アントニアの冒険(仮)
プロローグ「はいはい、ようございますよ、お坊ちゃま」
はい、お坊ちゃま。今夜も寝る前のお話をご所望ですか。
この前の、白い肌の王子が黒い剣とともに旅を続けるお話は如何でしたか?
ふむ、あまりに悲しくて良くなかった?
まあ、最後はお友達も恋人も皆黒い剣に殺されてしまいますものねえ。でもお坊ちゃま、女の子という存在は男にとってそういうことにもなるのでございますよ。
ではその後の、異星人から貰った機械の身体で冒険を繰り広げる教授のお話は?
ああ、それはようございました。私めも語りがいがございました。
では今日は、豹の頭を持った戦士の長い長いお話……え? 今日はお前の思い出話が聞きたい?
珍しいことでございますねえ。
ああ、なるほど、今日の学校の授業で昔の生活を習ったのでございますね?
いえいえお坊ちゃま、私が子供の頃、すでに電気はございましたし、携帯電話もございましたよ。
もっとも、手に持って話しておりましたが。
はい、馬や牛が町中を歩いていたのは私の祖父の祖父のさらに祖父のそのまた祖父の祖父の、そのまた祖父の子どもの頃でございますよ。
ほほう、では何か不思議なことが無かったか?……ははぁ、なるほど、坊ちゃまは今夜はそういうリアルなお話をご所望なのですね。
そうでございますねえ。夏休みが終わったら、学校の友達の外見が男から女に変わっていたとか、髪の長い清楚な女の子が、肌を真っ黒に焼いて、脚を広げてガハハと笑うようなタイプに化けていたりとかはございますが、これは別に不思議なお話ではございませんな。
……いや、そういうことは多々あるのでございますよ、坊ちゃま。ええ、今から覚悟なさっておいたほうが……ごほん、ごほん。
失礼、脱線いたしました。
そうそう、不思議な話のことでございましたですね。
坊ちゃまはアントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノスというお方をご存知でございましょうか?
はい、そうでございます、大広間の階段の踊り場に飾られているあの油絵のお方です。
え? 教科書で見るアントニア様と、どうしてあの踊り場の絵は年齢が違うのか?
おお、良いご質問です。
それこそがこれからじいやの語る物語の肝心要なところなのでございますよ……?
★
第一話「青い毛糸玉」
☆
その毛糸玉は、いつの間にか、アンドローラⅡのとある会議室の片隅にどかんと置かれていた。
毛糸玉に「どかん」という形容はふさわしくないかも知れないが、直径一メートル以上の毛糸玉が転がっているのはまさしく「どかん」と表するしか無い。
ちなみに色は青。
まだ未使用らしく、黒い帯封がされている。
ふざけたことに帯封にはしゃれた書体の金文字で「はろっず」と書かれていた。
「…………こんなもの、あったかしら?」
メイドのひとり、西原ゆきはそう言って首をひねった。
「この前の修学旅行土産…………じゃないわよね?」
巨大豪華客船クラスながら、個人所有で使用されているため呼称としては「クルーザー」という世にも奇妙なこの「アンドローラⅡ」の中でも、それは確かに奇妙だった。
だが、鉄壁の警護体勢を誇るアンドローラⅡに「いつの間にか持ち込まれた不審物」があるはずは無い。
とはいえ、「疑問に思ったことは全て正しく疑え」ということを徹底してアンドローラⅡの乗務員は叩き込まれる。
この船に乗るようになって一年になったばかりのゆきでも、それは当然、血肉レベルで仕込まれている。
「副メイド長、西原です。実は不審な毛糸玉を見つけたのですが」
『なんだ、それは?』
あきれかえったような副メイド長、サラの声が携帯電話から聞こえてくる。
☆
がさごそ。
アンドローラⅢの食料庫はその余りの広大さと、人員の多さから幾つもに分散されているが、中でも缶詰関係はさらに細かく、130もの非常食料庫としても機能させるため、頑丈な扉の中で管理されている。
その中のひとつで物音がしている。
