を知らせる看板が異様なほど場違いに目立っていたのを覚えている。

嵐山まで行って、たしか時代劇のロケなどで有名な小川を眺めながらかき氷を食べた。

抹茶味、というものがこの世にあると知ったのはそこである。もっともなんでお茶をかけて食べねばならないのだ、と普通にメロンのシロップで私は食べていたが。

翌日はポートピアであるが、ポートライナーがモノレールと同じなのに風景が違ったことと、人の波しか記憶が無い。

 今にして思えばこの同じ会場で、後の従姉妹の旦那さんになる人がバンドマンとしてジャズを奏でており、中笈木六名義での作品で挿絵を描いて頂く赤坂さんが高校一年生として歩いている。

 だが、別の意味でここは忘れられない。

 人生、生まれて初めて置き引きにあった。

 帰りのポートライナーに乗ろうとして、叔母がトイレに行く間、ちょっと前の広場で待つように言われ、持って来た肉の半分を叔母に、残りを最後の数日宿泊するはずの父の友人のお宅に郵送し(当時はそうした方が送料が三倍近く違った)、そこで空いたバッグにお土産をアレコレ詰め込んだのだが、ちょっと地面に置いて、叔母が戻って来てさて、と思ったら肩紐が無い。

 肩紐が無いどころか本体が無かった。

 しばらく呆然として、ひょっとしたら落とし物と勘違いされたかも知れないと近くの交番に届け出たりもしたが、自分がこんな楽しい場所で盗難被害に遭うとは思わず、呆然とした。

 沖縄に居るときは、結構周囲が厳しい状態だったのでモノを盗まれたり隠されたりが当たり前で、そうならないように用心してたのに。

 さらに、そこまで「本土」は優しくて楽しくて親切だった(四谷駅で切符を無くした私を駅員さんは叔母の口添えがあったとは言え『そうか沖縄から来たのか』と通してくれた)だけにショックだった。

 叔母も同情してくれたがお土産は帰らない。どっと疲れたまま神戸から今度は直通で新幹線。

 また東京に戻った。

翌日、確か叔母と一緒に都電沿いのどこかにあったお茶の教室へ行き、叔母が用事を済ませるまでの間、何か読みたい本はあるか、といわれた。

迷わず雑誌「宇宙船」と答え、四ツ谷駅近くの本屋で買って貰った。

信じられないことに、発売日に本はそこに並んでいた。沖縄ではよほど大きな本屋(国際通りにあった球陽堂書店)か、マイナーを扱う小さな書店(というものがその当時地方には結構あった)でしか手に入らず、バス停の本屋なんかでは扱わないのが当たり前の雑誌だった……当時、オタクは存在すら知られていないころである。

さらに当時の金額で750円。小学生には結構な大金である。しかも親の目を盗んで買っていたのだ(見つかっていい顔をされなかった)。

それをあっという間に手に入れた。発売日に。

確か、二時間ほど待たされたはずだが、アマチュアフィルムメーカー特集を何時間も飽きずに眺め、ハシラと呼ばれる本の端っこの記事から何からを舐め尽くすように読んだ。

(その3へ続く)

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