~デンマークとクレセントロール~⑧梅酒

 あまり大きな声で言えないが、子供のころからお酒が好きだったようだ。晩ごはんの時、父がキリンビールの栓をポンと抜いて、グラスに注ぐのを見ると、その父の胡坐の中にすっぽりと収まり、グラスの淵についた泡を啜った。父も母もそんなわたしを見て
 「これ!この子は!」
と言いながら顔は笑っていた。苦い泡がふわふわして美味しかった。
 お正月には赤玉ポートワインが飲めた。年の瀬になると我が家でも質素ではあるが正月の準備をしていく。お飾りや鏡餅、お祝い用の一升瓶と赤玉ポートワイン。それらが部屋の片隅に置かれていて、黄色に赤い丸が描かれたラベルを見て早くお正月にならへんかなぁと待ち遠しかった。元日の朝、お祝いの時に母がコップに少しだけ入れてくれ、姉とあたしはその赤くて甘い液体をチビチビ少しずつ舐めるようにして飲んだ。

 そして、夏にはもうひとつのお楽しみがあった。それは台所のテーブルの下にあった。赤い蓋の大きなガラス瓶の中には金色の液体。底にはこれまた金色の丸い実が沈んでいる。梅酒だ。
 正確に言えば、梅酒そのものより、梅の実を好んだ。実を齧った時のあの鼻に抜けるつんとした香り。喉越しが熱くなる感じにやみつきになった。
 が、それは簡単には口にできなかった。まず、瓶の蓋がなかなか開かないのだ。父は力の限りにその蓋を閉めていた。留守中に子供が勝手に開けて、飲まないようにするためなのか、それともただ単に加減ができない性分なのか。夜の晩酌の時にはビールの泡を黙認しているのだから、多分後者の方だろう。なかなか開かない赤い蓋にあたしと姉は四苦八苦した。どちらかが瓶をしっかりと押さえる。もう一人は手が滑らないように蓋の周りに輪ゴムを巻いて、全身の力を振り絞って蓋を回す。
 「う~ん!」
と唸りながら力の限り回しても開かない。タオルを使ったり、足で押さえたりして、手が真っ赤になり痛くなった頃に漸く開く。でもこれで終わりではない。梅の実にたどり着くまでには、まだ先がある。長い菜箸で底の方に沈んでいる梅の実をとらなければならないのだ。お玉で掬おうと思うが、大きすぎて瓶の口のところでつっかえてしまう。では、スプーンはというと、スプーンじゃ短すぎて底まで届かない。梅の実をつまむには長い菜箸しかないのだ。小さな手に不器用に握られた菜箸は瓶の中でバレリーナの足みたいに大きく開いたり小さくばってんになったりと悪戦苦闘する。それでもやっとこさ菜箸の先に梅の実をつまんで、引き上げようとするが後少しというところで梅の実は箸の先からぽろりと滑り落ちる。そんなことを繰り返しながらやっとの思いで掬い出した梅の実を口の中で種だけになってもいつまでもしゃぶっていた。
 ある日、れい子ちゃんが家に遊びに来た。夏休みの昼下がりだっただろうか。梅の実を食べようとなって、姉とれい子ちゃんとあたしの3人は、いつものように通過儀礼を行い梅の実を手に入れた。1個か2個か食べただろうか。れい子ちゃんはいつも笑っている子だったけど、その時も
 「くくく」
とえくぼを作って楽しそうに笑っていた。でも、しばらくすると、
 「わたし、帰るわ」
と言って突然帰っていった。よくあることで、誰かの家で遊んでいても突然帰って行ったり、突然また来たりということは珍しくなかった。その時も
 「うん、またね。バイバイ」
といったかんじであたしと姉は遊んでいた。それから玄関の引き戸が開く音がしてれい子ちゃんが戻って来たのかなぁと思っていると
 「すんませんなぁ~」
と聞き慣れない声がする。玄関に出ていくとれい子ちゃんのおじいちゃんが、いつもの丹前スタイルで立っていた。れいこちゃんのおじいちゃんが家に来るなんて、滅多にあることじゃない。あたしはちょっと緊張した。
 「れい子が帰ってきて、赤い顔して寝てるんやけど、どないしたんかいなぁ」
といつもの頑固な顔が困り顔になっていた。れい子ちゃん家へ見に行くと、れいこちゃん、ほっぺたピンク色にして気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 また、こんなこともあった。母が町内の行事か何かでワンカップ大関をもらってきた。それを台所のテーブルの上に置いていた。またもやあたしと姉とれい子ちゃんの3人はそれをみつけて、飲みたくなったのだ。蓋を開けて、少しずつ舐めた。ワンカップ大関は赤玉ポートワインや梅酒のようには甘くなく、そんなに美味しいものではなかった。水を入れて蓋をしておけば分からないだろうと、減った分だけ水を入れて元の場所に戻した。それから、三人は外でバレーボールをして遊んだ。母が買い物から帰って来た。
「おかえり~」
「ただいまぁ」
家の中に入った母がしばらくして出てきて
「あんたら、もしかして、テーブルの上に置いてあったお酒飲んだん?」
と、聞いてきた。わたしが、
 「知らんで」
と言うのと、姉が
 「なんで? 水入れたのに!」
と言うのが同時だった。わたしは、姉を睨んだ。母は
 「今、ふっと見たら蓋が開いとうから、あれ?って 思たけど、よう言わんわ。水、入れた言うて」
と、怒るよりあきれていた。水を入れるまでもなく、キャップを開けてしまった時点で、アウトだったのだ。れい子ちゃんは、その時は、案外平気で怒られても、いつものようにえくぼを作ってクククッと笑っていた。笑い上戸なのか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?