その人物は、緑色のコートのような服を着け、缶詰が詰まった棚のそばに置かれた樹脂の箱の中、次々と缶詰を投げ入れている。
さらにその足下では二頭身の影が、顎に手を当て、興味深げに棚の中身を眺めている。
「金一〇〇グラムだから、これぐらいだよね……?」
少年の声がそう言うと、ポケットから花札ほどの大きさの金の延べ板を取り出し、棚においた。
「どうかな?」
足下の小さな影に訊ねると、影は鷹揚に頷いて「それぐらいでよかろ」と描かれた扇子を広げて見せた。
「さて、地球産の食べ物も補給したし、そろそろ……」
そう呟いた人物の視界の隅に、ちらりと動くものが見えた。
「ああ、まったくもう!」
そう言うと、人物は手首に巻いた太い銀色のブレスレットを外した。
蝶番もスリットも何も無い完全な円筒形のブレスレットは、するりと外れ、人物の手の中で棒状の機械に変わる。
人物はその先端をあちこちに向けていたが、部屋の天井の隅をずっと追っていると、やがてある一角で小さなデジタル音がして、機械の上に小さな立体映像で「ここ!」と表示が出る。
「やっぱり、ティンダロスシステム……ってことはフェリム人か。やっぱり今日が『その日』なんだな?」
☆
首をひねりながら現れた副メイド長は、現物を見て「確かにこれは不審物だ」と全てのメイド達にこの正体に着いての心当たりを尋ね、監視モニターの記録を調べさせた。
「……間違いない、この毛糸玉はゆきがこの部屋に入る五分前まで存在してなかった」
「テレポートでもしてきた、ということでしょうか?」
「それなら、キャーティア謹製の次元レーダーに引っかかる筈だし、猫たん達が騒がないのがおかしい」
大まじめな顔でサラ。ちなみに「猫たん」というのは彼女の魂を奪って離さない、二頭身の剽軽者、アシストロイドの事である。
この船には「執事ちゃん」と呼ばれる通常型アシストロイドと、アントニア直属の「へいほん」という少々問題のあるカスタム型が存在する。
どちらも、船の異常を察知すれば通報なりなんなりをするだろうが、二匹に尋ねても「しらないでし」「われもきづかなかったのである」と首を傾げるばかりだ。
「しかし、不思議じゃのう……摩耶も気づかなかったか?」
騒ぎを聞きつけてやってきたこの船の主、アントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノスが腕組みをしたまま、興味しんしんという顔で毛糸玉を見つめる。
「はい、お嬢様」
傍らで、常に彼女に影のごとく寄り添うメイド長、摩耶が頷いた。
「誠に未熟さ故、申し訳なく……」
「じゃが、機械ではなく、毛糸玉のう……よく分からんな。誰かこれの中身を精査したか?」
「いえ、まだでございます」
「とりあえず表面を調べて、移動に問題がないようであれば、下のラボへ持っていけ、後で私が調べよう」
「お嬢様!」
「臆するでない、摩耶。これが武器や爆弾の類いならとっくに作動しているだろうし、それ以前に何かのリアクションがあるはずじゃ。我らが集まってきても何も起こらないと言うことは害が無いものである可能性が高いと思うぞ……となれば、何故に我らの目をかいくぐってこんなところに現れたのか興味がある」
アントニアの目は好奇心に輝いていて、摩耶は溜息をついた。
こうなったアントニアが配下の者の言葉で停まることは滅多に無い。
「取り急ぎ、このことをエリス様に報告せよ。場合によってはキャーティアの方達の協力が必要じゃ」
「では、せめて場合によっては、ではなく、最初からキャーティアの方達の調査を申請しては?」
「ふむ、そうじゃのぅ」
「それまでこの部屋は封鎖します。お嬢様はお近づきになりませぬよう」
これだけは譲れない、という摩耶の顔に、
「…………まあ、仕方なかろうな」
とアントニアは溜息混じりの譲歩を返した。
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