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~デンマークとクレセントロール~ ⑩地蔵盆

夏休みも終盤になるころ地蔵盆がある。お地蔵さんの前に畳の台が設えられ、テントが張られ、もうすぐ地蔵盆がやってくることを知る。当日は菓子やジュースやビールが供えられ、各家がお地蔵さんの前に提灯を吊るしにやってくる。提灯の中心にあるろうそく立てに小さなろうそくを差し火をつける。それから提灯の蛇腹をそーっと伸ばして、ぶら下げる。あたしは、いつもろうそくの火が提灯に燃え移らないかと、ドキドキしながらそれをする大人の手元をじっと見たものだ。近所のお寿司屋さんの夫婦には子どもがいない。

    • ~デンマークとクレセントロール~  ⑨グッモーニンのおじいちゃん

      夏休みの日課にラジオ体操があった。朝の六時頃になると表で呼ぶ声が聞こえる。  「あっこちゃーん、ゆっこちゃーん」 その声が聞こえるとあたしはむくっと起き上がり眠い目をこすりながら布団から出て、服を着替える。ノースリーブの白地に親指姫のプリントがされたTシャツがお気に入りだ。他にもフエルトでリンゴのアップリケがついたシャツも好きだった。引き出しから適当に着ていく服を選んで手早く着替えると、寝ている父と母の足を布団の上から踏まないように気をつけながら表に出る。たかし君とれいこちゃ

      • ~デンマークとクレセントロール~⑧梅酒

         あまり大きな声で言えないが、子供のころからお酒が好きだったようだ。晩ごはんの時、父がキリンビールの栓をポンと抜いて、グラスに注ぐのを見ると、その父の胡坐の中にすっぽりと収まり、グラスの淵についた泡を啜った。父も母もそんなわたしを見て  「これ!この子は!」 と言いながら顔は笑っていた。苦い泡がふわふわして美味しかった。  お正月には赤玉ポートワインが飲めた。年の瀬になると我が家でも質素ではあるが正月の準備をしていく。お飾りや鏡餅、お祝い用の一升瓶と赤玉ポートワイン。それらが

        • ~デンマークとクレセントロール~ ⑦れい子ちゃんの金魚

           学校からの帰り道、ボタボタと傘にあたる雨音を感じながら、今日は好きなだけ漫画を読むと決めていた。長靴の足でぴちゃぴちゃと雨水を跳ね上げながら早足で家に着くと、傘の柄を首に挟みながら、玄関の引き戸の鍵穴に鍵を突っ込んでゆっくりと回した。カチャリ。今日はスムーズに鍵が開いた。時々、鍵がすんなりと回らずにそれでも無理やり回そうとして鍵を曲げてしまった時もある。でも、今日は問題なし。  「ただいま」 と、言いながら部屋に入っていく。薄暗い部屋の天井からぶら下がっている蛍光灯の紐を引

        ~デンマークとクレセントロール~ ⑩地蔵盆

        • ~デンマークとクレセントロール~  ⑨グッモーニンのおじいちゃん

        • ~デンマークとクレセントロール~⑧梅酒

        • ~デンマークとクレセントロール~ ⑦れい子ちゃんの金魚

          ~デンマークとクレセントロール~ ⑥給食

          痩せの大食いで米飯大好き、晩ご飯は毎日三杯はおかわりしていた。よその家でご飯を食べると「あっこちゃんはほんまにおいしそうに食べるなぁ」とよく言われた。まだ小学校に上がる前の幼いあたしは昼間は全力疾走で外を駆け回り、晩ごはんの時は眠気と空腹どちらも譲れず、ご飯を口の中に入れたまま、ちゅうちゅう吸いながら白目をむいてぐらぐらしているところを、姉に  「また、寝とうで!」 とつっこまれた。 そんなご飯好きのあたしにとって小学校の給食は絶望的だった。給食の時間になると、アルミの皿の上

