ネタバレ感想「スターウォーズ・フォースの覚醒」

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というわけで観てきました。スターウォーズEP7。

「リメイク」でも「リブート」でもなく、「続編」をJJエイブラムスが作るのは「ミッション・インポッシブル」以来。

「リメイク」と「リブート」は「ルールも盤面も駒(キャラクター)をも全部作り直す」苦労がありますが、同時に今の時代に即する形という指針もまた存在する。

「続編」ともなれば……しかも、それが映画史に残るエポックメイキングの続編とも鳴れば「今の時代に即した形」は要素に過ぎず、求められるのは「時代錯誤でもあの作品の空気、雰囲気、ルール」です。

 そして……これはオリジナルを作ったスタッフでさえしばしば忘れてしまい、あるいは恐れる余りおかしな方向に続編やリメイクを突っ走らせる要因なのですが……エポックになった作品というのは常に「魔法」が掛かっています。

 それは俗に言う「天地人そろってしまった」からこそ発生するもので、人工的に再現は不可能です(大抵のディレクターズカットが尺が長くなるばかりで退屈になるのはこのためだと思います)。

 まして、スターウォーズはまさにその塊でした。

 実はお話作りのセンスがあまりないルーカスが「フラッシュ・ゴードン」のリメイクを諦め、20世紀フォックスの重役、アラン・ラッドJrという理解者にして手綱握りの名人を得、理想の映像を求めてガンガン予算を食い尽くしていくスタッフや現場と格闘しながら作り上げ、それが結果として無駄のない、そして「アニメや漫画や絵画ではあったが、実写ではあり得ない」とされていた数々の場面を絢爛豪華にちりばめながら、アメリカンニューシネマで一度止めを刺された「英雄神話」の復活を成し遂げたのが1作目で、残り2作は言うなればその余韻が生み出した勢いの産物と言うべきかも知れません。

 そしてその三部作を生み出したルーカス自身が手がけて見事に転がり落ちた「エピソード1」。

 あのがっかり感をどう説明すればいいのか。

 あの20世紀FOXのファンファーレが鳴り響く中、あのロゴが十数年ぶりに現れた瞬間の興奮と、そこからドンドン下がっていく観客のボルテージ。

 一緒に見に行った友人数名と、帰り道ずっと予告編で流れていた「オースティン・パワーズ・デラックス」の話ばかりしていました。

 で、エピソード3まで公開されてもそれは「前日譚」という以上のものでも以下でもなく。

 だからルーカスがメガホンを手放し、渡した相手がJJエイブラムスというのは非常に手堅く、かつエイブラムスにとっては正念場だろうとも思っていました。

 同時に楽観していたのも事実で、逆に彼はどうやってあの作品の「続編」を撮るのだろうか、と。

 実際、生き残ったエピソード6「ジェダイの復讐」までのキャラクターたちが死に絶えた後の話でも良かったはずで、「滅ぼされた邪悪が復活する」切迫感は「かつて倒してくれた勇者たちがいない」ほうが盛り上がるでしょう。

 でも、エイブラムスは生き残った殆どのキャラクターを出す事にしました。

 キャリー・フィッシャーもマーク・ハミルも、ハリソン・フォードも戻ってきました。

 公開された予告編と、メイキングも兼ねた別の予告編には作る側のスターウォーズへの愛と敬意が溢れてました。

 そして、公開。


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神野オキナ

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神野オキナ

神野オキナ・雑文集

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