          ~デンマークとクレセントロール~ ⑥給食

          ~デンマークとクレセントロール~   ⑤デンマークとクレセントロール

          目を覚ますと、テラテラしたポリエステルの赤紫色に白い水玉模様の入ったカーテンに外の光が射して、部屋の中はほんのりピンク色に染まっていた。今日は天気がよさそうだ。わたしは掛け布団の上に重ねておいた赤色の毛糸のカーディガンを羽織って布団から出る。ベッドの淵に足をかけて、上の段で寝ている姉を見ると、首まで布団にくるまって横向きでこちら側を向いて寝ていた。素足のままつま先立ちになって跳ねるようにして階下へ降りると父の寝床に大急ぎで潜り込む。首だけ出して布団をぎゅっと引き寄せ、父の足の

          ~デンマークとクレセントロール~   ⑤デンマークとクレセントロール

          ~デンマークとクレセントロール~  ④海賊の巣

          あたしとれいこちゃんは“海賊の巣”の前に立っていた。  セメントを塗ったようなデコボコ壁。直角三角形の定規みたいに急傾斜した黄色い屋根。小さな窓が二つあるが、擦りガラスになっていて中の様子は分からない。 家から歩いて2分くらいのところに最近できた喫茶店だ。それまでは、この辺で喫茶店といえば“喫茶かみさわ”しかなかった。”喫茶かみさわ”は、家がある路地の角にある。カウンターと大理石もどきの四人掛けのローテーブルが四つほど並んでいて、いつも電動式のコーヒーミルで「ガー」と「シャー

          ~デンマークとクレセントロール~  ④海賊の巣

          ~デンマークとクレセントロール~  ③新開地

          祖父は新開地ではんこ屋さんをやっていた。あたしたちが暮らすK沢8丁目から市電に揺られて10分程度のところにあった。祖母は市電の定期を母に買い与え、母は小さなあたしと姉の顔を祖父母に見せる為に毎日のように通った。時々、仕事帰りに父が寄って、みんなで近所にある『赤てんぐ』で晩御飯を食べに行くこともあった。そんな時は帰りがけに祖母が 「あんたら、タクシーで帰り」 と言って、母に小銭を持たせた。その後、市電が市バスになり、店のすぐ前が新開地のバス停になった。小学2、3年くらいになって

          ~デンマークとクレセントロール~  ③新開地

          ~デンマークとクレセントロール~  ②S高のお兄ちゃんお姉ちゃん

           予想通り店には部活帰りのお腹を空かせた高校生が来るようになった。母は、みんなから「おばさん、おばさん」と呼ばれ、お好み屋”J”は、ひとつのコミュニティとなった。小さな店はすぐ満席になり、そんな時は表に椅子を出して待ってもらった。その間も学生たちは店の中と外で会話をしたりしてにぎやかだった。みんな、テコで切ったお好み焼きをハフハフと口に運びながらお腹を満たし、恋愛話や部活のこと、進路についての悩みなど色々な話をしていった。中にはいつもは友達と連れ立ってくる人が一人で来て話しこ

          ~デンマークとクレセントロール~  ②S高のお兄ちゃんお姉ちゃん

          ~デンマークとクレセントロール~  ①お好み屋

          幼稚園くらいから小学校の2、3年くらい、1970年の初めごろまで我が家はお好み屋をやっていた。正確には「お好み焼屋」だ。でも、誰も「おこのみやきや」なんて言い方はせず「おこのみや」あるいは「おこのみやさん」と言っていた。 母がお好み屋を始めた理由は家計を助けるためか、ただ何か店をやりたかっただけなのかわからないけれど、たぶん、その両方からの理由だったと思う。近くに公立高校があり、そこの生徒か来ることをあてこんでいたこともあるかもしれない。  母は本人曰く、「貧乏人のお嬢さん

          ~デンマークとクレセントロール~  ①お好み屋